16-1
ずぶ濡れの状態で二人で屋敷に帰ってきた。すぐお風呂に入らないと、と言って湯張りに向かおうとすると腕を掴まれ、背後から耳元で囁かれた。
「───今夜、お前の心ごと奪う。覚悟が決まったら、俺の部屋に来い」
そう言って二階の部屋へと消えていく。
心ごと───。以前抱かれたときは無理やりで、互いの気持ちなど悲しいほどに蚊帳の外だった。だが今は違う。今度こそ、咬介に身も心も捧げることになる───。
私もそれを望んでいる。心も身体も全て繋がって、互いの愛を確かめたい。だけど───。
蛇口を捻り湯を溜めていきながら、ゆらゆらと揺れる水面を見て思いを馳せる。ここまできて今だに後ろ髪引かれるのは、逃避行の最中に置き去りにした憂介のことだ。大変な裏切りをしてしまった。彼は今、一人で途方に暮れているかもしれない。
それでも咬介を選んでしまった。自分の心の叫ぶままに傾れて、咬介に着いてきてしまった。憂介をこれでもかというほど傷つけて、それで手に入れるものに価値はあるのか───。
おい、と後ろから声をかけられて、湯が溢れていることに気づく。慌てて蛇口を閉めると、咬介は濡れた服をその場で脱ぎ出した。慌てて脱衣所から出ようとすると、
「なに慌ててんだよ。なんなら一緒に入るか?」
「〜!!は、入んないわよ!」
言い捨ててドアを閉めた。途端に寒気がしてくしゃみをしては身を震わせた。
ずぶ濡れの状態で、冷やしてしまったかな───。
タオルで全身を拭いていると、丁度玄関からドアを開ける音がした。息が止まりそうなほど驚き緊張していると、誰かがこちらへ進んでくる気配がする───。
「……ッ、憂介……!」
「……」
憂介は雨で濡れた髪から滴る雫を拭きながら、静かにこちらを見た。途端に罪悪感で心臓が跳ねる。
「あ、あの……憂介……あのね……」
口どもっていると、私の隣を無言で通り過ぎそのまま去っていく。
───話すことなど何もないと言われているようで、心がバラバラになるように感じた。だけど憂介はしばらく廊下を歩き、こちらに振り返ると、
「紫苑様に挨拶はできたかい?」
不意に問う。私は慌てて、
「いえ……もう火葬も済んでて……でも、手紙を受け取ったわ」
「そうか……僕も本来であれば参列しなくてはいけなかったな……」
静かに瞳を伏せながら言い、そして再度私を見据えると、
「……美夜、僕はやはり君を諦めきれない。君が咬介を選ぼうと、君を想い続けることは許してくれないだろうか。僕は何年でも何十年でもその時が来るまで、君を待つから」
尊い瞳で見つめる。優しくて朗らかで、厭わないからいつもどこかに傷を負う。そんなあなたを私は、こんなにも傷つけた───。
「呼んでねぇんだよ」
振り向くと、咬介がこちらを睨んでいた。急いで出てきたのか、濡れた髪のまま服も乱れている。そのまま黙って私の手を引き場から去ろうとすると、憂介がその背に向け叫ぶ。
「僕は君たちをまだ祝福できない。咬介、君とは近いうちに直接闘うだろう」
咬介は何も答えず自室に私を連れ込み、勢いよく扉を閉めた。濡れた状態で震えている私に気づくと、黙ってタオルを出してきては隣に座り、乱暴に拭く。
「……寒くねぇか」
拍子抜けするほど優しい声に、挙動不審になりながらうん、と返事する。時折触れる咬介の手が肌に触れる度、温かさで心地よいと感じた。
「脱げよ」
えっ、と驚いて返すと、濡れた服着たままだから冷えんだろうが、と言われ、逡巡しながらゆっくりと服に手をかけていく。じっと見つめられたままでひどく居心地が悪く、先ほど憂介と話したことで心に迷いが生じているのか、手は止まった。
「───おい、」
焦れた咬介から苛立ちの声をかけられ、それでもその先に進めない。
「私、やっぱりこのままじゃ……いけない」
ぽろぽろと涙をこぼし、手で拭いながら心の内を吐露する。
「どうしよう。憂介をたくさん傷つけた……全部、私のせいだ……」
その場にしゃがみ込み顔を覆う。しゃくりあげながら泣く私に、咬介は半ば呆れながらもただ何も言わずじっと見つめ視線を落とす。そして静かに口を開いた。
「───お前はまだ未熟だ」
私は肩を震わせ、泣きながら耳をそばだてる。
「憂介を放っておけないっていうお前の気持ちも、俺は責めることはできない。……この選択が正しいのか、きっとこの先何度も考えてしまうだろう。……憂介は何年でも何十年でも待つと言ってやがったが、俺はそんなに待てない。───今すぐにお前が欲しい。」
目線を私に合わせるように屈み、肩を掴んだ。
「今決めろ。俺を選べ。二度と迷わせはしない」
紅と碧の瞳は、涙越しに視線が絡み合う。
「憂介を傷つけた咎ごと、お前を護り業を背負ってやる。───愛してる」
強く抱きしめられた。濡れて冷えた身体は、咬介の体温で少しずつ熱を帯びていく。
小さい身体を強く抱きしめられながら、響く咬介の鼓動は逸り、感情が満ち満ちてゆく。
お前しかいらない。他にはいらない。
俺はお前だけが、ただ欲しい───。
急かすように激しい接吻から、痛いほど想いが溢れた。




