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おおかた下ごしらえはしておいたが、またすぐ夕飯を作るために部屋を出なくてはいけない。しかも、急に男一人分増えたため、自分の分がなくなってしまった。後で簡単な軽食を買いに行かないと。
ベッドの上で横になりながら、先ほどのことを思い出す。憂介様とあの男───咬介は、今にも一触即発しそうな雰囲気だった。正妻の子と妾の子なのだから仕方ないのかもしれない。しかし憂介様は彼に負い目があるのか、この屋敷内で一番いい客間をあてがった。だというのにあろうことかあの男は、荷物を運び入れて貰った後礼も言わず部屋に入っていったまま、なんの音沙汰もない。
寝返りを打って天井を仰ぎ見た。今後のことを考えると嫌な予感しかしない。私の望みは、憂介様がこれからも幸せに過ごせること───。そのための不穏因子となりかねないあの男を、野放しにしておけない。
ガチャッとドアが開く音がした。憂介様だろうか。部屋を訪ねてくれるは、久しぶりだ。
「憂介様?」
声をかけ上肢を上げると、そこにいたのは憂介様ではなく、白い煙……それも、先きほど嗅いだ、あの男が吸っていた煙草の煙だ。そして薄らいだその中に、あの忌まわしい男が立って居た。
「え!?な、何!?なんで!?」
慌てて後退りする。咬介は、上から下まで値踏みするようにこちらを見つめ、クックッと喉を鳴らし笑った。
「あの野郎かと思ったか?」
「な……!で、出てってください!ここは私の部屋です!」
咬介は構わず、つかつかと寄ってきて勝手にベッドに腰を下ろした。そのままタバコの煙を私の顔に吹きかけ、思わず咳き込んで咽せた。
「ちょっと何するのよ!」
「ここがお前の部屋だと?違うな。ここは元々俺の部屋だった」
「え?」
「ガキの頃、半月程度この家に住んだことがある。そのときに過ごしたのが、この部屋だ」
懐かしさに浸っているのか、咬介は周りを見渡すように部屋を眺めた。ちょっと驚いたが、当代のご落胤とあれば、この屋敷に来たことがあってもおかしくはないの……かな。
だけど、こんな狭く質素な部屋を子供にあてがうだろうか?今では使用人部屋として私が使うような部屋で、他の客間と比べても壁紙も古く、窓の建て付けも悪い。他の部屋と比べたら物置と同じくらいの広さの粗悪な部屋だというのに。
「冗談でしょ。仮にも紅獅子の血筋の者が───」
鋭い目つきで睨まれ、グッと飲み込む。正妻ではない、妾の子供の扱いはこんなものだったのだろうか。いやそもそも、本当はご落胤というのは嘘で、財産目当てでやって来た詐欺師なのかも───。
「狭ぇ部屋だな。昔は、二人でも充分だと思ったのに」
「二人?」
咬介は口を滑らせた、という顔をし、煙草をベッドの梁に押し付け火を消すと、
「お前、あの野郎の手付きか」
鋭い指摘に肩を強張らせた。この男は、私と憂介様が関係していることに気付いている。そんな。どうして。とにかく否定して誤魔化さなくては。
「なッ……!ち、違います!」
「さっき部屋に来た俺をあの野郎だと思ってたろ。普段から部屋に招き入れてんだな?」
しまった。迂闊だった。
「……憂介様と私は、ただの主人とメイドの関係です」
毅然に言い放つ。
「同じ屋敷内で男と女が過ごして、そりゃないだろ。タダ同然で手を出せる女がいるのにのに何もしないなんて、アイツが単に不全野郎ってだけか」
思わずカッとなり頬を叩こうと手を振り上げた。しかし簡単に掴まれて制止される。
「まぁお前みたいなチンクシャ相手じゃあ勃たねぇな」
「な、な……!」
恥ずかしさと屈辱に肩を震わせる。そのとき、騒ぎに心配したのか憂介様がやって来た。
「憂介、様……!」
「何してるんだ。美夜。早く夕飯の支度をしなさい」
いつもと違った冷たい態度に、一瞬胸を突かれたような痛みを感じた。だけど、憂介様はあくまで主従の関係を強調し関係を悟らせないようにしてくれているのか、そのまま続ける。
「兄さん、貴方も貴方だ。軽々しく女性の部屋に入るもんじゃない」
「その兄さんてのやめろ。俺はお前の兄じゃねぇ。それに、この部屋は元々俺の部屋だった。そうだろ?」
咬介は再度煙草に火をつけ、口角を上げ笑う。
「それを、お前とお前の母親が追い出したんだったな?俺を今またこの家におくのはそのときの罪滅ぼしか?嫌なら追い出せばいいだろ。あのときみたいに」
フー、と長い煙を吐くと、
「それとも、出来ねぇ理由があんのか?例えば、お前が当代の子供じゃないとか───」
「……ッ、兄さん!!」
怒号に一瞬静寂が訪れると、憂介様は立て直し、
「……では、これからは咬介と呼びます。この屋敷の主人は今は僕だ。住む当てがないというから置いてやっただけのこと。これ以上傍若無人な態度を晒すなら出て行ってもらっても構わない」
咬介はフンと鼻を鳴らすと、ベッドから立ち上がった。改めて憂介様と並ぶと、細身で誠実さを絵に描いたような憂介様とは対象的で、大柄で筋肉質、チンピラのような服を着た咬介は、悪党そのものだ。
咬介は煙草を部屋に投げ捨てると、大きな音を立て扉を閉め出て行った。煙草にはまだ火がついており、慌てて拾うためにしゃがんだ。
その拍子に、ふと目線はベッドの足部分の壁にいく。そこに小さな字で何か彫られてあるのを見つけた。かなり古いものだが、小さすぎて今まで気がつかなかった。手を沿わせ読むと、
「───これは……」
「美夜、大丈夫か?アイツに何かされなかった?」
憂介様の心配そうな声に意識を戻し、ええ、と答え立ち上がった。憂介様は情けなさそうに眉を下げ、
「呆れているかい?───アイツが言ったことは、本当だ。」
息を呑み、続く答えを待つ。それはもしかして、憂介様は本当は、当代の子供じゃないということだろうか。
不安になりながらも急かすことなどせず、静かに憂介様からの言葉を待った。
「僕は───」
喉を鳴らし、決意したようにゆっくり話し出す。
「昔、彼と彼の母親を、この家から追い出したんだ」
憂介様はベッドに腰を下ろすと、話し出した。




