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───はい、開いているよ。
返事が聞こえ、ドアを開けた。広く整頓された憂介の部屋。入るのは久しぶりだ。そこにかけて、と言われ椅子に腰掛けると、開けていたドアから続いて咬介が入ってきた。咬介は無作法にベッドに腰掛けると、了解も得ず煙草に火を点ける。
「……で、なんだ。早く用件を言え」
煙を吐きながら捲し立てると、憂介は真っ直ぐに私たちの目を見据えて言った。
「単刀直入に問おう。咬介、君は、紅獅子財閥次期後継者の座を今も変わらず目指しているか?」
しばしの沈黙。重い空気の中、咬介はようやく口を開けた。
「……それを訊いてどうする。そうだと言えば、お前はこの競争から降りるつもりか?」
憂介は神妙な面持ちで、
「……僕は、正直なところその座を君に任せたいと思っている」
「───!……」
咬介にそう告げたということは、前回私に言ったこと───……全てを捨てて駆け落ちすることは本気なのだろうか。私は思わず膝の上に置いた拳を握りしめた。
「僕の命は君に助けてもらった。……思えば、僕はあの時に死んだも同然なんだ。永らえた命で何ができるか考えたけど、ただ、僕は愛する者と平和に過ごせたらそれで充分幸せなんだ。……だから、君が望むなら、僕は───」
「気に入らねぇな」
遮るように言った。背中を丸め前のめりになりながら、眼光鋭く憂介を見据える。
「面倒ごとは全て人に押し付けて何もかも放棄するってか。ふざけんじゃねぇぞ」
咬介は立ち上がり部屋から出て行こうとする。申し出を拒否され動揺している憂介に向かって振り返り、
「次期総帥の椅子も今の立場も捨てるのはてめぇの勝手だ。好きにすればいい。だがな、その女は連れて行かさねぇぞ。そいつは俺の奴隷だ」
「───!」
心臓は強く打ち緊張が奔る。憂介が私を連れてここから去ろうとしていること、咬介は全て把握している。
おいチンクシャ行くぞ、と言われ、私は反射的に立ち上がった。すかさず憂介は叫ぶ。
「咬介!……僕は、もう何も望まない。次期総帥の座も、この家の主人としての立場も。……でも、美夜だけは駄目だ。彼女は僕の全てなんだ。君には譲れない」
憂介の一途な言葉に反論するように、
「譲るもクソもねぇ。こいつは俺が貰い受ける契約を自ら結んだんだ。それに紅獅子財閥もお前の地位も、お前から奪うことがあっても譲って貰おうなんて考えちゃいねぇよ」
咬介は強く私の腕を引き、共に来るよう促す。引き攣るような感覚に痛い、と零すも、容赦なく扉を開け部屋から出る。
「きゃっ……!」
鈴のような声と花の香りが鼻を掠めた。見ると、廊下にひとり嫋やかな女性が佇んでいた。突然扉を開けて私たちが出てきたため、驚かせてしまったようだ。
「あ、貴女は……」
吸い込まれるような漆黒の瞳と艶髪。菫の花のような慎ましさを携えたその女性は、先日大勢の人の前で紹介された、憂介の婚約者。
「珠代さん……!?い、いつからそこに……」
憂介はその場にいるはずのない彼女の姿に驚いた。珠代さんは動じず、
「呼び鈴を鳴らしたけど壊れていたみたい。今日約束してたでしょう?だから勝手に入ってきちゃった」
緊迫した三人の状況など関与せず、朗らかに笑う。咬介は私の腕を引き自分の部屋へ帰ろうとしたその刹那。すれ違い様に、珠代さんはハッとし、私を呼び止めた。
「あなた……」
憂介の婚約者に止められ、ビクッと肩を強張らせた。遠慮がちに振り向き挨拶する。
「は、初めまして……ここで使用人として働かせて貰ってます、鈴代美夜です」
「……」
「……どうかしましたか?」
憂介が問う。行くぞ、と言い捨て、咬介は私を連れて部屋へ戻った。珠代さんはじっと私を見つめ見えない角度で拳を握っていたが、気付かなかった。
残された憂介と珠代は二人の背中を目で追っていたが、扉が閉まるとようやく意識を戻し、
「あ……珠代さん、応接室へどうぞ。茶を持って行きます。今日はどういった要件でしょうか」
「あ、ええ……ありがとう。特にこれといった用はないのよ。でも結婚するなら、お互い親睦を深めたいと思って……」
言いながらもどこか意識は別のところにある。憂介は部屋へ案内しながら先ほど話していた内容を聞かれたかもしれないと思い、肝を冷やした。
───断る縁談だとしても、関係のない人間を傷つけていいわけない───。
珠代をソファに座らせ、茶の用意をと美夜を呼ぼうとしたが、咬介と共に部屋に入ったことを思い出し自分で淹れようと台所へ向かった。




