第80話 奪われる食堂
第80話 奪われる食堂
「――敵だ」
熊五郎の声が、地下に響いた。
左手に集まった風が――。
ゆっくりと渦を巻く。
だが。
黒い霧を纏った男は笑った。
「ならば――奪ってみろ」
――ゴゴゴゴゴゴ!
地下施設が大きく揺れた。
「な、何!?」
実咲が足元を見る。
床が動いている。
壁が――。
天井が――。
まるで巨大な生き物のように形を変えていく。
「食堂が……」
実咲が振り返る。
厨房の壁が黒く染まり始めていた。
「熊五郎!」
「分かってる!」
熊五郎が左手を振る。
――ゴオオオッ!
風が黒い壁を押し戻す。
しかし。
黒い壁は壊れない。
押されながらも――。
ゆっくりと厨房へ近づいてくる。
「押し返せない……!」
熊五郎が眉をひそめる。
「こいつ、店そのものを動かしている」
ガルドが槍を構えた。
「ならば、壁を壊す!」
「待て」
熊五郎が止める。
「壁を壊すな」
「だが!」
「店だぞ」
「……そうだったな」
ガルドは槍を下ろした。
レオンが苦笑する。
「熊五郎、店への執着だけは凄いな」
「当たり前だ」
熊五郎は真顔だった。
「直すのが面倒だからな」
「そこ!?」
実咲が叫ぶ。
黒い壁がさらに迫る。
実咲は両手を広げた。
「だったら――」
光が走る。
厨房の床。
壁。
天井。
そして――。
店の入口。
すべてを一本の光で繋ぐ。
「この店は私が守る!」
――バァン!
光の膜が食堂全体を包んだ。
黒い壁がぶつかる。
――ドンッ!
実咲の身体が揺れる。
「くっ……!」
「実咲!」
「大丈夫!」
実咲は踏ん張る。
「まだ守れる!」
黒い壁が押す。
光が軋む。
「……重い」
実咲の額に汗が浮かぶ。
「でも――」
さらに光を広げる。
「ここは熊五郎の店だから!」
その瞬間。
厨房の鍋が――。
強く光った。
「……!」
熊五郎が振り返る。
鍋の紋章。
王冠。
剣。
そして――。
鍋。
三つの紋章が光の中で繋がる。
『食堂――防衛開始』
地下に声が響く。
「……また王城が喋った」
実咲が呟く。
熊五郎は鍋を見る。
「違う」
「え?」
「王城じゃない」
熊五郎は静かに言った。
「この店自身だ」
――ゴォォォォォ!
食堂全体が淡い光に包まれた。
黒い壁が――。
押し返される。
「すごい……」
レオンが呟く。
ガルドも驚いている。
「店そのものが守ろうとしているのか」
「違う」
熊五郎が言う。
「実咲が守ろうとしたからだ」
実咲が振り返る。
「私が?」
「そうだ」
「……」
実咲は少し照れた。
「じゃあ、もっと頑張る」
「無理はするな」
「熊五郎にだけは言われたくない!」
「……」
熊五郎は黙った。
「図星ね」
「うるさい」
その瞬間。
――ズン!
巨大な衝撃。
黒い霧の男が、守護者を殴り飛ばした。
「――!」
巨大な身体が壁へ叩きつけられる。
「守護者!」
実咲が叫ぶ。
男は黒い霧を全身に纏っていた。
「王城中枢を拒絶する」
四本腕の守護者が立ち上がる。
「食堂も拒絶する」
黒い霧が膨れ上がる。
「そして――」
男の視線が熊五郎へ向く。
「王を拒絶したお前自身を――」
剣を失った手から。
黒い刃が伸びた。
「消す」
熊五郎が左手を構える。
「やってみろ」
――ゴオオオオオッ!
風が爆発する。
男も黒い霧を放つ。
――ドォン!
風と黒い霧がぶつかる。
地下通路が震える。
「熊五郎!」
実咲が叫ぶ。
「押されてる!」
熊五郎は歯を食いしばった。
右腕。
黒い線が首へ伸びている。
左手だけで魔力を使っている。
それでも。
「まだだ」
風を強める。
――ゴオオオオオッ!
黒い霧が押し戻される。
だが。
男は消えた。
「……?」
熊五郎が目を細める。
「どこだ?」
「上!」
レオンが叫ぶ。
天井。
黒い霧が集まり――。
男が落下してきた。
「熊五郎!」
ガルドが走る。
――ガキン!
槍で受け止める。
「ぐっ……!」
男の刃がガルドの肩を掠める。
黒い線が――。
一瞬、ガルドの肩に走った。
「ガルド!」
レオンが叫ぶ。
「大丈夫だ!」
ガルドは槍を押し返す。
だが。
右腕に力が入りにくい。
「……またか」
黒い線。
以前と同じ。
感覚が奪われていく。
レオンが前に出る。
「俺がやる!」
「待て!」
レオンの右脚が勝手に動いた。
「――っ!」
身体が前へ。
黒い刃へ向かって――。
レオン自身が左手で右脚を押さえる。
「俺は……!」
身体が震える。
「俺は仲間を攻撃しない!」
その瞬間。
実咲の光がレオンの足元を包んだ。
「レオン!」
光は黒い線を消さない。
ただ。
広がる速度を抑える。
「動ける!」
レオンが叫ぶ。
「まだ動ける!」
そのまま――。
壊れかけた椅子を振り上げる。
「これで!」
――ガンッ!
男の腕へ直撃。
「椅子……」
男が初めて動きを止める。
レオンが叫ぶ。
「武器は武器だ!」
実咲が叫ぶ。
「それ、絶対あとで熊五郎に怒られるよ!」
熊五郎が即答した。
「怒る」
「今!?」
「椅子は高い」
「そこなの!?」
男が三人を見る。
そして。
「……面白い」
黒い霧が再び膨らむ。
「王ではなく――」
視線が熊五郎へ向く。
「仲間で戦うか」
熊五郎は答えた。
「それが今の俺だ」
「ならば――」
男が手を広げる。
地下の床から。
無数の黒い腕が伸びた。
「その仲間から奪う」
実咲が光を広げる。
「させない!」
ガルドが槍を構える。
「守る!」
レオンも椅子を構えた。
「俺も!」
熊五郎が左手を上げる。
「――なら、合わせるぞ」
「どうするの?」
実咲が聞く。
熊五郎は厨房を見る。
そして。
鍋を見る。
「料理だ」
「また!?」
「今回は――」
熊五郎が鍋の蓋を開ける。
湯気が広がった。
黒い霧が――。
一瞬だけ止まった。
「……反応した?」
ガルドが驚く。
熊五郎は笑った。
「やっぱりな」
「何が?」
「こいつらは昔から――」
熊五郎が鍋をかき混ぜる。
「飯の匂いには弱い」
実咲が目を丸くする。
「まさか……」
「食わせる」
「敵に!?」
「違う」
熊五郎は鍋を持ち上げる。
「兵士にだ」
黒い霧に覆われた兵士たちが――。
一斉に顔を上げた。
「……飯」
「……食いたい」
黒い霧の中から。
かすかな声が聞こえる。
熊五郎は鍋を見つめた。
「なら――」
湯気が地下いっぱいに広がる。
「自分を取り戻せ」
その瞬間。
黒い兵士たちの黒い線が――。
一斉に赤く光った。
そして。
地下深くから。
あの声が響いた。
『料理による精神安定――確認』
『兵士の自我――回復開始』
『王城中枢――防衛対象を変更』
黒い霧の男が初めて叫んだ。
「やめろ!」
熊五郎が顔を上げる。
「……ようやく焦ったな」
男の背後で。
数え切れない黒い兵士たちが――。
ゆっくりと。
剣を下ろし始めた。




