5-1
弥生の月も終盤になり、早春の兆しで凍てつく寒さも少しづつ落ち着いてきた。
白夜会が近づくにつれ憂介はスーツを新調したり、披露する剣舞の練習に勤しむなど、毎日が目まぐるしく過ぎていった。一方で咬介は毎日自堕落に過ごし、ふらりと出ていっては朝まで帰ってこない生活をしている。
部屋に忍び込み刀を捜すには絶好の機会ではあったが、前回のことがひっかかりあまり気乗りもせず、そもそも咬介は刀を別の場所へ保管しているのか、掃除の際に部屋に私が入ることも全く意に介していないようだった。
「はぁ。つまり、危険を冒して部屋に忍び入ったのは全くの無駄だったわけね……」
ため息をつきながらひとりごちた。今日も咬介の部屋に掃除に入ったが、脱ぎ散らかされた服や酒瓶、山盛りになった煙草の吸殻を片付けるのに時間と手間をかけさせられた。洗濯し終えた服を片付け、廊下を歩いていると、急に視界が暗くなった。誰かに後ろから手で眼を覆われている。
「もう。やだ、憂介」
そう言って手を振り放すと、にっこり笑って立つ憂介がいた。二人きりで話すのはなんだか久しぶりだ。
「お疲れ様。調子はどう?」
そう言ってきたが、当の憂介は日々の忙しさでよく寝れてないのか、クマもできてるしやつれているように見える。私の心配を感じ取ったのか、
「ねぇ美夜。───白夜会が終わったら、海に行こうよ。毎年君の誕生日に行っているだろう。今年は少し早いけど、色々終わったらお疲れ会も兼ねて」
にっこり笑い、手を取った。温かいはずの手は、いつもより少し冷たく感じた。
「僕、美夜の作ったサンドイッチが大好きなんだ。それ持って、海を見ながら散歩しよう。……伝えなきゃいけないこともあるし」
そうなの?と言い、素直に喜ぶ。
毎年、海へ連れて行ってくれるのが私の誕生日の慣わしだ。知り合いもいない遠い場所で、朝から夕方まで主人とメイドではなく、一人の男と女として過ごす。身分もしがらみもなく過ごせる特別な日と場所……。一年に一度のみ許された、二人だけの特別な日。
楽しみだなぁ、と胸が躍り、顔を緩ませた。
「……だから、白夜会を絶対成功させないとね。周りの人々に、ちゃんと僕を認めてもらわなくては」
気を引き締めるように言う。憂介なら大丈夫よ、と言い、そういえばと思い出した。
「その日、私も連れて行ってもらっていいの?こんな……ただの使用人の分際で」
「勿論さ。付き人として連れて行く分には問題ない。美夜用の着物も取り寄せてあるからね。当日、どうか僕を支えておくれね」
そう言って、午後の予定のためにまた部屋へ戻っていった。
私は家事の続きをするため、引き続き洗濯籠を持ち廊下を歩いていると、突然頭上からふわりとシーツを被せられた。
「もう。憂介、やめてったら……」
そう言い笑いながらシーツを取ると、現れたのは、煙草を持ちニヤニヤとしている咬介だった。思わず赤面し逃げようとするも、腕を掴まれ、そのまま壁側に追いやられてしまう。
「あの野郎じゃなくて残念だったな。屋敷内でイチャついてんじゃねぇよ」
「よ……余計なお世話よ!」
さっきまでのやり取りを見られていたんだろうか。身体中から汗が出てきて緊張する。咬介は私の姿を上から下まで嬲るように見ると、
「なんだお前。せっかく用意してやった服着てねぇじゃねぇか」
「あ……当たり前でしょう!?あんな丈が短いスカートの服で仕事できるわけないじゃない!大体優二郎様に叱られちゃうわ!」
「俺の専属メイドになれば解決すんだろ」
「だから!絶対ならないってば!!」
子供のように顔を横に背ける。咬介は笑いながら、
「へぇ。そんなにあの野郎がいいか。だがアイツの方はどうかな?」
「え?」
「白夜会に付き人としてお前を連れて行く、て言ってたな。それはあくまで主人と使用人としての立場は揺るがないってことだろ。恋人同士だってんなら、婚約者や結婚を考えてる女だと言って連れて行くとかあんだろうが」
───どきりとした。実は先ほど、憂介に付き人、と念を押すように言われたことに違和感を感じていたのだ。そしてそれを明確に指摘され、腑に落ちたと同時に傷ついた。
憂介は、紅獅子家の貴族である自分と、使用人である私とは住む世界が違うと線引きしている───。
「あ、あなたには関係ないじゃない……」
動揺を悟られないよう、咬介の腕から離れる。そのまま逃げようとすると、
「おい、いいもん見せてやる」
振り向くと、そこには目を見張るほどの長刀を手にした咬介の姿があった。漆黒の鞘に、二頭の鴉が装飾された鍔。そして一瞬のうちに鞘から外し、その切先を臨ませる。
目を奪われる、というのはこういうことを言うのだろう。あまりの美しさに息を呑み、時が止まったかのような錯覚を起こした。鈍色に輝く刀身、壮観に放つ覇気。紅獅子の御神刀の名に相応しいその姿は、禍々しさと神聖さを併せ持ったこの世に唯二つのみ存在を許される、紅獅子の御神刀のうちのひとつ、黒烏刀───。
思わず呆けていると、
「どうだ?これを奪いにまた部屋を漁りに来るか?」
と笑いながら言われ、私はとんでもない、と考えを改めた。とてもじゃないが、自分如きが触っていいものじゃない。さすが紅獅子の御神刀の名を白兎刀と分かつ一振だ。そして前に部屋に忍び入った目的もバレており、恥ずかしさでいっぱいになる。
「まぁ、次来る時は襲われること覚悟で来るんだな。何もなしで出られると思うな」
ニヤリと嗤う咬介にカアッと顔を赤らめ、私は踵を返し部屋へ戻ろうとした。そのとき、咬介が小さく何か言った。
「え?何?」
振り返って聞き返すも、不機嫌そうに、
「チッ……。なんでもねぇよ」
そう言って背を向けて部屋へ戻っていく。
私も背を向け、また仕事に戻る。
「……なんだよ、来ねぇのかよ。……つまんねぇ奴」
咬介の呟きは、ついぞ私には聞こえなかった。




