外伝 アナスタシア事件 ~その9~
「あれ? ナターシャは一緒に行かないのか?」
当然、日南についていくものと彰は思っていた。
「有意義な情報も手に入ったし、食事くらいは奢るわよ。それに少し気になる事もあるし……」
ナターシャはちらと視線を阿弥に向ける。
時折り見せる険しい顔が、気になって仕方ないのだ。
「じゃあ遅くなるって、ちょっとお父さんにメールするね」
そそくさと阿弥はスマートフォンを取り出す。
「阿弥は父親想いだな」
「さすが彰は阿弥のことを、よく見ているわね」
杏華は意地の悪い笑顔を浮かべ、彰を茶化す。
そういう杏華は、彰の事をよく見ているわけだが。
「はは~ん、そうなんだ高城。そういうことか!」
ばんばんと涼一が彰の背中をど突いた。
そのドヤ顔が鬱陶しいことこの上ない。
「そういうことって、何だよ!?」
「いやいや、いいっていいって。でも、なるほどねえ。まあ、わかるよ」
にやにやしながら涼一は、今度は彰の肩をぽんと叩いた。
心の底から彰は、ぶん殴りてえと思う。
いかにも高校生らしいやりとりを眺めながら、ナターシャは腹立たしさと羨ましさがない交ぜになった感情に捉われた。
「同じ年齢なのに……」
苦いものが胸にせり上がってくる。
自分はこんなにも矮小な人間だったのだろうか……?
ナターシャは妙な気持を追い払うように頭を振った。
「お父さんが許可してくれたわ」
そんなことを無邪気に報告する阿弥に向けていたナターシャの目に、無意識だが暗い影が宿ってしまう。
「あの、どうかしましたか?」
そんな風にナターシャに見据えられたら、阿弥はいつまでも平静を保てる自信がなかった。
相手は正真正銘の軍人だ。
もしかしたら自分が犯人だと気付かれたのだろうか?
阿弥は胃がきゅっと締め付けられた。
「おい、ナターシャ!」
彰は自分の背中で庇うように、阿弥の前に立ちナターシャの視線を塞いだ。
「軍人がそんな怖い顔で睨んだら、普通の女の子は泣いてしまうぞ!」
ナターシャの態度を、彰は非難した。
阿弥はナターシャのことを心配しているのだ。
それを睨みつけるとは、どういう了見なのだろうか?
「そ、そうね。ごめんなさい、冬月さん」
「いえ。でも、大丈夫ですか?」
「優しいのね。私も冬月さんや奥村さんみたいに、普通の女の子として扱って欲しかったのかも。みんなと同じ年齢だから」
ナターシャは淋しげに微笑んだ。
通常、憂いを帯びた表情にはっとなるところだが、驚くところはそこではなかった。
「「「はっ?」」」
阿弥、杏華、涼一の3人は少し間を置いて、一斉に固まった。
絶対にナターシャは年上に違いないと思っていたのだ。
「俺も最初は驚いたよ」
彰は苦笑するしかなかった。
外人は、特に白人は大人びて見える。
「そ、そんなに驚く事ないじゃない!」
ついナターシャは声を荒げて、そっぽを向いて歩き出す。
割とショックを受けている自分がいた。
「あんなことで拗ねるなんて、十分普通の女の子じゃないか」
彰は顔を綻ばせて、ナターシャを追いかけた。
公園を出た辺りで立ち尽くしているのを見て、
「そんなにショックだったのか?」
彰は口中で呟くが、それはどうやら見当はずれだったようだ。
目を凝らせば、若い1組の男女が感情の削げ落ちた表情で、こちらに視線を向けているのがわかった。
あたから追いついた3人も、その男女の異様さに気付いたようである。
「高城、あれがマトリョーシカだな?」
それは疑問系ではなく、確認の意味で涼一は訊ねたのだ。
「そうだ」
彰は簡潔な返事を寄越した。
「ナターシャ・サフィーナ及び、藍涼一の両名を抹殺する」
マトリョーシカの口調は滑らかだが、無機質で全く感情が籠っていない。
外見が人間にしか見えない分、余計に違和感を覚える。
「公園に戻るわ。あなた達は逃げなさい」
第一線の軍人らしく、ナターシャは彰達を巻き込まないよう心掛けた。
「冗談だろう? 俺は精霊レンジャー課の人間だ。一緒に戦う。
ナターシャの意見を一蹴し、さっと彰は手を取り公園へ引き返す。
有無を言わせない彰の口調に、ナターシャはされるがままだ。
「まずは俺と涼一が1対1でやる。いいよな?」
彰は涼一に目で促した。
「俺も藍家の次期当主候補だ。降りかかる火の粉は払わないとな」
杏華にアピールするかのように、涼一はキリッとした顔になる。
わかりやすい奴だ。
だが、これでいい。
「ナターシャは俺と涼一のフォローを。杏華は周囲の警戒と阿弥のことを頼む」
てきぱきと彰は指示を飛ばす。
そういえば、いつも遊びの計画を練っていたものだ。
「そうだ! ナターシャは拳銃を持っているか?」
「持っているけど、マトリョーシカには通用しないわよ?」
「真上に向けて、2,3発撃ってくれ。そうすれば、公園から誰もいなくなるはずだ」
当たり前だが公園には、彰達以外にも人がいる。
精霊魔法が飛び交う戦闘では、何が起きるかわからない。
可能な限り彰は巻き込みたくなかった。
「なるほどね」
意図を察し、ナターシャは感心しながら拳銃の銃口を空へ向け、引き金を3回絞った。
公園に銃声が響きわたる。
これで逃げ出してくれるはずだ。
もし好奇心旺盛で公園に居残る人がいても、そこまでは面倒を見切れない。
例え被害者が出ても、
「そのときは、笑って誤魔化すさ」
彰はうそぶいた。
「来たぞ!」
2体のマトリョーシカが動いた。
注意を喚起した涼一はすでに印を結んでいる。
「抜かるなよ」
彰と、そしてナターシャもせわしく印を結び始めた。
まずはマトリョーシカが高速移動を開始する。
「氷結の罠!」
それに対して先手を打ったのは、ナターシャだ。
ほんの一瞬であるものの、2体のマトリョーシカは片足が、文字通り引っ張られた。
凍りついて地面と接着してしまったのだ。
無論、こんな小細工をマトリョーシカは力づくで引き剥がす。
ダメージは皆無だった。
それも当然のことで、あくまで足止めが目的だからだ。
再び高速移動を開始したとき、マトリョーシカは精霊魔法の直撃を受けた。
「稲妻の矢!」
男性型のマトリョーシカに無数の稲妻の矢が貫通し、
「炎熱の渦!」
女性型のマトリョーシカは炎の渦に包まれる。
彰も涼一も手持ちの精霊魔法の中でも、強力な部類のものを放った。
それでもマトリョーシカは動きを止めない。
廃工場のときは天候が味方したし、彰と戦う以前にダメージを受けていたのだろう。
「やはり生易しい相手じゃないか」
再び彰は印を結び始めるが、精霊魔法が完成する前に、水球と岩の塊が飛来する。
どうやらマトリョーシカのAIは近接攻撃を諦め、精霊魔法による攻撃を選択したようだ。
「任せて!」
こうなることを予期していた杏華が防御魔法を展開し、岩の棺で彰と涼一を守護する。
実戦経験がモノをいっているのか、杏華の精霊使いとしての能力は長足の進歩を遂げていた。
守りは杏華に任せて、彰と涼一は攻撃に専念する。
雷鳴が轟き、業火が焦がし、、大地が揺れ、濁流が巻き起こった。
辺り一面、精霊魔法が乱れ飛ぶ修羅場と化す。
このまま状況が推移すると、生身の彰達の方が先にガス欠に陥りそうだった。
精霊魔法を行使する度に、精神がヤスリをかけられたように消耗していく。
今、彰達が対決しているマトリョーシカは対精霊使い用に、反精霊魔法皮膚が肌に貼られていた。
代わりに、やや物理攻撃に対する強度が劣るという欠点もあるが、現在のところその選択は奏功していた。
現状、旗色はマトリョーシカが優勢なのだ。
彰も涼一も、そして杏華でさえ戦況を打開する術を持っていなかった。
そんな中、唯一動きえたのがナターシャだ。
精霊魔法が飛び交う中を掻い潜り、マトリョーシカの背後に忍び寄る。
マトリョーシカのAIが彰と涼一の精霊魔法に対抗するのに、演算機能を割かざるを得なかったせいか、ナターシャの行動に対応できないでいた。
そうでなければ、易々と接近を許したりはしなかっただろう。
「氷刃の腕!」
見た目にも氷の剣と化した右腕で、ナターシャはマトリョーシカの首を撥ねた。
反精霊魔法皮膚が、最後の最後で裏目に出た格好だ。
意外にも、直接攻撃で決着がついた。
「ここまで自立した暗殺兵器だと、何も手がかりが得られないわね……」
ナターシャの端正な唇から、歯ぎしりの音が漏れた。
倒れているマトリョーシカをいくら調べても、犯人に繋がる物は何も出てきそうにない。
「これだけの兵器なら、いくら金を積んでも欲しがる輩は、後を絶たないだろうな」
彰は腕組みをして考え込む。
それほどまでの性能なのだ。
「どうやら私も、標的にされてしまったようね」
「俺もかよ……」
ナターシャと涼一が渋面を浮かべている。
それはそうだろう。
暗殺のターゲットにされて、心穏やかでいられる人間がいたら、お目にかかりたいものだ。
「それにしても、みんなは本当に高校生なの?」
気を取り直し、ナターシャは碧い瞳で彰達をじろりと見回した。
「高校生でマトリョーシカと互角に戦えるなんて、信じられないわ」
「俺達からしたら、同じ年齢の奴が軍人を務めている方が、よっぽど信じられないけどな」
彰の言葉にうんうんと杏華と涼一はしきりに頷く中、阿弥だけが浮かない顔をしていた。
「怖かったわよね?」
そんな阿弥の肩に、ナターシャはそっと手を添えた。
「はい……」
しおらしく阿弥は沈んだ顔をした。
これは演技ではない。
目的を達成できなかったばかりか、貴重なマトリョーシカを2体も失ってしまったのだ。
マトリョーシカの製造には莫大な資金と資材が必要だった。
おいそれと量産できない。
阿弥は失望を禁じ得なかった。




