第3話 馬車は、いつまで待っても来ませんでした
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ローゼンタール侯爵家の車寄せに、馬車が滑り入った。
近衛隊の事務の者たちが、業務で使うものだ。
そっけない造りで、日よけのカーテンすらない。そんな馬車で、リディアは家に帰された。
宴の翌日。
朝食には遅く、昼食にはまだ間のある頃合いだった。
家人の出迎えは、なかった。
リディアのために馬車の扉を開けたのは、侯爵家の従僕ではなく、馬車を駆っていた近衛の騎士。
昨晩のドレスのままのリディア。長手袋を剥がれた白い腕が、昼の光にさらされる。
手袋も巾着も、リディアの手元には戻ってこないままだった。
――リディアが連れていかれたのは、近衛隊の衛所だった。
どのような事情があれ、高位の貴族に騎士や官吏が何かを訊ねるのであれば、宮廷のどこかに一室を設ける。それが礼儀だ。
そしてそもそも、貴族の令嬢が、このような「とりしらべ」を受けることなど、普通ならばありえない。
なのに――
ジークさまが、こんな仕打ちをお認めになったというのだろうか。
リディアの胸が軋む。
副隊長は、リディアに何度も、宴での行動を尋ねた。
飲み物はどうやって手に入れたのか。誰と話したのか。
繰り返し、繰り返し――
ろうそくが燃え尽き、取り替えられ、また短くなる。
「私は……林檎水と檸檬水を、両手に持っていたのです。なのにどうして、グラスに毒を入れることができるでしょうか」
威厳と冷静さを保つにも、限界があった。
リディアの声がわずかにかすれた。
「それより、妹は……エリザの具合はどうなのです?」
副隊長はリディアの問いには答えぬまま、また同じ質問を繰り返した。
あの飲み物は「冷たいものを」と、新しく作ってもらったものだった。
手渡してくれたのは? 私にグラスを手渡したのは――
ショックと疲労のせいで、リディアの記憶は白くかすんでハッキリとしなかった。
夜が明け、昼を前に、ようやく帰宅が許された。
疑いが晴れたからでは、けっしてない。
それは、副隊長の目を見れば分かった。
そもそも、衛所に高貴な身分の女性をひと晩留め置くなど、異例中の異例のことだ。
隊内でも、「さすがに、やりすぎだ」という危惧の声が上がっていたのを、リディアも衛所で耳にしていた。
侯爵家からの迎えは、待っても待っても来なかった。
見かねた数人の近衛の騎士が、馬車を出してくれたのだった。
馬車の音を聞きつけてから集まったのだろう。
玄関ホールに使用人たちが、ぽつぽつと並び始めた。
若い下男が、隣の女中に何かを囁く。女中が口もとを押さえた。
ホールの大階段の上に、ローゼンタール侯爵とロザリンドがいた。
丁寧な御辞儀をして、リディアは父とその妾を見上げる。
「エル……エリザは、どうしていますか」
侯爵は無言だった。
「お帰り遊ばせ」と言って、ロザリンドが、パチリと扇を開く。
「エリザなら、お部屋で眠っておりますわ、リディアさま。明け方に、一度だけ目を開けて、それきり。また眠ってしまいましたの。ジークレイン殿下が、国一番の薬師と魔導士を遣わしてくださらなければ、きっとあの子は……もう」
ロザリンドが、細い悲鳴を上げながらよろめいた。
生きているのね。エルは、生きている。
ああ、国護の神々、精霊さま……感謝します。
リディアの膝から、くずおれそうに力が抜けた。
「おめおめと、ここへ戻ってこられたものだ」
太く低い父の声が、ホールの高い天井に響きわたる。
「ローゼンタールの名に、よくも、泥を塗りおって」
「お父さま、私は何も――」
必死の思いで、リディアが口を開いた。
「黙れ」
そのひとことで、すべてが終わる。
父が背を向けた。ロザリンドがその後に続く。
ふたりの姿は、階上の奥へと消えていった。




