15-2
「……美夜」
憂介に名前を呼ばれハッとし気持ちを戻す。真っ直ぐ見つめられる瞳には困惑と焦燥が色濃く映し出されている。
───君はこれに心動かされ、咬介の元へ帰るのか───
そう問い質されているようで、ぎゅっと指輪を握りしめるだけで再度ポケットへ仕舞う。呼吸を落ち着かせ、動揺する気持ちを抑えた。
───私は憂介と共に行くの。心乱されない。咬介のことは忘れるんだ───。
「……大丈夫か、美夜」
僕と共に行くことに、後悔はないかという確認を孕んだ言葉をかけられた。
大丈夫よ、と小さく答え、俯く。見れば外は小雨が降り出しており、窓に水滴がかかっている。確かに動揺はしたけれど、咬介に拒絶された以上、離れるのが正解なんだ。私は、私を求めてくれる人の元で幸せになるんだ───。
「……僕がどうして今日この日を選んだか、知っているかい」
憂介が徐ろに問いかけた。視線は窓の外、荒れ始めた空を見ながら続ける。
「咬介が確実に君を連れ戻しに来れない日を敢えて選んだんだ。……今頃、彼は喪主として忙しくしているだろうからね」
「喪主……?誰か亡くなったの?」
憂介はようやくこちらに視線を戻し、困惑に揺れる翡翠の瞳を見つめながら言った。
「───紫苑さんていう、咬介の育ての恩人の方だ。昨日亡くなったらしい」
私は思わず手を口にやり絶句した。
───紫苑さんが……!?そんな……!
慌てて立ち上がる私のスカートの裾を掴み、俯きながら言う。
「卑怯な手段だったと分かっている。……だけど、惹かれ合う君たちを止める術がこれしか無かった」
絞り出すような声で懇願する。
「行くな、美夜」
車内は揺れ、窓の外も激しい雨風が吹き荒れている。手も足先も冷えて細かく震え出した。
紫苑さん、そんな、あまりにも唐突すぎる……。優しく送り出してくれたことも、嬉しそうに咬介のことを語ってくれたことも。何ひとつ忘れることができない思い出で、ついぞ咬介との関係を訂正することもなく逝ってしまわれた。
咬介はどうしているだろうか。大切な人を亡くしてひとり取り残され、悲しみの渦に溺れてしまっているんじゃないだろうか。
動揺している私を見て憂介は問う。
「美夜、君は……紫苑様を知っているのか?」
頷き、お見舞いに一度赴いたことを話した。憂介は目を伏せながら、
「咬介にとっての……育ての親であり恩人でもある紫苑様は、皆から慕われる優れた人格者だった。中立の立場を変えないため迫害を受けて紅獅子から離れた里に追いやられ、一人で住んでいたようだが……そうか。咬介は紫苑さんに美夜を引き逢わせたのか」
汽車は丁度駅に到着し停車した。憂介は掴んでいたスカートの裾を離し沈黙すると、顔を引き上げて再度問う。
「美夜、君はどうしたい?」
ポケットの中の指輪を握りしめ少し逡巡し、そして決意し、憂介の目を見据えた。
「───ごめんなさい、行かせて、憂介」
荷物は置いたまま、駅に停車中の扉へ向かい走る。ギリギリ降車できると、偶然にもその駅は以前病院に行った時に利用した駅だった。雨が降り頻る中どうするべきか、斎場の場所も何もかもわからないのに短絡的に飛び出してしまったことを後悔しつつも走り、病院へ向かう。
濡れたまま院内に入ると病室には紫苑の名前がすでに無く、片付けを行なっている看護師らしい女の人がいた。
「あの……」
雨で濡れた状態の私を見て看護師さんは驚きながらも親切に対応してくれた。タオルと傘を貸してくれただけでなく、葬儀場の場所を教えてくれる。礼を言い去ろうとすると、
「あの、代わりといってはなんですが、これを持ち主の方に返していただけますか」
そう言い、鈴を差し出した。
「前に紫苑さんのお見舞いに来てくれた男性が忘れていったんです。名前まではわからないのですが……紅眼の男性です」
紅眼、と言われ咬介だと咄嗟に理解した。しかし咬介はこんな鈴を持っていただろうか?私の表情を読んだのか、看護師さんは言った。
「いつも来られる咬介さんではない、もう少しお歳を召した方です。情報が少なくて申し訳ないですが」
鈴を受け取ると、封じ結びで繋がった紐がだらんと垂れ下がり、一目で高価なものだと分かった。咬介でないなら一体誰が……?と疑問に思いつつも、礼を言い、斎場へ向かうために病室を出た。




