第76話 王城中枢と料理人
第76話 王城中枢と料理人
――ゴゴゴゴゴゴ。
巨大な扉が開いていく。
その向こうから現れた影は――。
これまでの黒い兵士とは、明らかに違っていた。
背丈は三メートルを超えている。
全身を黒い鎧で覆い、両肩には巨大な角。
両腕は四本。
そして胸の中央には――。
巨大な鍋の紋章。
「……鍋?」
実咲が呟く。
レオンも目を細める。
「王城の中枢っていうから、もっと凄い剣とかだと思った」
「鍋も十分凄いだろ」
熊五郎が言う。
「そこじゃない!」
実咲が突っ込む。
巨大な存在が一歩前へ出た。
――ズン。
床が揺れる。
黒い霧が足元から広がっていく。
実咲はすぐに光の壁を作った。
――バンッ!
黒い霧が壁にぶつかる。
しかし。
今度は押し返されない。
「……重い」
実咲の額に汗が浮かぶ。
「これまでの霧とは違う……」
熊五郎が見る。
「無理に押し返すな」
「え?」
「受け止めろ」
「受け止める?」
「そうだ」
熊五郎は巨大な存在を見つめた。
「こいつは、まだ攻撃していない」
「……え?」
確かに。
巨大な存在は、四本の腕を下げたまま動いていない。
ただ。
熊五郎を見ている。
「……陛下」
低い声が響いた。
「また、その呼び方……」
熊五郎がため息をつく。
「俺は王じゃない」
「否定を確認」
巨大な存在の胸の鍋の紋章が光る。
『王――否定』
『食堂店主――確認』
『料理人――確認』
熊五郎が眉をひそめた。
「……料理人まで確認するのか」
実咲が言った。
「そこ重要なんじゃない?」
「そうか?」
「だって、さっきから鍋の紋章ばっかりだよ」
熊五郎は巨大な胸の紋章を見る。
「……確かに」
ガルドが近づいた。
「熊五郎」
「なんだ?」
「昔の王城で、この紋章を見たことは?」
熊五郎は少し考える。
「ある」
「どこで?」
「厨房だ」
ガルドが息を呑む。
「やはり……」
熊五郎は続けた。
「兵士に飯を食わせる厨房の壁に、同じ紋章があった」
「鍋の紋章が?」
「ああ」
実咲が首を傾げる。
「王城なのに、なんで鍋なの?」
熊五郎は少しだけ考えた。
「腹が減ってる兵士は戦えない」
「……それだけ?」
「それだけだ」
「ものすごく熊五郎らしい……」
その時。
巨大な存在が四本の腕を動かした。
「来る!」
ガルドが槍を構える。
レオンも椅子を構えた。
だが。
巨大な存在は――。
腕を上げなかった。
代わりに。
胸の鍋の紋章が光る。
――ゴオオオオッ。
黒い霧が周囲へ広がる。
「実咲!」
「分かってる!」
実咲は両手を広げる。
光の壁が一気に広がった。
厨房。
食堂。
地下への階段。
三方向を覆う。
――ドンッ!
黒い霧が光へぶつかる。
実咲の身体が後ろへ滑った。
「くっ……!」
「実咲!」
熊五郎が支える。
「大丈夫!」
実咲は歯を食いしばる。
「まだ守れる!」
その瞬間。
熊五郎は気づいた。
「……待て」
「なに?」
「霧が――」
熊五郎は床を見る。
黒い霧は実咲を攻撃していない。
光の壁を避けるように――。
厨房へ向かっている。
「鍋だ」
「え?」
「こいつが狙っているのは、俺じゃない」
熊五郎が厨房を見る。
鍋の紋章が、強く輝いている。
「俺の鍋だ」
実咲が鍋の前に立った。
「じゃあ――」
「守れ」
「うん!」
実咲の光が鍋を包む。
すると。
巨大な存在の胸の紋章が、さらに強く輝いた。
『料理庫――確認』
『食料――確認』
『兵站――確認』
『王の料理――確認』
熊五郎の顔が変わった。
「王の料理……?」
ガルドも反応した。
「熊五郎」
「……ああ」
熊五郎は巨大な存在を見つめる。
「こいつは俺を攻撃するために作られたんじゃない」
「じゃあ何?」
実咲が聞く。
熊五郎は答えた。
「飯を守るためだ」
全員が黙った。
巨大な存在が、ゆっくりと四本の腕を動かす。
そして。
熊五郎ではなく――。
実咲の前に立つ。
「……え?」
実咲が驚く。
巨大な身体が、厨房への入口を塞いだ。
黒い霧がその背後へ流れていく。
だが。
巨大な存在は、その霧を自分の身体で受け止めた。
「……守ってる?」
レオンが呟く。
ガルドが目を見開く。
「王城中枢の役目は……」
「守ること」
熊五郎が答える。
巨大な存在の鎧に黒い線が走る。
それでも動かない。
「料理を守る」
熊五郎が呟いた。
「兵士を守る」
そして。
「国を守る」
巨大な存在の胸の鍋の紋章が輝いた。
――ゴオオオオッ!
黒い霧が弾き飛ばされる。
「……すごい」
実咲が呟く。
だが。
巨大な存在の身体にも黒い線が走った。
「……こいつも侵されてる」
レオンが気づく。
熊五郎は頷いた。
「だから動けなかったんだ」
「動けなかった?」
「守る力と、黒い霧が中でぶつかっている」
熊五郎は左手を伸ばす。
「だったら――」
実咲が慌てて止める。
「待って!」
「なんだ?」
「右腕……」
熊五郎の右腕。
黒い線は肩を越え――。
首の近くまで来ている。
「これ以上魔法を使ったら……」
「分かってる」
「分かってない!」
実咲が怒る。
「熊五郎、最近ずっと『大丈夫』って言ってるけど!」
「……」
「全然大丈夫じゃないじゃん!」
熊五郎は黙った。
実咲は拳を握る。
「守るって、一人で全部背負うことじゃないでしょ」
「……」
「私もいる」
ガルドが槍を握る。
「俺もいる」
レオンも椅子を構える。
「俺も……まだ動ける」
熊五郎は三人を見る。
そして。
「……そうだったな」
小さく笑った。
「じゃあ――」
熊五郎は魔法を使わなかった。
代わりに。
厨房へ歩いた。
「え?」
実咲が驚く。
熊五郎は鍋を手に取る。
「料理を作る」
「今!?」
「今だ」
「敵、目の前!」
「だからだ」
熊五郎は鍋を火にかける。
地下の厨房に――。
小さな火が灯った。
黒い霧がその匂いに反応する。
巨大な存在の胸の紋章が輝いた。
そして。
黒い兵士たちが――。
一体。
また一体。
地下通路の奥から歩いてくる。
だが。
今度は剣を構えていなかった。
全員が。
厨房を見ている。
「……飯を」
誰かが呟いた。
「……飯を……」
別の兵士も。
熊五郎は鍋をかき混ぜる。
「腹が減ってるなら――」
そして。
静かに言った。
「並べ」
実咲が目を丸くする。
「……熊五郎」
「なんだ?」
「ここ、戦場だよ?」
「知ってる」
「地下だよ?」
「知ってる」
「敵いっぱいだよ?」
「それも知ってる」
熊五郎は鍋を見ながら言った。
「だから飯を作る」
その瞬間。
巨大な存在の胸の鍋の紋章が――。
今までで一番強く輝いた。
――そして。
地下深くから。
別の声が響いた。
『料理――開始を確認』
『兵站機能――再起動』
『王城中枢――料理人を認識』
熊五郎が顔を上げる。
『最終命令を――変更』
黒い霧が止まった。
兵士たちも止まる。
実咲が息を呑む。
そして。
地下の奥から――。
新しい命令が響いた。
『王を守れ』
『料理人を守れ』
『――食堂を守れ』
熊五郎は、静かに笑った。
「……やっと分かったか」
しかし。
その直後。
地下のさらに奥から――。
まったく別の声が響いた。
『――それでは困る』
熊五郎の手が止まった。
ガルドが振り返る。
レオンも息を呑む。
実咲が鍋を抱え直す。
暗闇の奥。
何かが――。
ゆっくりと目を開いた。




