外伝 アナスタシア事件 ~その10~
「これが普通の反応よ!」
正義は我にあり!
ナターシャはそう言わん我ばかりに、大袈裟に胸を張る。
まあ胸はないのだが。
「……こほん。タクシーを呼ぶから、阿弥さんは家でゆっくりしてね」
白眼視している彰、杏華、涼一の態度に耐えられなくなったのか、ナターシャはわざとらしく咳払いをした。
「はい、ありがとうございます……」
その好意を断る理由が阿弥には一片もない。
渡りに船といえた。
さっさと阿弥はこの場を離れて、今後の計画を練り直したかったのだ。
修正は大幅なものとなるだろう。
「3人には約束した通り、食事を奢ってあげるわ」
さりがなくナターシャは彰の手を引いて歩き出す。
「ちょっと!」
杏華はピンときた。
彰の反対側の手を取って、ナターシャを睨みつける。
「ふうん、そうなんだ」
ナターシャは杏華の剣呑な視線をそよと受け流した。
「……? ???」
彰は意味がわからず、2人のなされるがままだった。
「はあっ! 羨ましい……」
盛大な溜息を吐いて、涼一は肩を落とした。
自分1人しか住んでいない家でタクシーを降りると、阿弥は自宅の門をくぐることなく、最寄の駅へ向かった。
夕張市に居を構えるタタール・ヨーク社という名の、ペーパーカンパニーに行くためだ。
阿弥の父親、冬月樹は書類の上ではタタール・ヨーク社の社長ということになっている。
企業としての活動は全くしていない。
あくまで法人登記がされているだけだ。
もともと冬月は大学の教授として、ロボット工学の研究に打ち込んでいたが、5年前の事件を境に教授の職を辞しロシアへ渡った。
気持ちの整理のついていない阿弥も一緒にだ。
北海道にはロシアを拠点としているASUの支部……、そこまでの規模ではないが、人員を送り込んで活動している。
自治体が破綻した夕張市などは格好の隠れ蓑だった。
そういった北海道に潜伏するASUのメンバーに話を持ちかけ、強硬派のアナスタシアなる組織を冬月は紹介してもらった。
ウラジオストックのアナスタシア本部で、本来の用途とは全く別の目的に使用するために、マトリョーシカは完成したのだ。
日本ではアナスタシアのような組織はなく、資材と機材の調達が不可能だった。
そもそも精霊に関する認識がはなはだ甘いのである。
ヒューマノイド型ロボットの動力源に精霊力を活用するという論文は、学会で見向きもされなかった。
どのみち、日本で殺人兵器は製造できないが。
完成したマトリョーシカは、アナスタシアの目の上の瘤であるロシア極東軍管区所属の強力な精霊使いを易々と暗殺した。
これ以後、次々とロシアで『特定』の精霊使いを始末していく。
それによってマトリョーシカの性能と冬月の才幹は認められ、冬月はアナスタシアで重要な地位を得た。
『特定』の精霊使いを消したことで有利になった人物から、莫大な資金もアナスタシアは手にする。
その潤沢な資金を使い、復讐を果たすために冬月父子は日本へ帰国したのだった。
「お父さん……」
阿弥は低い声で話しかけた。
「阿弥、失敗したみたいだね」
「はい」
「娘の友達がここまで強いとは、予想外だったよ」
言葉とは裏腹に、冬月は娘を慈しむような笑みを浮かべていた。
「でも、まだ捜査の手は私たちのところまで届いていません。それどころか犯人の手掛かりすら、見つかっていない有様です」
「本当に、そうかね?」
日本の警察も、そこまで甘くはない。
冬月は娘ほど楽観視できなかった。
「現場検証をしていた日南という人も、途方に暮れていたし……」
「日南? それは日南巧のことか?」
「そうですけど、お父さん?」
「あの不肖の教え子が、立派になったものだ」
珍しく相好を崩す父親を見て、阿弥は目を剥く。
こんなに嬉しそうな父親を目にするのは、5年前の事件以来、始めてではないだろうか?
「阿弥、全ては私が指示したことだ。だからお前には、何の罪もない」
その父親の言葉は、阿弥には敗北の預言者カサンドラの不吉な予言にしか聞こえなかった。
阿弥は父親に手を引かれて、始めて夕張市に訪れたときのことを思い出していた。
財政が破綻した夕張市には、主に石油を中心とした地下資源で財を成したロシア企業が支社を置く事が多い。
無論、そうしたロシア企業は真っ当な商取引だけを行うのではなかった。
ロシアのスパイ活動の拠点としても使用されるのだ。
横浜や神戸の中華街が中国の対日拠点として機能しているのと、同じ理屈である。
日本国内に敵国の拠点があるのに問題視されないのは、日本政府の懐が深いのか、単に平和ボケしているだけなのか、冬月には判然としない。
それらの事情を十全に踏まえた上で、冬月は特にいわくつきなロシア企業を取引相手に選んだ。
このとき対応したのが、黒服の男である。
「そうなるとアナスタシアか。あそこはウラジオストックに施設を持っているからな」
冬月が要望を伝えると、黒服は手渡された札束を数えながら答えた。
「しかし、いいのか? これだけもらっておいて話をつけるだけで。そのロボットの研究成果をロシア軍に売り込んでも、別に構わないぞ?」
つまりアナスタシアのようなテロ組織ではなく、まともなロシアの研究所を紹介すると黒服は言っているのである。
それでも、冬月から支払われた金額の対価にしては安いのだが。
「ご厚意はありがたいが、軍に組み込まれたら自由に動けなくなる」
そもそもロシア軍に売り込むなら、冬月は何もこんな場所にわざわざ足を運んだりはしない。
「それに個人的な……、理由もある」
妻の復讐、と口に出すことを冬月は躊躇われた。
迂闊に弱みを見せるわけにはいかない。
「わかった。こちらも仕事だからな。金をもらえればそれでいい」
「そうしてもらえると助かる。色々と事情があるのでな」
教授という地位を投げ打ってでも、成し遂げねばならないことがるのだ。
そして、ウラジオストックの地に冬月父子が降り立ったのは、これから1週間後のことである。
アナスタシアの構成員と接触し、冬月が案内されたのは施設の整った研究所……、ではなかった。
つい最近、倒産したらしい企業の工場だ。
思わず冬月は眉を顰めてしまうが、ここは小規模とはいえ兵器工場だったらしい。
つぶさに工場を見て回り、十分過ぎるほどの設備があり冬月は安堵した。
しかも使えそうな部品も、数多く残されているのだ。
資金には限りがあるため、これは非常に助かる。
早速、冬月はマトリョーシカの開発に取り掛かった。
限りある、しかし潤沢な資金を湯水のように使い、冬月は必要なものを揃えた。
ここで言う必要なモノとは技術者やプログラム技師、さらには精霊使いなどの人的資源も含まれる。
金がモノを言った。
その金は皮肉にも藍家からの慰謝料である。
口止め料も含まれていたのだろう。
相場よりも多くの金額を提示された。
裁判中にマトリョーシカを完成させることを心に決めていた冬月は、プライドをかなぐり捨て、多額の金額を受け取ったのだ。
そのおかげでマトリョーシカを完成させ、復讐を果たせる。
耐えるときには、耐えなければならないときがあった。
それでも1年かけて完成したマトリョーシカは、わずか2体だけである。
しかし、一度完成させてしまえば、あとは資金次第で量産化が一気に近づく。
このように父が苦労して殺人人形を組み立てている間、阿弥は様々な銃の取り扱いの手ほどきを受けていた。
幸いにして?
その手の方面の教師はアナスタシアにたくさんいたのだ。
構成員にくっついて、阿弥は横でじっと銃の扱いを注視していたのだ。
それだけで使い方を覚えてしまった。
まずは小型で片手でも射撃可能な拳銃を手に取る。
世界的な視点で見れば、阿弥のような子供が武器を手にして戦いに参加するというのは珍しい事ではない。
こうして海外に出てみれば、いかに日本が安全で平和な国だということが実感できる。
工場の倉庫内で、ずっしりとした重みを手の平に感じながら、阿弥は拳銃を構えた。
的に見立てた空き缶を目がけて、生まれて初めて実弾を発射した。
カン!
と鈍い音がして空き缶が吹き飛ぶ。
それを見ていた構成員たちが目を丸くして、空き缶をいくつも並べてみた。
もっとやってみろ、ということだろう。
物怖じすることなく、阿弥は立て続けに引き金を絞った。
「ハラショー!」
全弾命中し、構成員たちは歓声を上げた。
このときから、阿弥は銃器について本格的な訓練を受けることになる。
マトリョーシカが完成するまでの1年間で、阿弥はアナスタシアの構成員と遜色のない腕前となった。
彰達がナターシャに食事を奢ってもらうために連れてこられたのは、お馴染みのファミレスだった。
「予算には限りがあるのよ」
みんなの冷やかな視線などものともせず、ナターシャはケロリと言ったものだ。
「ここ、久し振りに来たな」
「そうね、彰が日南さんと悪巧みをしていたとき以来かしら?」
「悪巧みか」
彰はかすかだが口の端が引きつる。
杏華の言う通り、確かに悪巧みかもしれない。
非合法的に優と慎二の仇を討とうとしているのだから。
「なんで俺とナターシャさんの名前を、マトリョーシカは知っていたんだろう?」
ぼそぼそと涼一は呟く。
先ほどから、ずっと気になって仕方がなかった。
「こちらの動きが筒抜けになっているわね」
ナターシャは眉間にぎゅっと皺を寄せる。
「あの冬月阿弥って、どういう子なの?」
「阿弥を疑っているのか!?」
すぐさま反駁いたのは、もちろん彰である。
一瞬で険しい顔つきになった。
「ええ。マトリョーシカが現れたタイミングが出来過ぎだし、何より様々な事情に詳しいのよ。まさかロシアの内情まで知っているなんて、一般人に思えないわ」
ナターシャは彰の目を覗き込んだ。
ウラジオストックの件はロシア軍かアナスタシアの関係者でなければ、知りえない情報のはずである。
「阿弥とは、いえ私たちは高校で出会ったから、それ以前のことは知りません。ただ……」
頑なに阿弥を信頼する彰に代わって言葉を発したのは、杏華だった。
廃工場の時のことが、鮮明に記憶に残っている。
それを告げるべきか、杏華は懊悩した。




