13-2
「……憂介……」
「美夜、こっちへ」
手を引かれ、人気の少ない死角となる場所へと連れて行かれた。周りに誰もいないことを確認すると、憂介は私の手を握り言った。
「……僕も知らなかったんだ、彼女が来ること……驚かせてしまってすまない」
私は口を閉ざし、瞳を見れない。掴まれた指先がとても冷えていく。
「叔父さんがどう言おうと、僕は彼女と結婚するつもりはない。……愛しているのは君だけだ。信じてくれ」
必死に伝えてくれるも、もう虚ろで声が聞こえていない。憂介は私の身体を抱き締めて言った。
「美夜……!僕と逃げてくれないか」
ようやく意識を戻し、私は憂介の言葉に反応する。
「……逃げる?」
「ああ。僕はもう敷かれたレールの上を歩む人生にはうんざりだ。紅獅子なんて捨てたっていい。僕には君がいればそれでいいんだ!」
縋るように体重を預けてくる。病から回復したと言っても、以前より痩せて頼りない体躯。心細くて心許なくて、思わず抱きしめ返したくなった。
「でも私は……貴方の側に居られる資格はないの。だって私は───」
「咬介に抱かれたから?」
ビクッ、と身体を震わせる。あの日以降咬介に肉体を求められたことはないが、それでも一度でも抱かれたことで憂介を裏切ったことに変わりはない。
「そんなことは関係ない。いつまでも君は綺麗なままだ。……それに、僕は正式に紅獅子の当主になってから君を迎え入れたいと思い、君を抱けなかっただけだ……もし許されるなら、君を僕のものにしたい。そしてそのあとは永遠に離すつもりはない」
強く言い放ち、真っ直ぐにその姿を見つめる。
「またみんなで一緒に食事を摂ろう。あの時のように過ごしたい。美夜、僕のところへ帰って来て。僕は君が居てくれれば、もうそれだけでいい」
縋るような言葉に、体が金縛りに遭ったように動かない。
「───愛しているよ、美夜」
不意に、唇を重ねられた。冷たくて、夜の味がした。そしてそのまま、憂介は走って持ち場に戻って行った。私はその場所にひとり取り残され、頬を凪ぐ風に思いを馳せた。
取り残された場所からしばらく歩いて庭へ出ると、頭を冷やすように徘徊した。噴水の腰掛け部分に座り、辺りを眺めた。どうやら会場ではダンスが始まったのか、美しい音楽が漏れ聞こえて来る。
───幼い頃は、童話の本のお姫様と王子様に憧れたりしたな───
煌びやかな衣装に身を包み、優しく手を差し伸べて王子様が微笑む。お姫様は美しく微笑むとその手を取って、そしてふたり音楽に身を任せ軽快に踊る。
いざ自分の身になると、ドレスは綺麗でも自分は汚い。足も靴擦れで上手く歩けないし、王子様には、既に相応しくて綺麗な別のお姫様がいる───。
心に落ちた重い鉛の感覚に押し潰されそう。せっかく憂介が今の私でも構わないと言ってくれたのに、どうしてか心の底から喜べない。それは身分の違いで結ばれない恋を、婚約者を大々的に発表されたことで再認識したからだけではない。
───私の中に、大切な人がもうひとりいる───。
靴擦れに貼った絆創膏を指で摩りながら見つめる。赤い血が滲んでるが、優しく痛みから私を守ってくれており、そしてこれをくれたあの男に想いを馳せた。
もし憂介と共に全てを捨て、この地から去ってしまったら……。
そのとき、咬介は、怒るだろうか。私に失望するだろうか。
いや、そんなものじゃない。きっと私を憎んで一生許さないかもしれないし、軽蔑されるだろう───。
ふと、目の前が暗くなり顔を上げると、胸を煩わせている原因である咬介が物言わず立って影を作っていた。思わず顔を強張らせる。
「咬介……!」
そういえばダンスのときはバックれる、と言っていたことを思い出す。おもむろに咬介はポケットから何かを取り出しこちら側に投げた。受け取ると、それは部屋の鍵のようだった。
「え……なに?これ」
「さっきお前が入ろうとした部屋の鍵だ。あそこに黒烏刀がある」
心臓が強く胸を打つ。目を大きく見開き、咬介の目を見つめる。どうして刀を捜していることを知っているだろう。
「……右近たちは俺が足止めしておく。刀をどうするか、てめぇが決めろ」
そう言い残し、踵を返し去って行こうとする。混乱しながら必死にその背中に向け叫ぶ。
「ちょっ……!そんな、だって、そんなことしたら……!」
咬介が手引きしたことがバレたら、きっと右近たち元老院派に糾弾され、咬介の立場も危うくなるだろう。なのに、何故───。
「お前がどうするか、俺は止めない。好きにしろ。……ついでにあの野郎の元に帰りたければ帰れ」
「……!」
去り行く背中を追いかけようとし、靴擦れの足が痛んで転びかけた。その衝撃でヒールは折れ、無惨な状態になる。
「ちょ……!待ってよ咬介!」
叫ぶも、咬介は聞こえていないように先へと進み、もう姿も見えなくなった。
あの野郎の元へ帰れとも言っていたが、もしかして、先ほどの憂介とのやりとりを見られていた───?
もう私は用済みで、咬介専任のメイドになる契約も解除するということだろうか。
愕然としながらも手には無骨な鍵が握られており、どうすればいいのか狼狽える。咬介はどこまで知って私にああ言ったのか。もし、私が刀を奪うように言い遣わされていたことも、憂介と共に駆け落ちしようとしていることも知っているなら、それは咬介に対する酷い裏切りだ───。
なのに、それを止めないで、どうするのかを私に決めさせようとしている。
どうして……?理由もわからないまま、ただ部屋の前まで来てしまった。周りには誰もいない。ロマンチックな音楽だけが遠くに響いている。鍵を回すとガチャリと音がして、静かに扉は開いた。中は薄暗く、月明かりだけが道標のように中を照らしてくれている。素早く中に入り扉を閉め、辺りを見渡すと、刀架に置かれた黒烏刀が月明かりに照らされキラキラと輝くように置かれていた。神聖なその姿は、触ることすら躊躇ってしまうほど美しい。
───咬介の黒烏刀を奪取し、紅獅子の屋敷に戻す───
そうすれば、紅獅子財閥の正統後継者として時期総帥は憂介であることが確立され、私は咬介から解放される───。
私は、刀を手に取った。




