15-1
とりあえず西へ向かおう、とだけ言うと、汽車に乗るべく切符を手渡される。切符を両手に持ちながら、咬介と共に紫苑さんに会いに行った日のことを思い出した。
ああ、あの日初めて汽車に乗ったんだ。初めてだったから緊張したけど、でもとても楽しかったし、今でもあの日の高揚感を胸いっぱいに思い出せる───……
ぼんやりとしたまま心あらずの状態の私を見て、憂介は少し苦笑いの表情になる。
「……咬介のこと考えてる?」
慌てて起きたように意識を戻すと、そんな事ないと必死に否定する。互いに向かい合わせの席に座り、荷物を足元に置くと窓の外に目線を遣る。
「───一雨きそうだな。濡れなきゃいいけど」
ポツリと言う。そういえば、前に乗った時は晴れ晴れするような快晴だった。気分も上がったし新緑の匂いが風に乗って、心が躍った。
今はただひたすらに暗く、このままどこまで逃げればいいのか、いつか連れ戻されてしまうのではないかといったことが頭をぐるぐると占拠している。
「……美夜、後悔してない?」
汽車に乗ってしばらく経過すると、憂介が不安そうにこちらを覗き見てきた。大丈夫よ!と言い返し気丈に振る舞う。私が暗い顔をしていたら、きっと心配かけてしまう。今はただ憂介と一緒にいられる幸せを噛み締めよう───。口角を上げて微笑むと、ふと憂介が思い出したように言う。
「そういえば美夜、西園寺珠代さんとは知り合いなのかい?君のことを何度も問われたんだけど」
西園寺珠代───。憂介の婚約者の、あの美しい女性のことだ。ううん初めて会ったよ、と返すも、変だなぁ、彼女は君のこと知ってたみたいだけど、と零す。
全く心当たりがないため思い悩んでいると、ふとポケットに何かが入っていることに気づく。
「あれ?何これ?」
銀色の小さなそれは、指輪だった。翠色に輝く石がついており、古いが高価なものであることがわかる。
「どうしてこんなものがここに───」
「その指輪は……!」
ハッとした表情を見せた憂介は、しまったとそのまま口をつぐんだ。
「知ってるの?これは何?誰のなの?」
私は身に覚えのないこの指輪を手に問い質すと、憂介はしばらく逡巡し、目を閉じた。そして決意すると、重い口を開いた。
「この指輪は……咬介の母君、百合子様の指輪だ」
ドクン、と心臓が跳ね上がる。
「……覚えている。それは僕の父が、百合子様に贈ったものだ。……どうしてそれが、ここに……」
憂介は指輪を見つめ、遠い記憶を思い起こし話し始めた。
「───まだ幼い頃、父からの愛情を独占できないことに母は憤り、そして父から贈られるものは只のひとつでも認めないとばかりに百合子様に喰ってかかり与えられたものを奪うようになっていた。
そしてその中の一つに、指輪があった。鮮やかに輝く翠色のエメラルドを冠した、銀の指輪───。何物にも替え難い唯一無二の宝石。それは父から心から愛する人に贈った指輪で、形式上の政略結婚で一緒になった母には宛てられなかった物だった。
欲しいものはなんでも父から貰い受けていた母だが唯一、父の心だけは手に入らないのだと知った、その指輪……。何度となく僕に盗ってこいと命じられたものだから、覚えている。
結局指輪は百合子様が肌身離さず持っていたのか、ついぞ僕も母も奪うことはできなかった。それが今、美夜の手の中にある───……」
咬介だ。咬介が、母君の形見といえる大切な指輪を、美夜に明け渡したんだ……。
咬介のことを思い、憂介は苦しいほどの切なさと焦燥感に襲われた。
───咬介。君はどうして、そこまでしておきながら、美夜を手放したんだ。───僕と行くことを許したんだ。




