10-5
目を覚ますと、私はベッドの中におり見慣れた自室に帰ってきていることに気づいた。辺りは暗く、何時かはわからないが夜中のように静まり返っている。体を起こすと寝着に着替えており、痛む顳顬をさすると、すでに手当されてガーゼが当てられていた。
途中から気を失ってあまり覚えていないが、襲われそうになっていたところを侘助さんたちに助けられ、咬介が駆けつけたところで安心して意識を落としたんだ。きっとそれでここまで連れて帰ってきてくれたんだろう。
自分から飛び出して家を出たはずなのにこの体たらく。情けない。いずれ荷物を取りに帰らねばとは思っていたが、こんなにも早く帰ることになろうとは。ふと隣を見ると、椅子に座りながら咬介が寝息を立てていた。まさか、私の側でずっと様子を伺ってくれていたのか。信じられないが、助けに迎えにきてくれたのも確かに咬介で、何故この人はここまでしてくれるのかと混乱した。
寝こける頬に手を伸ばしながら、蚊の鳴くほどの小さな声で、ありがとう……と呟くと、いきなり抱き留められその広い腕の中に捕まえられた。驚きもがきながら、
「ね、寝てたんじゃないの!?」
「……」
伝わる鼓動と吐息で起きていることは分かったが、咬介は動かず何も答えようとしない。苦しさに身を捩り逃れようとすると、
「……馬鹿女。無鉄砲で後先考えられない間抜け。俺が来なかったらどうするつもりだった」
私は答えず、黙ったまま突き飛ばして咬介から離れると、無言で荷物をまとめていく。おい、何してる、と言われ向き直ると、
「遅かれ早かれ荷物取ったら出ていくつもりしてたわ。もう居られない。お世話になりました」
そう言って乱暴にトランクに荷物を詰めていくと、その手を掴まれ制止された。
「誰がそんなことしていいって言った」
「離して。もう貴方のメイドなんてやってられない」
「契約を反故にするつもりか。さっきも助けてやったのは誰だと思っている」
私はカッとなり叫んだ。
「だったらなんであんなこと言ったの!憂介の前で……!酷い。あんまりよ。絶対に知られたくなかったのに……!」
はずみで涙が止まらなくなり、まるで子供のように声を上げて泣き出した。もう何も考えられない、考えたくないほどに、混乱してしまっている。消えてしまえたらいいのに。なのに、それをこの人は許してくれない。
咬介は私の後頭部を掴み、そして自らの胸に埋めた。ちょっと、苦しい、離して!!と言っても腕を緩めるつもりはないようで、息苦しいがその腕に捉えられたまま身動きが取れず、やがて涙で咬介のシャツが濡れ色が変わろうとも、その体制を変えない。
「お前が居なくなることをこの先俺が許すと思うな」
「……ッ、嫌い!!あんたなんかッ……!大嫌いよ!!」
胸を叩きながら私は叫ぶ。咬介はすかさず言う。
「俺を恨めよ」
耳元で、低い声が響く。
「恨みでいっぱいになって、あの野郎のこと考える隙もないくらい俺で満たせ。そしていつか俺を殺せ。」
涙で濡れた瞳で言葉の意味を考えるも、咬介は私を抱きしめたまま顔を見せることなく続ける。
「俺を恨むことを生きる理由にしろ。……俺がいる限り、勝手に消えようとするな」
むせかえる煙草の匂い、大人の男の逆らえない力強い腕。私を揺るがす低くてしゃがれた声。簡単に落胆させる言葉。そして、一度見ると忘れられず心に居座り続ける、紅水晶の瞳……。
どれだけ恨んで嫌いだと言っても、あの時確かに私が助けを求めたのは、憂介ではなく咬介だったのだ。
「嫌い……あんたなんか……!大嫌い……!」
しゃくりあげながら、静かに流れていく涙と共に、胸を乱暴に叩いていた両腕はいつの間にか咬介の背中へと回っていた。その手は強く強く、存在を確かめるようにしがみつく。
本当は死ぬほど怖かったし、あのとき咬介の煙草の匂いを感じ、助けに駆けつけてくれた紅く光るふたつの瞳を見た時、どれほど安心したか。軽口を叩いて自分が悪くなろうとするのに、その手を解くことなく此処にいろと私を縛る。
咬介の腕は手当しているものの血が滲んでおり、きっと私を助ける時にできたものだと推測する。自分が血を流し傷ついてでも、私を見つけ出して助けて護ってくれた。
わからない。この人が。
わからない。この腕を振り解けない理由が───。
私は身体を震わせ、ずっと泣き続けた。




