第77話 王城中枢に逆らう者
第77話 王城中枢に逆らう者
『――それでは困る』
地下の奥から響いた声。
その瞬間。
熊五郎の手が止まった。
鍋の中で煮立っていたスープが――。
ぐつ。
小さく音を立てる。
「……誰?」
実咲が暗闇を見る。
返事はない。
ただ。
――ズン。
地下全体が揺れた。
「また揺れた!」
レオンが壁に手をつく。
ガルドは槍を構えた。
「熊五郎、下がれ」
「いや」
熊五郎は厨房の前から動かなかった。
「ここを離れるわけにはいかない」
「だが――」
「飯が途中だ」
「そこなのか……」
ガルドが呆れる。
しかし。
次の瞬間。
黒い兵士たちが一斉に動いた。
「来る!」
レオンが叫ぶ。
だが。
兵士たちは熊五郎へ向かわなかった。
全員が――。
地下の奥へ向かって走り出した。
「……?」
実咲が目を丸くする。
「どこ行くの?」
「分からない」
熊五郎が鍋を見ながら答える。
「だが――」
兵士たちの足音が遠ざかる。
そして。
地下の奥から――。
金属がぶつかる音。
――ガキン!
――ガキン!
――ドンッ!
「戦ってる?」
ガルドが聞く。
熊五郎は頷いた。
「中枢と……誰かがな」
その瞬間。
巨大な四本腕の存在が動いた。
熊五郎たちの前に立つ。
「敵か!?」
レオンが椅子を構える。
しかし。
巨大な存在は攻撃しなかった。
四本の腕を広げ――。
厨房を完全に覆った。
「……守ってる?」
実咲が呟く。
胸の鍋の紋章が輝く。
『料理人――保護』
『食堂――保護』
『守護者――保護』
「……」
熊五郎が目を細める。
「こいつは戦うためじゃない」
「じゃあ何?」
実咲が聞く。
「守るためだ」
熊五郎は鍋をかき混ぜた。
「なら――任せる」
「え?」
「俺は飯を作る」
「だから今は戦場だって!」
「戦場でも腹は減る」
「もうそれ聞いた!」
その時。
地下の奥から――。
黒い霧が一気に流れ込んできた。
巨大な存在が四本の腕を交差させる。
――ドンッ!
黒い霧が弾かれる。
だが。
一部が床を這い、厨房へ回り込もうとする。
実咲がすぐに光を放った。
「させない!」
――バンッ!
光の線が床を走る。
黒い霧が止まる。
しかし。
今度は天井から黒い糸が垂れた。
「上!」
レオンが叫ぶ。
実咲は振り向かない。
「見えてる!」
光の壁が天井まで伸びる。
――ジジジッ。
黒い糸が消える。
実咲は息を切らしながら笑った。
「私だって、少しは慣れてきたんだから!」
熊五郎が鍋を見ながら言う。
「上出来だ」
「褒めるならこっち見て!」
「焦げる」
「鍋優先!?」
「料理人だからな」
「もう!」
そんな二人を――。
ガルドが見ていた。
「……王だった頃と違うな」
レオンが聞く。
「何が?」
「昔の陛下なら、自分一人で全部やろうとした」
ガルドは熊五郎を見る。
「だが今は違う」
実咲が叫ぶ。
「ガルドさん!」
「なんだ?」
「話してる場合じゃない!」
黒い兵士が一体、光の壁を抜けた。
「――っ!」
ガルドが槍を振る。
――ガキン!
兵士の剣を受け止める。
「下がれ!」
レオンが横から椅子を叩きつけた。
――ゴンッ!
兵士がよろめく。
「よし!」
「だから椅子を武器にするな!」
「今は仕方ない!」
その瞬間。
兵士の胸に走る黒い線が――。
赤く光った。
「……まずい」
熊五郎が呟く。
「何?」
「そいつから離れろ!」
遅かった。
黒い霧が兵士の身体から噴き出した。
ガルドがレオンを突き飛ばす。
「逃げろ!」
――ドンッ!
黒い霧が広がる。
実咲は両手を広げた。
「光よ!」
巨大な壁が生まれる。
黒い霧が壁にぶつかる。
だが。
今回は押し返されない。
「重い……!」
実咲の足が床を擦る。
「実咲!」
熊五郎が叫ぶ。
「大丈夫!」
「無理するな!」
「無理じゃない!」
実咲は歯を食いしばる。
「私は――」
光がさらに強くなる。
「この店を守るって決めたから!」
――バァン!
黒い霧が弾き飛ばされた。
実咲はその場に膝をつく。
「……はぁ……」
熊五郎が振り返る。
「実咲」
「大丈夫……」
「本当に?」
「うん」
「なら飯を食え」
「今!?」
「疲れてる」
「誰のせいよ!」
熊五郎は真顔だった。
「俺の料理だ」
「そういう問題じゃない!」
ガルドが笑った。
「……いいな」
レオンも苦笑する。
「こんな状況なのに、いつもの店みたいだ」
だが。
その時。
――パチン。
暗闇の奥で。
指を鳴らす音がした。
全員が黙る。
「……今の何?」
実咲が立ち上がる。
暗闇。
そこから。
ゆっくりと人影が現れた。
黒い鎧ではない。
人間の姿。
長い黒い外套。
顔は見えない。
その人物が――。
一歩。
また一歩。
こちらへ近づいてくる。
「……ようやく会えた」
低い声。
熊五郎の表情が変わる。
「お前……」
人物が笑った。
「覚えていないか?」
「……知らない」
「そうか」
人物は顔を上げた。
その瞳は――。
黒かった。
「ならば、思い出させてやろう」
ガルドが前に出る。
「何者だ!」
人物はガルドを見る。
「お前も変わらないな」
「……何?」
「王のそばに立つ」
ガルドの顔が強張る。
「俺は――」
「ガルド」
名前を呼ばれた。
「……!」
ガルドが息を呑む。
「その名を……」
人物は笑う。
「忘れていたのか?」
熊五郎が一歩前へ出る。
「ガルドから離れろ」
人物の視線が熊五郎へ向く。
「やはりそうだ」
「何がだ」
「その言葉」
人物が静かに笑った。
「昔も同じだった」
熊五郎の右腕が痛む。
黒い線が――。
首から胸へ伸びる。
「……っ」
実咲が気づく。
「熊五郎!」
「大丈夫だ」
「またそれ!」
人物が熊五郎の右腕を見る。
「まだ残っているのか」
熊五郎の目が細くなる。
「……何を知っている」
「その黒い線も」
人物は自分の胸元を指す。
外套の下。
そこにも――。
黒い線が走っていた。
「この霧も」
そして。
「お前が捨てた王城も」
熊五郎の表情から笑みが消えた。
「……」
人物は最後に。
厨房の鍋を見る。
「そして――」
鍋の紋章が輝く。
「お前が今、守ろうとしているものも」
黒い霧が一斉に動いた。
巨大な守護者が立ちはだかる。
実咲が光を展開する。
ガルドとレオンも構える。
熊五郎は鍋を火から下ろした。
そして。
静かに言った。
「……飯が冷める」
人物が笑った。
「そうだな」
「だから――」
熊五郎は左手を構える。
「話は飯の後だ」
――ゴオオオオオッ!
地下に風が吹き荒れた。
だが。
人物は動かなかった。
ただ。
黒い瞳で熊五郎を見つめ――。
「ならば、飯を食わせてもらおう」
そう言って。
初めて。
その人物が――。
黒い霧を纏った剣を抜いた。




