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「───父さんに愛人がいることを知らされると、元々情緒不安定だった母さんは更に追い込まれた。そして実家を勘当されていた咬介の母親と咬介は生活に窮し、父さんを頼った。一時的ではあるが、空いていた部屋に住まわせてやることになったんだ。
僕は嬉しかったよ。兄弟ができるんだって。無邪気にそう思ってた。小さかったし事情も深く知らなかったんだ。
父さんは分け隔てなく正妻も妾も、僕たちにも平等に接しようとしていた。だがそれが、余計に母さんを追い詰めた。妾が正妻と同等の扱いを受けるなんて、納得がいかないのも当然だ。
父さんからの愛情も冷め切っており、追い打ちをかけるように現れた愛人とその子供。母さんは彼らに酷い罵詈雑言を浴びせ、与えられた部屋ではなくこの小さな部屋に二人を追いやった。
それだけでなく、僅か半月足らずでこの家からも追い出した。……後から聞いた話だと、その後咬介の母親はすぐ亡くなったらしい。その後咬介は行方が分からず、僕も父さんもどうすることもできなかった。……だから、咬介が僕を恨むのも無理ないんだ」
私はぎゅっと手を握り、先程の壁に彫られた落書きを思い起こした。
───愛スル咬介、ドウカ幸セニ───
きっとあれは、彼のお母さんの切なる願い。この部屋の誰にも見つからないような場所に忍ばせた、子を想う希望。
この部屋で、あの男とお母さんは、肩を寄せ合いながら、一緒に過ごしていたんだ───。
「……貴方が責任を感じることはないわ、……憂介」
「……ふふ、ようやくそう呼んでくれたね。今までずっとそうしてって頼んでたのに」
素直に体重を預けてきて、子供のような仕草で甘えてくる。途端に愛しさが込み上げてきて、ぎゅっと抱きしめる。憂介も座ったままの状態で、私の腰に手を回してきた。
最後にあの男は、憂介が先代の子供じゃないんじゃないかと言い捨てていった。獅子の眼を持ち、先代である優一郎様と生き写しで疑いの余地のないあの男と違い、開眼すらしておらず優一郎様と似ても似つかない憂介がそう疑われるのは、悔しいが仕方ないのかもしれない。
恐らく元老院派は、憂介こそが不義の子で、咬介を当代の正当な血筋とすることで、憂介たち保守派を一掃する気なんだわ。
小さく縮こまった憂介の後頭部を優しく抱き、背中をぽんぽんと叩いてやる。ありがとう、と震える声に、胸の奥がきゅんと鳴った。




