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目が覚めると、まだ薄暗い窓の外は霜が降りており、もうすぐ春だというのに寒い室内にぶるっと体を震わせた。昨日の嵐のせいで庭は荒れており、掃除が大変になるなぁとため息を吐いては起き上がる。
随分と昔の夢を見たな。ああ、小さい頃の憂介様、とっても可愛いかったな───。
顔を洗い黒のワンピースに手を通し、その上からエプロンを付ける。髪を後ろで一つにまとめ、変なところがないかを鏡でチェックして、準備完了。
紅獅子家の使用人の朝は早い。日が昇る前に起きて身支度を整えると、主人が起きてくる前に朝餉の準備を終えなければならない。数は、我が主人である憂介様、その叔父である優二郎様、そして自分の三人分だ。こんなに大きな屋敷なのに、住んでいるのがたったの三人だというのだから、豪華に意匠を凝らせた長テーブルに朝食を準備しても何処か侘しさを感じてしまう。
今日は山菜の炊き込みご飯とお新香と、味噌汁に野菜も準備して、鮭の塩加減は少し辛めがあの人の好み。鼻歌を歌いながら軽快にテーブルに並べて準備する。
壁にかかる鏡に目をやると、カチューシャを部屋に忘れたことに気づいた。ああ、また笑われちゃう。使用人部屋へ取りに行くべく、小走りで廊下を駆けようとした瞬間、恰幅のいい男とぶつかった。
「……おっと、危ないだろう。気をつけなさい」
「……!優二郎叔父様!大変失礼致しました!」
私は慌てて頭を下げ恐縮する。深茶色のスラックスと目が覚めるようなシミひとつないシャツにに身を包んだその男は、今は亡き紅獅子家先代当主の弟君である紅獅子優二郎様───普段は優二郎様とお呼びしている。海外へ出張が多いが、今は帰国しており、次の出発まではこの屋敷で過ごしているのだ。
「すみません、忘れ物を取りに行こうとして……」
「それって、これかい?」
ひょっこりと、優二郎様の後ろから顔を出して笑顔を向ける、憂介様。手には、私のカチューシャが握られていた。
「美夜の部屋にあったよ。本当にもう、おっちょこちょいなんだから」
スラリと伸びた長身、柔らかい物腰。癖のない黒の艶髪に、笑うと出来るえくぼが可愛い。いくら成長しても変わらない、私を見つめる優しい目つきと優しい声に、毎度のことながら温かい気持ちが胸に広がった。
私は顔を膨らませながらカチューシャを受け取ると、窓に映る自身を見ながらササっと装着させた。私たちのやりとりに、優二郎様は怪訝そうな顔をする。
「憂介。……お前、メイドの部屋に入ったのか?」
一瞬、背筋が凍る思いがした。
「……あ、いや、嘘嘘。本当は廊下に落ちてたのを拾ったんだ。前もそうだったんです」
慌てて取り繕う。私も続けて、
「私がよく落とし物をするので、憂介様が拾ってくれるんです。本当に失礼しました。さぁさ、朝食の準備ができてます。お茶淹れてきますね」
軽快に踵を返し台所へ駆ける。心臓はまだ跳ねたまま。コンロに薬缶を焼べるとふぅ、とため息をついた。憂介様を置いて行ってしまったが、大丈夫だろうか。上手く対応していてほしいけど。
今朝の夢を思い出しながら、物思いに耽る。憂介様は、本当に凛々しくご立派に成長なさった。背も伸びて、今では見上げて話さないといけないほど。あの泣き虫で幼く、私がついていてあげないと何もできなかった少年が、今や、ご立派に紅獅子家を継ごうとされている───。
二十三歳になった憂介様は、日々研鑽を重ね、帝王学を学び、大学校も主席で卒業された。武道の腕も師範代まで上り詰め、紅獅子家の家督を継ぐに相応しい器だと周囲を認めさせてきた。───但し、その瞳は未だ紅の眼の片鱗も見せず、漆黒の墨の眼のまま。
瞳以外は何もかも申し分ないと称されているが、紅獅子の名を冠する紅の瞳だけが体現しないことで、次期当主には相応しくないという者も多くいる。どれだけ武道の腕を上げようと、歳を重ねようと、瞳の色が変わらないことで稀代の闘神とまで称された前当主である、紅獅子優一郎様には遠く及ばないという。
ふと、鏡に映る己の姿を見る。歳の割に背も低く、お世辞にも美人とは言えない私の顔。その真ん中にあるのは、目の冴えるような、唯一無二の翡翠の瞳───。
この国の大多数が漆黒の瞳で、憂介様もその内の一人なのだが、紅獅子家の血統の者は二等位、三等位の者も多くいる。そんな中、孤児でありながら突然変異のような翠色の瞳を持つ私は、まだ物心がついていない頃からこの家に連れてこられた。
───"翡翠の乙女は星の祝福を持ち、紅獅子の家を栄えさせる"───
そんな古い言い伝えを信じた紅獅子家の人間たちがこぞって私を担ぎ上げ、未だ開眼の兆しのない次期当主の付き人とさせることで開眼促進を期待した。ゆくゆくは妾として迎えるつもりだったのかもしれない。ところが、私は星の祝福など発揮できなかった。片時も離れず側にいても憂介様を紅の眼に変化させてあげることなど到底出来ず、ただいたずらに時間を経過させただけだった。
二人揃って紅獅子の面汚し、お荷物、出来損ない───。そう言われ続け、私たちは、互いに傷を舐め合いながら、支え合って生きてきた。
「私に、憂介様をお守りできる力があればなぁ……」
星の祝福も使えず、何の力もないなら、こんな瞳など無くなってしまえばいいのに。
薬缶が音を立て湯が沸いたことを知らせると、慌てて意識を戻し、茶を淹れる。早く食卓に戻らねば。




