外伝 アナスタシア事件 ~その7~
「そうか、高城と奥村さんは、あの事件の生き残りなのか」
「生き残りって」
「すまん、当事者だな」
涼一は息を呑んだ。
アナスタシアのマトリョーシカには、藍家に縁のある精霊使いを何人も殺されている。
虹七家でも問題視されていた。
「藍家の方で何か情報を掴んでいないか?」
「残念ながら。あのマトリョーシカを倒しても、何も出てこないしな」
「藍家の当主候補でも、さすがに無理か」
特に嫌味というわけではなく彰は反射的に口にしたのだが、涼一は唇をへの字にして、むっとした。
どうやら彰は地雷を踏んだらしい。
「分家筋で同世代の奴が、自分より格上の精霊と契約を交わしたことが、そんなに悔しいのか?」
ずばり彰は涼一が拗ねている原因を突きつける。
藍家の次期当主候補は現在、その分家筋の人間だった。
精霊レンジャー課にいると、嫌でも様々な情報が流れてくるのだ。
「な、なぜそれを……?」
「藍家直系の自分を差し置いて分家の人間が当主になったら、そりゃあ面白くないよな。だからといって、ストレス発散のために弱い者いじめをするようでは、それこそ器量が疑われるぞ?」
「うっ……」
痛いところを突かれ、涼一は臍を噛む。
「契約精霊の差が精霊使いの差じゃない。現に俺の契約精霊はハオカーだ」
「ハオカー? カーバンクルじゃないのか」
「ああ。雷の亜種精霊だ」
彰はにいっと笑った。
雷獣と火トカゲ(サラマンダ―)では、ハオカーのが格上だ。
「契約精霊ではなく、本人の努力次第ということか」
彰の言いたいことを理解し、涼一は目から鱗が落ちた気分だった。
「そういうことだ」
「ち、偉そうに。嫌味な野郎だ。どうして奥村さんがこんな奴を選んだのか、不思議で仕方ない」
「……? 別に俺と杏華は付き合っているわけじゃないぞ?」
「あ~、はいはい」
手をひらひらさせて、涼一は右から左へと聞き流す。
別に付き合っていなくても、杏華が彰を想っているのは間違いないのだ。
しかし、杏華がフリーと聞いて、ほっとしたのも事実だった。
複雑な胸中ではあるものの、涼一の2つ目の疑問も解消された……。
――再び、5年前。
当時小学生だった阿弥は、父の樹と並んで傍聴席に座っていた。
周囲の席には、ショッピングモールで命を落とした大勢の遺族達がいる。
この場にいる全ての人間の耳目が集まる中、裁判官が裁判の判決を下した。
「被告人、藍英明を無罪とする」
次の瞬間、若林弁護士と戸狩精神科医がガッチリと握手を交わす。
刑法39条。
・心神喪失者の行為は罰しない。
・心身耗弱者の行為はその刑を減刑する。
心神喪失と診断結果を出したのが戸狩精神科医で、その精神鑑定に沿って藍英明の弁護を行い、無罪を勝ち取ったのが若林弁護士だった。
その2人が藍家の当主である藍彩花のもとへ赴いて談笑している。
当時の阿弥には何を楽しそうに話しているのか、まるで理解できなかったが、今ならわかる。
藍家に、正確には虹七家に取り入ることにより、己も権力の一端に組み込まれるのだ。
自身も権力者になるという輝かしい未来に思いを馳せ、愉悦に浸っている顔が、阿弥には忘れられない。
「こ、こんな裁判間違っている!」
遺族の1人がたまりかねて声を上げた。
それが導火線となり、遺族たちの不満が一気に爆発した。
遺族の集団が一斉に押し寄せ、法廷の仕切りを乗り越えようとする。
阿弥も今の年齢だったら、一緒になって突っかかっていたはずだ。
警備員達が必死に打ち寄せる人の波を食い止める。
ただ父の樹だけは阿弥の手を握りしめ、じっと藍英明を見据えていた。
見えない何かに耐えながら。
法廷の混乱は収まる気配をみせない。
這う這うの体で藍彩花、若林、戸狩の3人は法廷から抜け出し、被告人の藍英明はまるで護衛されているかのように警察官に連れられ退廷した。
「阿弥、すまないね」
樹の全身に焦燥の色が湛えられていた。
このとき、父は復讐を決意したようだ。
自分の娘を犯罪に加担させることに罪の意識を感じたが故の、謝罪だった。
廃工場での戦いぶりを見て、阿弥は予感していた。
間違いなく高城彰が自分の目的を達成する障害になると。
彰は風間優と沢村慎二の仇を討とうとするだろう。
それはすなわち自分と敵対することを意味していた。
阿弥は眉間に深い皺を刻む。
彰はあまりにも自分に近しい存在だ。
きっと阿弥の目的に辿り着く。
気付かないはずがないのだ、精霊と契約を交わしたばかりでマトリョーシカを粉砕してしまうほど優秀な男が。
だから阿弥は決心した。
彰と敵対関係になる前に、自らの手で復讐を成し遂げると。
阿弥は計画を前倒しすることにしたのだ。
手始めに、弁護士事務所を訪れていた。
「お久しぶりですね、若林先生。かれこれ5年ぶりですか」
狂気に取り憑かれている阿弥は、凄絶な笑みを浮かべた。
とても17歳の少女とは思えない形相だ。
「ご、5年ぶりだと?」
若林と呼ばれた恰幅のよい弁護士が、恐怖のあまり身震いしていた。
いつも事務所でふんぞり返っているのを目にしたことがある者なら、とても想像できない姿である。
それも無理からぬことだった。
すでに事務所の事務員が3体のマトリョーシカによって、全員惨殺されていたのだ。
それは近未来の若林の姿でもある。
「AIを搭載したロボットが人を殺したら、法律的にはどうなるんですか?」
「そ、そんなこと、知るわけがないだろう!」
「弁護士の若林先生でもわからないということはぁ、ロボットで人を殺し放題ということぉ?」
阿弥の瞳は恍惚の色を帯びていた。
「く、狂っている、君は狂っている!」
「そっかぁ。私、狂ってるんだ。でしたら5年前に精霊魔法で人を殺めた犯人と同様に、私が人を殺しても刑法39条で守ってもらえますよね、若林先生?」
「5年前? 精霊魔法? 刑法39条? き、君は、まさか、あの無差別殺人事件の……」
全てを思い出したとき、若林は自分が助からないと悟った。
「狂った人間に殺されるのって、どんな気分何でしょうね?」
病的なまでに狂いつつある阿弥は、つかつかと若林に歩み寄り、
「若林先生にプレゼント」
カバンからボーリングのボールほどの大きさの物体を取り出し、それを手渡した。
「ひ、ひぃいいいいいいいいいいいいいいいっ!!」
それは人の頭だった。
「精神科医の戸狩先生は、どんな気持ちで死んでいったのかなあ?」
頭を横に傾けニコニコと阿弥は微笑むが、その大きな瞳からは全ての色素が失われていた。
「せ、精神科医である戸狩の鑑定をもとに裁判を進めたんだ。そ、それに被告は藍家の人間で、刑に処したら、あ、後で報復があるかもしれない」
若林は必死で自己弁護に努める。
それを阿弥は冷めた目で見ていた。
「藍家からの圧力に、屈してしまったのね」
「そ、そういう訳では」
「心配しなくていいわよ。どのみち藍家も潰すから。それに若林先生は、どうせここで死ぬんだし」
突き放したように言い、阿弥は顎をしゃくって合図を出した。
3体のマトリョーシカが一斉に動き出す。
「――――っ!」
若林は悲鳴をあげる間もなく息絶える。
「あと1人……」
死体に視線を落とした阿弥の呟きは、冷たく部屋にこだました。
「彰君、申し訳ありませんが、今すぐ出てこれますか?」
携帯越しでわからないから彰は思い切り渋い顔をした。
着信は日南からだ。
「ちょうど学校が終わったところだから、別に構わないが」
それでも彰は色よい返事をする。
「それはよかった。マトリョーシカによる殺人が起きました。それで意見を伺いたいのですよ」
「わかった。で、どこに行けばいい?」
彰としてもマトリョーシカ、さらにいえばそれを操るアナスタシアの情報は喉から手が出るほど欲しかった。
「助かります。では……」
日南は場所を指定し、電話を切った。
何となく一方的な気もするが。
「何かあったの?」
並んで歩いていた杏華が、不安な面持ちで訊ねた。
「日南さんから呼び出された。マトリョーシカによる殺人事件が起きたらしい」
「マトリョーシカって、廃工場のときの?」
「ああ。優と慎二を殺したロボットだ」
「私も行くわ。私だってマトリョーシカと戦ったのよ」
杏華の目には決意の色に満ちていた。
何を言っても無駄だろう。
「よし! ならば俺も一緒に行こう!」
突如、2人の間に割り込んできたのは涼一だ。
話を聞いていた、ということは尾行していたというのは白状しているようなものである。
「アナスタシアには我が校の生徒が3人も殺されている。それに藍家の人間も……。これは由々しき問題だ。藍家の当主候補として見過ごすわけにはいかない」
涼一の主張には一理どころか、百理あった。
しかし、その実は杏華と一緒にいたいだけというのが、彰には透けて見えてしまう。
「な、なんだよ、高城?」
「い~やあ~、別にぃ~?」
彰はにやにやと相好を崩した。
「言いたい事があるなら、はっきりと言ったらどうだ?」
「そうしたら涼一が困るだろう?」
「そ、それは……。いや、別に、大丈夫だ」
「ふうん。杏華、あのさ……」
「うわああああああああああああああああああああああああああっ!」
人目もはばからず涼一は喚きたて、彰の口元を押さえようとする。
きょとんとして2人の様子を眺めていた杏華だが、
「こういうの、何だか久しぶりね」
ふっと朗らかな笑みを浮かべた。
「そういえば、そうだな」
彰は感慨深い面持ちになる。
いかにも高校生らしい騒々しさは、2人にとって遠いものでは決してないのだ。
「ところで彰と涼一君は、いつの間に仲良くなったのかしら?」
杏華の素朴な疑問に、彰と涼一は互いの顔を見合わせ、どう答えようかと頭を悩ますのだった。




