第9話 熊五郎、仕入れに行く
第9話 熊五郎、仕入れに行く
昼を過ぎてしばらくすると、店の中から少しずつ客が減っていった。
「ありがとうございました!」
最後の客を見送ると、実咲は扉を閉めた。
「……ふぅ」
店内を見渡す。
さっきまで満席だった店が、急に静かになった。
「やっと終わった……」
実咲は椅子に座り込んだ。
「疲れた?」
厨房から熊五郎が顔を出す。
「疲れたよ!」
「そうか」
「熊五郎は?」
「腹が減った」
「そっち!?」
実咲が呆れる。
「私は足が棒みたいになってるのに……」
「休めばいい」
「熊五郎も休むの?」
「ああ」
熊五郎は厨房から出てきて、店内を見渡した。
「昼の客はもう来ないだろう」
「じゃあ、休憩?」
「そうだ」
熊五郎は入口を指差した。
「実咲」
「何?」
「看板を裏返してきてくれ」
「看板?」
「ああ」
実咲が外へ出る。
入口に立っている看板を見ると、表には、
『まずは飯だ』
と書かれている。
「これを裏返すの?」
「ああ」
実咲が看板を裏返す。
そこには、開店前に熊五郎が看板を書いたとき、裏側に書いておいた文字があった。
『準備中』
「ちゃんと裏にも書いてたんだ」
「当然だ」
店の中から熊五郎の声が聞こえる。
「店を始めるなら、準備中も必要だからな」
「そこだけはちゃんとしてるんだ……」
実咲は看板を立て直した。
「これでいい?」
「ああ」
店内へ戻る。
熊五郎は椅子に座りながら言った。
「これから休憩だ」
「やっと休める……」
実咲も椅子に座った。
しばらくすると、二人とも静かになった。
昼間の忙しさが嘘のようだった。
「……ねえ、熊五郎」
「何だ?」
「お客さん、すごかったね」
「ああ」
「明日の食材、足りるかな?」
熊五郎は厨房を見た。
棚を開ける。
残っている食材を確認する。
「足りない」
「やっぱり?」
「夜の分も必要だ」
熊五郎は立ち上がった。
「仕入れに行く」
「今から?」
「ああ」
「休憩は?」
「終わりだ」
「早っ!」
熊五郎は魚屋へ向かう準備を始めた。
「夜の料理を作るには、魚が必要だ」
「なるほど」
「それに野菜も必要だ」
「じゃあ、私も行く?」
熊五郎は首を横に振った。
「実咲は休め」
「え?」
「昼間、ずっと働いていただろう」
「熊五郎……」
「店を頼む」
「……分かった」
熊五郎は店の扉を開けた。
「じゃあ、行ってくる」
「気をつけてね」
「魚を買ってくる」
「そこなのね……」
熊五郎はそのまま魚屋へ向かって歩き始めた。
実咲は店の入口から、その背中を見送った。
「……本当に食堂の店主になっちゃったな」
店の看板は、
『準備中』
に変わっている。
昼の営業を終えた食堂には、静かな時間が流れていた。
一方その頃――。
熊五郎は魚屋へ向かって歩きながら呟いていた。
「何の魚があるかな……」
すでに頭の中は、夜の料理のことでいっぱいだった。




