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第8話 熊五郎の料理を求めて

第8話 熊五郎の料理を求めて


「……多すぎない?」


実咲は、店の外を見て固まっていた。


昼を過ぎても、客の列は途切れない。


むしろ――。


増えている。


「熊五郎!」


「何だ?」


「まだ外にいっぱい人がいるよ!」


熊五郎は厨房から顔を出した。


「そうか」


「そうかじゃない!」


実咲は窓から外を見る。


店の前には、食堂に入るための人がずらりと並んでいた。


「昨日まで、この店のことを知ってる人なんてほとんどいなかったのに……」


「料理がうまいからだろう」


「それだけかな……」


実咲が首を傾げる。


そのとき、一人の女性が店に入ってきた。


「すみません!」


「いらっしゃいませ!」


女性は息を切らしている。


「まだ料理はありますか?」


「ありますよ」


実咲が答える。


「よかった……!」


女性は安心したように席についた。


「どうしてそんなに急いでるんですか?」


「友人から聞いたんです」


「何を?」


女性は真剣な顔で答えた。


「ここで料理を食べると、体の調子が良くなるって」


実咲が熊五郎を見る。


熊五郎は料理を作っている。


「昨日、母がここで食事をしたんです」


女性は話し始めた。


「母はずっと体調が悪くて、何を食べても食欲がなかったんです」


「……」


「でも、ここの料理を食べたら、久しぶりに全部食べたんです」


「それだけでもすごいですね」


「ええ。でも、それだけじゃなくて……」


女性は笑った。


「帰ってから、久しぶりに家の中を掃除したんです」


「掃除?」


「はい。『明日も食べに行きたい』って笑っていました」


実咲は驚いた。


「そんなに?」


「だから、私も食べてみたくて」


熊五郎が料理を運んできた。


「どうぞ」


女性が料理を見る。


「いただきます」


一口。


そして――。


「……おいしい」


二口目。


「……あったかい」


女性の目に、涙が浮かんだ。


「どうしました?」


実咲が心配そうに聞く。


女性は涙を拭った。


「ごめんなさい……」


「大丈夫ですか?」


「なんだか……」


女性は料理を見つめる。


「ずっと忘れていた気持ちを思い出したような気がして」


「忘れていた気持ち?」


「昔、母と一緒にご飯を食べたときのことです」


女性は笑った。


「家族で食卓を囲むのって、こんなに幸せだったんだなって……」


実咲は何も言えなかった。


熊五郎は相変わらず、厨房で料理を作っている。


「熊五郎」


「何だ?」


「この料理……やっぱり普通じゃないんじゃない?」


「普通だ」


「でも……」


「飯は飯だ」


「……熊五郎って、本当に分かってないよね」


「何がだ?」


「もういい」


実咲は苦笑した。


---


その日の夕方。


ようやく客の数が少なくなってきた。


実咲は椅子に座り込んだ。


「疲れた……」


「まだ料理はあるぞ」


「私は料理じゃなくて休みたいの!」


熊五郎は首を傾げる。


「腹は減ってないのか?」


「今は減ってない!」


そこへ、昼間の女性が再び店の前を通った。


「ありがとうございました!」


実咲が声をかける。


女性は振り返った。


「こちらこそ、ありがとうございました」


そして――。


女性は深く頭を下げた。


「母が、久しぶりに笑っていました」


「……」


「本当にありがとうございます」


女性が帰っていく。


実咲はその背中を見送った。


「熊五郎」


「何だ?」


「この店……すごいことになるんじゃない?」


熊五郎は少し考えた。


「客が増えるのはいいことだ」


「そこ?」


「料理をたくさん作れる」


「熊五郎らしい……」


熊五郎は厨房を見る。


食材が少なくなっている。


「明日はもっと必要だな」


「また魚屋さんに頼まないとね」


「ああ」


実咲は店の外を見る。


すっかり暗くなっていた。


だが、店の看板だけは街灯の明かりに照らされている。


『まずは飯だ』


その文字を見ながら、実咲はふと思った。


この店には、何かがある。


ただ料理がおいしいだけではない。


食べた人の心や体に、不思議な変化を起こしている。


けれど――。


「熊五郎は絶対、自分では気づいてないよね」


「何の話だ?」


「なんでもない」


熊五郎は首を傾げた。


「変な奴だな」


「それ、熊五郎にだけは言われたくない!」


二人の声が、静かな食堂に響いた。


そしてこの夜もまた――。


『まずは飯だ』の噂は、町のさらに遠くへと広がっていった。

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