告白 4
夜中に何だか目が覚めてしまい、顔でも洗いに行こうかと部屋を出ると、何故かすぐ外の廊下にいらしたナセリア様が、落ち着かないような、不安そうなお顔で僕のところまで早足で近寄って来られた。
「ナセリア様、まだお休みになっていらっしゃらなかったのですか?」
夜中過ぎまで起きていることは成長に良くありませんよ、と告げる間もなく、ナセリア様は僕の服の腰の辺りの裾を弱弱しく控え目につままれた。
「‥‥‥どこへ行くのですか?」
何かを怖がられているようなご様子だったけれど、まさか幽霊など信じていらっしゃるわけでもないだろう。
「少し顔を洗いに行くだけです。‥‥‥ここを出て行こうなどとは思っておりませんよ」
姫様に対して不敬かとも思ったのだけれど、そのときのナセリア様は、一国のお姫様というよりは、どこにでもいるような、1人の不安そうな女の子のようなお顔をなさっていて、綺麗な長いまつ毛を伏せていらした。
僕がナセリア様のお誕生日にお贈りした、小さな金の宝石が1つだけ輝く、銀色の腕輪をぎゅっと握りしめていらして、その手を薄い胸にぎゅっと押し付けられていた。
ナセリア様は寝具に着替えていらしたけれど、まさかアクセサリーをつけたまま横になられるとは思えないので、おそらくは僕がお城から出て行くのではないかとずっと心配していらしたのだろう。
僕はナセリア様の前で腰をかがめると、出来る限り優しく、その神秘的な、月の光を集めたようなさらさらな銀の髪に手をかざさせていただいた。
「そのように不安そうなお顔をなさらないでください。過分な褒賞をいただいている身でありながら、黙ってここからいなくなるような真似は致しませんよ」
もちろん、お金のためなんかではなく、僕を信頼して魔法顧問の役につけてくださっている国王様や王妃様を裏切るような真似は出来るはずもないし、友好的に接してくださっているユニスやミラさんを含めたお城に勤めていらっしゃる方に不義理を働くわけにもいかない。
防衛ということに関しても、お城の魔法顧問というのは、戦などが起こった際に姫様方もそうだけれど、国民の皆様を護る仕事なのだとも聞いている。急にいなくなって、皆様を不安にさせたりも出来ない。
「‥‥‥あなたがここを出て行かないのは、義理とか、責任感とか、そういった感情によるものだけなのですか?」
ナセリア様の声は震えていて、今にも泣き出しそうなお顔をなさっていたけれど、一層強く腕輪を握りしめることで耐えていらっしゃるご様子だった。
ユースティアではなく、あなたと呼ばれたことに、少しばかりの寂しさを感じた。
けれど、そんな僕以上にナセリア様の方が悲しそうな雰囲気をなさっていたので、僕が寂しい気持ちを表にすることは出来なかった。
いずれにせよ、お姫様ではあっても、10歳の女の子にこんな顔をさせてしまったことは反省しなくてはならない。
あれからずっとそう考えていらしたのだとしたら、昼食や、夕食の際などにお顔を見られた国王様や王妃様、ご弟妹の皆様にも不安な気持ちを抱かせてしまったかもしれない。
「不安にさせてしまい、申し訳ありませんでした。けれど、私はどこへも参りませんよ。それは、拾っていただいた恩義とか、雇っていただいている責任感とか、そういった感情がないとは申せませんが、決してそれだけではありません」
ナセリア様は肩をわずかに震わせられながら、黙って僕の話を聞いてくださった。
「この国、このお城は、僕が魔法を使えることを快く受け入れてくださったところで、そのことには驚きもありましたが、とても感謝もしております」
僕に関わったからといって、無為に殺されることもなく、むしろ学院や他国、はては他種族の方からさえも積極的に受け入れてくださっている。少なくとも、歓迎はされていると感じている。
それを恩義と言ってしまえばそれまでだけれど、決してそのような関係だけではなく、僕自身もこの国に居て、ユニスやミラさん、ロヴァリエ王女、フィリエ様、ミスティカ様、他にもたくさんの方、もちろんナセリア様にも生きる気力をいただいていて、とても感謝している。
「あの時にも申し上げましたけれど、それは僕の本心です」
しばらく僕とナセリア様は真正面から見つめ合っていた。お互いの考えていることを、感情を探り合っているようでもあったけれど、やがてナセリア様はわかりましたと小さく息を吐き出された。
「分かりました。これからもよろしくお願いします、ユースティア」
暗いのでお送りしましょうかと尋ねたところ、お城で迷うほど子供ではありませんと言われてしまった。
ナセリア様が歩いてゆかれたので、僕も歩き出したところ、すぐに後ろから呼び止められた。
「ユースティア」
僕が振り向くと、ナセリア様はわずかに緊張していらっしゃるようなお顔をされていて
「ユースティアは私の事––」
そこまでおっしゃられて、ぱくぱくと小さなお口を開いたり、閉じたりされていらしたけれど、やっぱりよいですと、そのまま歩き去ってゆかれてしまった。




