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14-5


いつの間にか寝てしまっていた。私は泣き伏したまま寝落ちしてしまっていたらしい。連日疲れが溜まっていたためか、それとも先ほどのやりとりで参ってしまったのか───。ふと枕元の時計を見て肝を冷やした。もう夜の6時を回っており、とんでもなく長い時間寝てしまっていたことと、夕食の準備が全くできていないことに一気に冷や汗をかいた。慌てて部屋から出ると、憂介が椅子に座っており呆けたように遠くを見つめている。


「……どうしたの?明かりもつけないで……」


私に気づくと、一瞬暗い顔をした後にもう大丈夫なのかい、と言い、


「部屋をノックしたんだけどね、応答がなかったから……疲れてたみたいだしそっとしてたんだ」

長いこと仕事を疎かにして申し訳なく思い謝罪し、すぐ夕食を作る旨を伝えると、ふと、咬介の気配がないことに気づく。


「……咬介は?いないの?」

「……ああ。先ほど出て行った。……多分、今夜は戻らないんじゃないかな」


憂介はそう言うと立ち上がり、

「……今夜はどこかに食べに出かけようか。何がいい?」

「え?……ああごめんね、用意できてないよね私が寝ちゃってたから……」


「いいんだ。好きなもの食べよう。……あと、急で申し訳ないんだけど、明日この家を出ようと思う。美夜、共に来てくれるかい」 


思わず息を呑む。確かに急だが、悩まないでいいならそれでいいのかもしれないと思った。これ以上咬介の側にいると、気持ちが揺らいでしまう───。


私はうん、と俯き答えると、着替えるために部屋に戻る。食事から帰ったら、荷造りしなくちゃ───。トランクに大切なものを数個。必要なものはそれだけでいい。憂介とふたり、誰も知らない遠い場所まで行ってしまおう。咬介のことは───……咬介のことは、もうこれ以上考えるのを辞める。心乱されてしまうと、この決意を崩されてしまうから───。

口を固く結ぶと、メイド服を脱ぎ私服に着替えた。


翌日、私はひとりでベッドに座りながら物思いに耽っていた。今日出ていくことを思うと居ても立っても居られず、あまり寝られなかった。午後には家を出ると言われていたため、メイド服には着替えず地味なツーピースに身を包み部屋を眺めた。この部屋とも、今日でさよならだ。


───昨日は、結局咬介は帰ってこなかったな───。


さよならも言えず、最後に一目見ることもなくこの家を去るのかと思うと少し後ろ髪引かれる思いがある。だがそれでいい。これ以上何も期待してはいけないし、私たちはそういう運命だったんだ───。

小さなトランクを持ち部屋から出ると、丁度玄関から誰かが入ってくるところだった。トランクを隠す暇なく慌てていると、咬介がくたびれた様子で帰宅した。


「っ……!咬介……」

「……」


ジロリと姿を一瞥すると、咬介は何も言わずに部屋に戻るため階段を登って行った。その姿を下から眺めつつ、長いため息をついた。


───今日出ていくことを悟られたらどうしようかと思った。……トランクもあるし私服だし、もしかしたら気付かれたかもしれないけど、でも何も言ってこないし、大丈夫よね……?


心臓はバクバクと高鳴る。たとえバレたとしても、好きにしろとのたまったんだし何も後ろ暗いことはしていない。……はずだ。それにしても朝帰りするなんて一体何の用事だったのかしら。格好からして遊びに行ってたわけではなさそうだし……。


「美夜」

後ろから声をかけられ、驚いて飛び上がりそうになった。憂介が荷物を片手に立っている。


「準備してくれてありがとう。あと半刻ほどで出れるようにしておきたい。最後に少し私用を終わらせてくるから待ってて」


そう言われ、トランクは玄関に置いたまま、少しだけ屋敷内をうろつくことにした。直してもらったキッチン、掃除が大変だった大階段、いつも見守ってくれていた、大旦那様と奥様の肖像画───。そういえば、火に焚べられそうになっていたところを止めたこともあったっけ。あの頃は咬介と険悪で、絶対に追い出してやると思っていた。まさか、私の方が憂介と共に出ていくことになろうとは───。


私は先代夫人の肖像画を見上げながら、心の中で謝罪した。

憂介と共に何もかも捨て出ていくこと、お許しください……。

もし生きていたとすれば、やはり使用人との駆け落ちなんて許してもらえなかっただろう。誰からも祝福されない、あまりに自己中心的な逃避行……。俯いていると急に背後から口を覆われ、肩を抱かれた。いきなりのことで声も出せないでいると、嗅ぎ慣れた煙草の匂いが鼻を掠め、羽交い締めにされている。纏わりつくその腕は力強く、覚えがある。何度も、何度も触れた───。


「……!」

咬介、と呼ぶ声も口付けでかき消された。強く抱き押さえられ身動きは取れないまま、息つく暇も無いほどに舌を絡ませ奪ってくる。強引で、傲慢で、そしてあまりにも熱烈で一方的なキス。滴る唾液もものともせず、味覚も嗅覚も忘れさせないと記憶に植え付ける激しさで、思わず腰が砕けそうになった。息苦しさに胸を叩いて抗議しようやく剥がし止めさせると、お互い肩で息をし呼吸を整え、それでも視線はじっと互いに見つめ合った。


「……やめてよ」

小さく呟く。なんなの。勝手にしろと突き放しておいて、いざとなると惜しむように好き勝手する。そんな、都合のいい玩具のような扱いはやめて欲しい。そんな、私に、忘れられないようなキスでこの先を縛るのはやめて欲しい……。


今日出ていくことに気づいているのだろうか。最後に一目会いたいとは思っていたが、離別が惜しくなるようなことをされると決意はぐらついてしまう。

そのとき、丁度玄関から憂介の呼ぶ声がした。慌てて今行くと声をかけ、階段を降りようとした時、


「チンクシャ」


ビクッと肩を震わし制止する。


「……元気でな」


小さく震えながら拳を握り、溢れそうになる涙を必死に堪える。返事はせず、振り向きもせず階段を降りていく。


───さよなら咬介。……さよなら───

早足で駆け降りると、憂介が荷物を持って待ってくれていた。私の鼻が赤くなっていることに気づくも何も言及せず、手を差し出す。私も黙って手を取ると、扉を開け、静かに出て行った。

扉を閉めた後の音が余韻となりずっと響いていた。


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