第86話 食堂に集まった人々
第86話 食堂に集まった人々
――ザワ……。
街を覆う黒い霧。
その奥で。
無数の赤い目が光っていた。
「……多すぎる」
レオンが呟く。
「何体いるんだ……」
ガルドが槍を構える。
だが。
熊五郎は敵の数を数えていなかった。
見ていたのは――。
街の人々だった。
「逃げろ!」
「こっちだ!」
「教会へ!」
「子どもを先に!」
人々が走る。
老人を支える者。
子どもを抱える者。
怪我をした人間を肩で支える者。
その後ろから。
黒い霧が迫ってくる。
「熊五郎!」
実咲が叫ぶ。
「どうするの!?」
熊五郎は食堂を見る。
そして。
街を見る。
「ここを避難所にする」
「この店を?」
「ああ」
実咲が頷いた。
「分かった!」
すぐに入口へ走る。
「みんな!」
実咲が叫ぶ。
「食堂の中へ!」
人々が一斉に入ってくる。
「押さないで!」
「子どもは中央へ!」
「怪我をしている人は壁際に!」
実咲は光の線を床へ伸ばす。
店内に区画ができる。
「ここは怪我をしている人!」
「こっちは子ども!」
「ここは動ける人!」
ガルドが驚いた。
「よく考えたな」
「熊五郎の店だから!」
実咲が胸を張る。
「勝手に壊させない!」
熊五郎が厨房から声を出す。
「実咲」
「何?」
「水を」
「分かった!」
「それと皿」
「はい!」
「あと――」
熊五郎が考える。
「腹を減らしてる奴」
実咲が振り返る。
「全員?」
「全員」
「……本当に?」
「本当に」
実咲は苦笑した。
「分かった!」
厨房では。
熊五郎が火を起こしていた。
鍋。
魚。
肉。
野菜。
保存していた食材を並べる。
「足りる?」
実咲が聞く。
「分からん」
「分からないの!?」
「食べる人数による」
「そりゃそうだけど!」
熊五郎は鍋を見る。
「でも作る」
「うん」
実咲は頷いた。
「作ろう」
その時。
――ドン!
食堂の壁が揺れた。
「来た!」
ガルドが入口へ向かう。
黒い霧が。
扉の隙間から入り込もうとしている。
実咲が光の壁を作る。
――バァン!
黒い霧が弾かれる。
「まだ大丈夫!」
「無理するな!」
ガルドが言う。
「分かってる!」
実咲は歯を食いしばる。
だが。
黒い霧は。
壁へぶつかるたびに。
少しずつ形を変えていた。
「……また変わってる」
実咲が呟く。
熊五郎が厨房から見る。
「学習してる」
「どうする?」
「変えさせない」
熊五郎は鍋をかき混ぜながら答える。
「どうやって?」
「こっちも変える」
「料理を?」
「防御を」
実咲は笑った。
「分かった!」
光の壁を。
一枚から。
三枚へ。
さらに。
入口だけでなく。
窓。
屋根。
地下への階段。
すべてを覆っていく。
「これなら!」
しかし。
黒い霧が屋根へ回り込んだ。
――ズズズ……。
屋根の上に。
巨大な黒い影が現れる。
「上!」
レオンが叫ぶ。
影が。
屋根へ爪を立てた。
「まずい!」
ガルドが走る。
槍を突き出す。
――ガキン!
黒い爪と槍がぶつかる。
「ぐっ……!」
ガルドが押される。
レオンが横から入る。
「今だ!」
剣ではなく。
足元の木箱を蹴る。
木箱が影の足元へ飛ぶ。
影がバランスを崩す。
「そこ!」
ガルドが槍を振る。
――ザンッ!
黒い腕を弾き飛ばした。
「やった!」
レオンが笑う。
だが。
その直後。
レオンの右脚が――。
ガクッ。
「――っ!」
膝から力が抜ける。
「レオン!」
ガルドが支える。
「大丈夫……」
レオンは右脚を見る。
黒い線が。
太ももへ向かって少し伸びている。
「……また進んだ」
「休め」
ガルドが言う。
「嫌だ」
レオンは首を振った。
「俺も守る」
「だが身体が――」
「だから」
レオンは左足で立つ。
「右脚を使わなくてもいい」
そして。
屋根に転がっていたロープを拾う。
「武器がなければ――」
ロープを影の腕へ投げる。
「道具を使えばいい」
ガルドが笑う。
「そういうことだ」
二人でロープを引く。
影の身体が傾く。
その瞬間。
実咲の光が屋根へ走った。
「――今!」
光の線が影の足元を囲む。
――バァッ!
影が動けなくなる。
「ガルド!」
「任せろ!」
槍が閃く。
黒い霧が散る。
影は屋根から落ちた。
――ドォン!
「やった……」
実咲が息を吐く。
しかし。
熊五郎は厨房から出てこなかった。
「熊五郎?」
「料理中だ」
「こんな時まで!?」
「こんな時だからだ」
鍋から。
湯気が立ち上る。
食堂いっぱいに。
温かい匂いが広がる。
子どもたちが。
不安そうに厨房を見る。
「……いい匂い」
「何を作ってるの?」
「魚?」
「肉も入ってる!」
少しずつ。
子どもたちの表情が変わる。
泣いていた子が。
顔を上げる。
震えていた老人が。
ゆっくり息を吐く。
熊五郎は料理を皿に盛る。
「食え」
「……いいの?」
子どもが聞く。
「ああ」
「怖いのに?」
「腹が減ってる方が怖いだろ」
子どもは。
少しだけ笑った。
「……いただきます」
一口。
「……おいしい」
その声が。
店内に広がった。
「おいしい……」
「温かい」
「……なんだか落ち着く」
熊五郎の料理は。
傷を治すわけではない。
黒い線を消すわけでもない。
だが。
疲れた身体に力を戻し。
震える心を少しずつ落ち着かせる。
そして。
人々の目に。
ほんの少しだけ。
生きようとする光が戻っていく。
「……これなら」
ガルドが呟いた。
「戦える者も休める」
「そうだな」
熊五郎は料理を盛りながら答える。
「休む奴は休め」
「戦う奴は戦え」
「逃げる奴は逃げろ」
そして。
「生きていればいい」
ガルドが目を伏せた。
「……昔と同じだ」
「何が?」
「いや」
ガルドは小さく笑った。
「昔の王も、同じことを言っていた」
熊五郎は何も答えなかった。
その時。
外から。
大きな声が聞こえた。
「助けてくれ!」
「魔物が来た!」
「西通りだ!」
人々がざわめく。
実咲が熊五郎を見る。
「どうする?」
熊五郎は鍋を見る。
残りは――。
少ない。
「……食材が足りない」
「え?」
「この人数を食わせ続けるなら」
熊五郎が立ち上がる。
「取りに行く必要がある」
ガルドが槍を持つ。
「俺が行く」
レオンも立とうとする。
「俺も――」
「待て」
熊五郎が止める。
「レオンは残れ」
「でも」
「右脚が限界だ」
レオンは黙った。
「……分かった」
熊五郎は実咲を見る。
「実咲」
「うん」
「店を頼む」
「任せて」
「ガルド」
「俺も行く」
「食材を探す」
「了解だ」
熊五郎は厨房を見る。
そして。
「……すぐ戻る」
実咲が頷いた。
「待ってる」
熊五郎とガルドが。
食堂の外へ出る。
扉が閉まる。
その瞬間。
実咲の光が。
食堂全体を包んだ。
「ここは――」
実咲は人々を見る。
子ども。
老人。
負傷した兵士。
疲れた町の人。
そして。
レオン。
「私が守る」
その言葉に。
食堂の看板が。
また光った。
――パァァァ……。
すると。
看板から伸びた光が。
今度は。
食堂の外へ。
熊五郎たちの進む道へ向かって伸びていった。
レオンが驚く。
「……道を作ってる」
実咲が呟く。
「帰ってくる場所を――」
光が。
二人の背中を追う。
「ちゃんと残しておく」
一方。
街の外れ。
熊五郎とガルドは。
黒い霧の中を進んでいた。
「食材はどこだ?」
熊五郎が聞く。
ガルドが答える。
「西の倉庫に残っている可能性がある」
「なら急ぐ」
二人が走る。
しかし。
黒い霧の向こう。
倉庫の前に。
誰かが立っていた。
熊五郎が止まる。
ガルドも槍を構える。
「……誰だ」
黒い霧の中から。
人影がゆっくり振り返った。
その胸には。
見覚えのある紋章。
王冠。
剣。
そして――。
鍋。
ガルドの顔が強張る。
「……あれは」
熊五郎が目を細めた。
人影が。
ゆっくり口を開く。
「――食堂店主」
「……」
「食材を取りに来たのか」
熊五郎は答える。
「そうだ」
人影が笑った。
「ならば――」
黒い霧が膨れ上がる。
「お前の料理に必要なものを――」
赤い目が光る。
「全部、奪ってやる」
熊五郎の左手に。
静かに風が集まった。
「……飯の邪魔か」
ガルドが槍を構える。
「そのようだ」
熊五郎は。
ほんの少し笑った。
「なら――」
風が。
倉庫の周囲を駆け抜ける。
「取り返すぞ」
その瞬間。
倉庫の扉が――。
内側から。
ゆっくり開いた。




