第五章 リカバー①
問題の月曜日、僕は描き上げた絵を持って登校した。相変わらずのセーラー服。もうこの格好に違和感が無くなり始めた自分が恐ろしい。
早めに家を出たので教室にはまだ誰もいなかった。僕は金曜日に逃げ帰るときに放り出したままにしてしまった絵をまずは回収した。どうやら彼女たちに汚された様子はなくて一安心だ。
絵の具セットを片付け終わる頃には、教室にだいぶ人が集まり出していた。その中には、インフルエンザ明けの登校再開日となった棗も、彼女たちの姿もあった。
僕と棗は互いに挨拶すらしないで、黙ってそれぞれの席に一人で着く。彼女たちは僕達の様子をしばらく観察して、「詳しい状況は分からないけど、いい気味」とでも言うようにクスクス笑っていた。
「優月、絵は放課後、先生に提出するから」
「朝のホームルームで渡すなよ」
「あと、昼休み、描いた絵をもって旧校舎の裏。絶対ね」
そう彼女たちに詰め寄られても、いつもみたいに棗は助けてくれなかった。チラリと棗の方を見ると、珍しくヘッドフォンを付けていなかったが、退屈そうにトントンと机を指で叩いている。
僕は彼女たちに視線を戻し、恐々と頷いた。
校舎裏は、前に呼び出された時よりも寒く、さらにたくさんの落ち葉が降り積もっていた。特に公道との境に建てられたブロック塀のそばには、掃除で掻き集められた落ち葉が山のように積まれていた。
僕は絵を抱きかかえて、寒さのせい以上に震えながら彼女たちを待った。
遅れてやって来た彼女たち、そのうちの一人は手にあのスマートフォンを持っていた。
「優月、うちらの言うことには逆らわないよね」
「この画像があるもんな。お前の裸が撮ってあるもんな」
「ネットに晒されたくはないでしょ?」
僕は絵を抱えたまま俯いた。
「ちょっとその絵、見せてよ」
「寄越せよ」
「ほら!」
彼女たちは腕を伸ばして僕の絵を掴み、僕の手を引き剥がして無理矢理に奪い取った。
「うわ、マジで描いてきたんだ!」
「ウケる」
「無駄なのに」
そう言って、彼女たちは可笑しそうに笑った。シンデレラの義姉たちが、シンデレラを苛めてその失敗を嘲笑う時にはこんな顔になるのだろうと思う。
「それ燃やしてよ」
「その下手くそな絵を、お前自身で火ぃ着けてみせてよ」
「これ使っていいから」
彼女たちは僕の足元にライターと絵を放って寄越した。でも、僕は黙って俯いたまま、動かなかった。
「なんだよ」
「うちらに逆らう気?」
「さっさと燃やせって」
彼女たちはイライラしたように、何かを喚きながら落ち葉を蹴ったり、わざわざ拾って投げつけたりしてくる。セーラー服はあっという間に枯れ葉まみれになって、顔をカサカサした感触が掠めていった。それでも僕は俯いたまま動かなかった。
「いい度胸だよ」
「素直に燃やしたら勘弁してやろうかと思ったけど」
「もう容赦しないから」
彼女たちのうちの一人がスマートフォンのカメラを僕に向けた。
「脱げよ」
「パンツまで全部」
「そんで、オナニーして見せろ」
目線を少し上げると、スマートフォンの小さなランプがチカチカ光っているのが見えた。動画モードで撮影しているのだろうか。
「早くしろよ」
「お前の裸が写った写真をネットに上げられてもいいの?」
「恥ずかしい写真、学校の奴とか家族に見られちゃうかもだよ?」
「何も出来ないクズのくせに」
「うちらを待たせんなよ」
「動画はうちらがちゃんと換金……じゃなかった。活用してあげるよ」
彼女たちは吹き出して笑った。
僕は溜め息をついて、小さく口を開いた。
「……いいよ」
そうすると、彼女たちはキャハハと嬉しそうな笑い声をあげた。
意外な反応に思えて僕は首を傾げた。それから、彼女たちが何か勘違いをしているらしいと思い至って、もう一度声を出した。
「……もう、いいよ。僕は……僕はもう、君たちには、もう、従わない」
声は小さかったし、震えていたし、辿々しかったけれど、僕はそう言った。
少し目線を上げてみると、彼女たちはぽかんとしていた。阿呆のように口を半開きにして、目を見開いている。
「あの写真を公開したいなら……すればいいよ……!」
僕は少し大きな声で言った。彼女たちはそれでやっと我に返ったようで、僕を睨み付けてくる。
「優月のくせに、なに訳わかんねーこと言ってんだよ」
「生意気じゃね?」
「後で後悔しても知らないから」
本当は怖くて泣きそうだったけれど、僕は彼女たちの視線を受け止めて、彼女たちを順々に見つめた。
「僕の……同意もないで、そんなことして……問題にならないなんてこと、ないよ」
僕は震える手を握りしめる。
「どこに、アップロードする気なのかは……わからないけど……。サイトの管理者とか、プロバイダーの人とかに問い合わせて、問題にすることは……できるはずだよ!」
僕は口をくっと一文字に引いた。緊張のせいか心臓が異常な音をたてて鳴っていて、逃げてしまいたかってけれど、必死に耐える。睨むように彼女たちを見ると、彼女たちは口の端を歪めて笑った。
「ちょっと待てよ」
「いきなり何言ってんだよ」
「わけわかんない」
そう言って、彼女たちは僕をバカにするような顔で笑ったけれど、目は泳いでいた。僕は少しだけ心が休まる。
「僕だって……僕だって逃げてばかりじゃないよ。僕にも、考えがある」
その時、ザッと何かが吹き飛ぶような音がした。実際、たくさんの枯れ葉が僕たちに降り注いだ。彼女たちは驚いて周りを見回す。
「ばっちり撮れたぜ、優月!」
聞こえてきたのは、棗の声だった。
公道との境のブロック塀際、落ち葉の山の上に棗がハンディーカムを手に立っていた。
「矢車さん……?」
「いつの間に」
「ちょ、撮れたって……?」
棗はいつものジャージの上に落ち葉にまみれた格好で、ニヤニヤと面白そうに笑っていた。
「だからさ、お前らがここに来てから優月に言ったこと全部このビデオに撮れたから」
棗の手にあるのは麗司さんのビデオカメラだった。以前にリジェクトのライブ映像を撮ったときに使ったもの。今日のために棗が借りてきてくれたのだった。
棗は液晶画面を僕たちに見えるように反転させると、再生ボタンを押した。画面の端に落ち葉が映り込んではいるものの、僕と彼女たちが並んでばっちり映っている。多少雑音は入っているが、音声もきちんと記録されていた。
「なっ……!」
「ちょっ……!」
「やめっ……」
顔が青白くなっていく彼女たちを眺めながら、棗は楽しそうにクツクツと笑う。
「これって恐喝? すぐに訴えられると思うけど、優月、どうする?」
「訴えたりはしないよ」
僕は絵を拾って、枯葉や埃を丁寧に払いながら言った。
「ただ、僕には、もう何もしないで。何もされない限り、僕はこの映像を、どうこうしようとは思わないから……」
「優しいねえ、優月くんは」
少し不満そうに口を尖らせる棗。僕は棗に向かって微笑んだ。
「もういいんだ。嫌なことは忘れることにしたんだよ、僕は」
「お前がいいなら、いいけどよ」
「うん。もう行こうよ、棗」
「おう」
何も言えなくなってしまった様子の彼女たちを置いて、僕たちは校舎裏を立ち去った。
教室に帰るまで、僕は一度も彼女たちを振り返らなかった。
下校前のホームルームの最中に、担任の先生に課題の提出を促されたので、僕はあの絵を棗との共作として提出した。先生は絵を見ながら、驚いたように目を見開く。
「すごい大作じゃないか! この短い間によくがんばったんだね」
「そ、そんなことないです……! 棗にも、知り合いの人にも手伝ってもらっちゃったし……」
僕が恐縮しきりで俯くと、僕の隣で棗が否定するように手を振った。
「いやいや。優月ががんばったんすよ。俺らは塗ったり下書き消したりをしただけだし」
「でも、棗たちがいなかったら完成しなかったし」
「いやいやいや!」
そんな風なやりとりを繰り返す僕たちを、担任の先生は少しキョトンとしながら見比べていたが、やがて嬉しそうに笑った。
「とにかく、良い作品だよ。きっとお話してくださった研究家の先生も喜ぶだろう。二人ともよくがんばったね。みんな、見てごらん」
先生が急に教壇から僕の絵を教室のみんなに見せたので、僕は焦ってしまう。
顔から火が出るくらい恥ずかしかった。どうせバカにされるに決まっているのに。
でも、返ってきた反応は意外なものだった。
「すげー」
「あんなにたくさん描いたんだ」
「うまいねー」
思わぬ反応に僕は目を瞬かせる。横を見ると棗が笑っていて、僕の肩を小突いてきた。
「やったな!」
僕は息を吐いた。ほっとしていた。
教室で久しぶりに心地よい呼吸ができた気がして、それがなんだかおかしくて、僕は目尻に浮かんだ涙を手の甲でそっと拭った。




