第四章 リピート⑫
翌日の日曜日も、棗と麗司さんは僕の手伝いに来てくれた。が、二人を玄関で出迎えた僕は、自宅にもかかわらず何故か女の子の服を着ていた。
「おやおや優月くん、素敵な格好してるねえ」
「……言わないでください」
赤い顔の僕を、棗はちょっとだけ憐れむような表情で、麗司さんはニコニコと笑顔で見つめている。ついでに、僕と一緒に二人を出迎えた母さんも機嫌よく笑っていた。
「わたしの昔のお洋服、ゆうくんに着せちゃった。似合うでしょう?」
「ええ。素敵ですね」
得意げに笑う母さんに、麗司さんは爽やかな笑顔で頷いた。
今日の僕は、ダメージ加工され、安全ピンやらジッパーやら取り付けられた白のガーゼシャツに、裾がザクザクと歪な形にカットされた黒の巻きスカートを履き、頭にはベレー帽を乗せていた。
昨日、棗と共に久々に衣裳ボックスを漁った母さんは、何かのスイッチが急に入ってしまったようだ。ボーイッシュな洋服は棗に渡したようだが、女の子っぽい服はなぜか僕に薦めてきたのだった。しかも、昨日一日で僕用にサイズのお直しまでする念の入れよう。
それをしぶしぶながら受け入れてしまう僕も、結構毒されているのかもしれないけれど。
ちなみに、僕を見て父さんは「若い頃の母さんを見ているようだね」とニコニコしていた。父さんも何かに毒されているに違いない。
「棗、先に僕の部屋に麗司さんと行ってて。僕、飲み物とか持ってくから」
「おー、わかった」
僕の前を通り過ぎながら、棗は僕をじっと見た。背だけは僕の方が頭半分くらい大きいから、棗が僕を見上げる形になるが、短く刈った金髪に今日も耳にはびっしりとピアス、肋骨のイラストが入った長袖Tシャツと太めのジーパンの裾を引きずっている棗は、僕なんかよりもよほど男らしく見えた。
「なあに、そんなにじっと僕の方を見て」
僕は少し不機嫌気味に口を尖らせてみせると、棗がニッと笑った。
「優月、今日も可愛いな」
つるりとした口調でそれだけ言うと、棗は僕の前を通り過ぎて行った。
僕は、なぜか一気に頬と耳が熱くなる。
「棗は天然で色男だね」
麗司さんはクスクス笑いながらそう僕に囁いてから棗の後に続き、ニヤニヤ笑った母さんはキッチンに向かった。
真っ赤になった僕だけが残る。
なんで心臓がバクバク言っているのだろう。やっぱり僕は毒されているに違いない。
絵を描く作業は昨日と同じだ。僕が下絵と主線を描き、棗と麗司さんに塗り潰しやスクリーントーンを貼る作業をしてもらう。麗司さんが結構うまく仕上げてくれるので、僕の下書きした背景をペンでなぞってもらう工程も一部お願いすることができた。
「麗司さん、うまいですね」
「俺は割と何でもできる、秀才タイプだからね」
「嫌味な奴!」
棗が口を尖らせると、麗司さんが微笑む。
「棗は小さい頃から塗り絵とか下手だったよね。あ、そこはみ出してるよ」
「うるっせえなあ。すぐ直すよ……!」
眉間に皺を寄せながら少し赤くなっている棗を見ていると、僕は自然と笑顔になる。
「棗はちょっとガサツ……じゃなかった、おおらかなところがあるよね」
「……優月、たまに酷いこと言うよね」
「ごめんごめん」
三人で作業しながら、そういう何でもないことを話し続けた。
お昼は今日も母さんの作ったオニギリとサンドイッチで、午後も引き続き作業を続けた。手を真っ黒にしながら絵を描き続けていると、時間の経過を忘れてしまう。
夕方頃、母さんがふらりと僕の部屋に入ってきた。
「みんな、夕飯はうちで食べてくれる? ハンバーグでいいかなあ。食べられないものがあったら教えてね」
「あ、すみません。俺、実はそろそろ出ないといけなくて」
麗司さんが頭を下げた。大学院生の麗司さんは明日の研究室での作業のため、今夜は資料を纏めないといけないらしい。ありがたいことに、そっちを後回しで僕のを手伝ってくれていたのだ。
「あら残念。じゃあ、棗ちゃんの分は作るね」
「すいません、ありがとうございます」
棗が頭を下げた。
「棗、お夕飯作るの手伝っておいで」
麗司さんが言われて、棗はどうしようかと言うように僕と母さんの顔を見比べた。
「僕の絵が今ちょっと遅れ気味だから、その方がいいかも」
二人が手伝ってくれるスピードが速いから、僕の下絵が追いついていないところだった。母さんも嬉しそうに頷く。
「手伝ってくれるなら嬉しいわ」
「じゃあ、俺は料理手伝ってくる」
棗と母さんは付け合せの献立を議論しながらキッチンへと向かう。部屋の中には僕と麗司さんが残された。
「ねえ、優月くん」
ちゃぶ台での作業しながら、顔を上げずに麗司さんが言った。
「棗に聞いたんだけど――あまり詳しいことまでは聞いてないんだけどさ、棗が姫神様に願い事をしたせいで優月くんの人生が大きく変えられちゃったんだってね」
「え、それは……」
僕が驚いて顔を麗司さんの方に向けると、麗司さんは頭を下げていた。
「優月くん、ごめんね」
「や、やめてください、麗司さん」
「『ごめん』だなんて陳腐な言葉じゃあ償えないのはわかっているけど。本当にごめん」
麗司さんは顔を上げ、真っ直ぐに僕を見上げた。
「俺達の一族のことが君に迷惑をかけてしまった。今日は来られなかったけれど、多佳子さんも同じ気持ちだよ。本当に申し訳ない」
麗司さんは再びさっきよりも深く頭を下げた。長い黒髪が垂れて、苦しそうな麗司さんの表情を覆い隠す。僕は予想していなかった麗司さんの行動にびっくりして、咄嗟に反応が出来なかった。
数拍遅れて、僕はやっと椅子から降り、麗司さんの前に膝をついた。
「僕は別に棗のせいだなんて思ってないですから。やめてください」
「優月くん……」
「僕が情けない目に遭っているのは僕が情けないからですし、棗はたくさん僕のこと助けてくれて、本当に感謝してるんです。ほんと、そうとしか思えないんです」
「棗に裏切られたみたいな感じはしない? 棗を恨んだりとか」
僕は少し言葉につまりつつ、頭を横に振った。
「……少しはあるかもしれないけど……でも正直、棗が何をしようとしていたのかがわからないから、恨みようがないというか……」
麗司さんがすっと切れ長の瞳を細めた。
「棗が何を望んでいるのか知りたいと思う?」
「知りたい気はします。でも、棗が言いたくないならそれでいいです」
僕の言葉を聞いて、麗司さんはしばらく口を噤む。それから、ほっとしたように溜息をついた。
「優月くんはすごいね。さすが、僕が見込んだ男だな」
麗司さんはそう言うと、硬く張りつめていた表情を、元の柔らかなものへと崩した。
「君みたいな子が棗の傍にいてくれて本当に良かった」
「ぼ、僕はそんな大層なものでは……」
「優月くん、ありがとね」
麗司さんは切れ長の美しい目を細め、優しい笑顔を浮かべた。僕はなんだかきまりが悪くなって視線を外す。
「えっと……作業に戻りましょう」
僕たちはそれぞれの席に戻って作業を再開した。
僕はペンを動かしながら、この際だからと、麗司さんに疑問を投げることにした。
「あの、棗のことじゃないんですけど。一つ聞いてもいいですか?」
「なんだい?」
「姫神様って、何なんですか?」
僕の質問に、麗司さんは思案するように目を細める。
「……何なんだろうねえ。その本質については俺達にもわからないんだよね」
麗司さんは手に持った筆を動かしながら、呟くように言った。
「オカルト的には姫菊の呪いとか、女神の祟りとか、そういう解釈になるのかな。最初は、神隠しに遭った姫菊の無事を雛菊が祈った結果、姫菊を助けてくれた救いの女神だった。でも、姫菊が殺された結果、姫菊の怨念と同化して呪われた神になってしまったんだろうね」
「血で……人が死ぬ程の血で、過去やら未来やらを変えるっていう……?」
麗司さんはゆっくりと頷く。
「そう。そのご褒美をチラつかせて村人にたくさんの血を流させた。それを鎮めるために雛菊が祈りを捧げたことで、姫神は普通の人間から隔離された。それが今も続いている。神様だけど、悪魔とも言える存在なのかもね」
「神様とも悪魔とも言える……」
「そう。姫神の力は、あくまで過去のある地点での進行方向を変えることと、未来のある地点への橋渡しをすること。転換点以降、あるいは、着地点までの過程に起こることには感知しない。望んだ修正・渇望する着地点を指定できるとしても、その道のりが幸せであるとは限らないし、何度も繰り返される修正がたくさんの悲劇を呼ぶこともあるだろうしね」
そう言って瞳を伏せた麗司さんは、暗く沈んでいるように見えた。普段の爽やかで明るい雰囲気との違いに、僕は首を傾げる。
「麗司さん……?」
「ははは。なんでもないよ」
麗司さんは微かに微笑みながら頭を振った。手に持った筆で、黒いインクを掻き混ぜながら言う。
「たぶん、姫神様は人間より高い時空間を認識できるんだろうね。過去も未来も、何個もあるだろう異なる時間軸も。それを行ったり来たりもできるんだろう」
数学と物理を研究しているという麗司さん。僕には言葉の意味がよくわからなかった。きょとんとしている僕を見て、麗司さんは笑みを深くした。
「例えば、俺の手元にあるこの絵。この原稿用紙に描かれている農民Aさん。彼は二次元の人間だろう? 対して、俺たちはそれよりも一次元多い三次元空間を認識できる。俺たちが二次元人間である農民Aさんを修正液で真っ白に塗りつぶして、優月くんの手元にある原稿に描き移す。そうすると、二次元人間の農民Aさんは俺たち三次元人間の手によって異なる空間に送られたことになる。姫神がしているのはそういうことなんじゃないかなって」
「今この時にいる僕をなかったことにして、違う時間軸に移動させる」
「そういうことだね。俺たちは時間を一方通行の流れとしか知覚できないけど、姫神は何方向へも流れている時間を見ることができるんじゃないかな」
麗司さんは溜息をついた。
「ただね、例えば過去の修正を願った場合、その人は修正したい時刻に戻って人生をやり直せるわけではないんだ。改変後の世界の、その人が血を捧げた時刻と同じ時刻にいきなり転送される。元の時間軸の記憶と、改変後の時間軸の記憶と、両方抱えることになるみたいだね」
そういえば、僕も首を切ろうとする時刻に戻ったわけではなく、おそらくは、元の世界で血が流れきったくらいの時刻に移動していた。だから、首を切って死んでしまおうおとする記憶と、自殺を取りやめて目を瞑るだけにした記憶とが二重写しになって、あの瞬間の僕にはあったのだろう。
「ここからは僕の推論なんだけどね。姫神はたくさん流れている時間軸の調整役みたいなものだったんじゃないかな。そして、姫神はミスをしたんだと思う」
「ミス?」
「姫菊・雛菊はもともと違う時間軸の同じ人間だったんじゃないかな。ほら、僕の手元にある原稿に描かれた雛菊と、優月くんのところにある原稿に描かれた雛菊みたいに。違う次元の同一人物。だからテレパス的なことができたんじゃないかなって」
僕は手元の原稿を見つめる。雛菊が一人描かれている。ここに麗司さんの原稿からもう一人の雛菊をもってきたら……片方が雛菊の双子の姫菊として扱われることになるのだろうか。
「姫神がミスしたのか自然の悪戯かはわからないけれど、同じ空間に二人の雛菊がいたから、姫神は片方を消そうとした。けれど、雛菊と姫菊の間に生まれていた絆を消しきれなかった。神様に感情があるのかはわからないけれど、もしかしたら、情が湧いたのかもしれない。とにかく姫菊は姫神を伴って雛菊の元に帰ってきた」
「それが神隠しからの帰還ですか?」
「そう。そして、姫菊を消せなかった影響で、姫神が予見していた未来からずれが生じて、姫菊が惨死してしまう。姫神はそのショックと憎悪で呪われた神様になってしまったと」
「なるほど……それで村人を祟ったんですね」
「まあ、あくまで俺の推論だけどね」
麗司さんはそう言って微笑み、原稿に視線を戻した。
「あの、麗司さん……」
「ん?」
「姫神に改変される前の世界はどうなるんでしょう?」
麗司さんは原稿から顔を上げ、戸惑うような表情で僕を見た。
僕は真剣な表情で質問を続ける。
「前の世界も、どこかでまだ続いているんでしょうか?」
麗司さんは神妙な顔付きで頭を横に振った。
「それは……俺にもわからない。何しろ確かめようがないからね」
「そうですか……」
「うん」
「……修正した瞬間に、その世界がストップしていればいいな」
僕は家族の姿を思い浮かべながら、僕はそう呟いた。
僕の死んだ世界がなかったことになっていてほしい。どうかそうでありますように。
僕は心の中でそう祈った。
しばらくの間、重苦しい沈黙が部屋に停滞する。
その重い空気を振り払うように、麗司さんは口を開いた。
「棗はさ……自分がどういう意図で姫神に祈ったのか、優月くんに話してないんだよね?」
「はい」
「あの子はね、ちょっと……家族に恵まれていなかったんだ。それで色々あったから……それに関したことだと思う。決して優月くんを不幸にしたいと思ったわけじゃないと思うんだ」
そういえば、棗は小学生の頃に親を亡くしたと言っていた。何か関係があるのだろうか。
麗司さんは続けて口を開こうとして、けれど、戸惑うように瞳を揺らしながら口元を手で押さえた。
「麗司さん?」
「……俺も棗から詳しい心情は聞いていないし、あの子の気持ちを推論で色々言うのはよくないと思うから、俺の口からはあまり詳しい事情を言いたくないんだ。ごめんね、優月くん」
「僕は大丈夫ですから」
「ごめんね。ありがとう」
「さっきからそればっかりですよ。棗が夕飯を作っている間に、キリのいいところまで仕上げちゃいましょう」
「そうだね」
棗の事情を麗司さんに聞きたい気持ちは否定できない。でも、棗が話すのを嫌がっている内容を聞くのも気持ちがよくない。僕だって、なかなか本当のことは話せなかったのだし。
だから、もうあまり考えるのはやめよう。
僕は気持ちを切り替えて、再び絵に集中することにした。




