第69話 王を守る者
第69話 王を守る者
「――王を守る者だ」
その言葉が。
食堂の中に響いた。
実咲は。
鍋を抱えたまま。
目の前の黒い影を見つめていた。
「……王を?」
黒い影は。
ゆっくりと顔を上げる。
その顔には。
黒い霧がまとわりついていた。
人の姿。
だが。
その身体には。
何本もの黒い線が走っている。
「お前は……誰?」
実咲が。
もう一度聞いた。
黒い影は。
答えなかった。
その代わり。
厨房の鍋を見た。
「その鍋……」
声が。
わずかに震える。
「まだ……残っていたのか」
実咲が。
鍋を抱きしめる。
「これ?」
「そうだ」
「熊五郎の鍋だけど」
黒い影が。
首を振る。
「違う」
「え?」
「それは――」
一歩。
こちらへ近づく。
ガルドが。
剣を構えた。
「それ以上近づくな!」
黒い影が。
ガルドを見る。
「……ガルド」
「!」
ガルドの動きが。
止まった。
「なぜ……俺の名を?」
黒い影が。
静かに言う。
「昔から知っている」
「昔……?」
ガルドの頭に。
また記憶が走った。
――城。
――兵士たち。
――厨房。
――鍋。
そして。
一人の兵士が。
若い熊五郎の前で跪いている。
『陛下』
『どうした?』
『厨房の警備を増やします』
『必要ない』
『ですが……』
『飯を作る場所だぞ』
熊五郎が。
笑っている。
『誰も傷つけさせるな』
ガルドの記憶が。
途切れる。
「……厨房の警備」
ガルドが。
呟いた。
黒い影が。
頷く。
「私は」
「……」
「王城の厨房を守っていた」
実咲が。
目を見開く。
「じゃあ……」
黒い影は。
実咲を見る。
「お前は」
「……私?」
「今」
黒い影が。
鍋を指差す。
「同じことをしている」
実咲は。
少し黙った。
そして。
鍋を見る。
「私は……熊五郎の店を守ってるだけ」
「それでいい」
「え?」
「王を守る必要はない」
黒い影が。
言った。
「守るべきなのは――」
食堂を見回す。
「王が大切にしたものだ」
実咲の胸が。
少しだけ熱くなった。
「……熊五郎が大切にしたもの」
店内を見る。
テーブル。
椅子。
厨房。
看板。
食材。
そして。
この場所で笑った客たち。
「……いっぱいある」
実咲が。
呟く。
黒い影は。
静かに頷いた。
「ならば」
突然。
黒い霧が。
その身体から噴き出した。
「守れ」
「――!」
ガルドが。
剣を振る。
「実咲!」
「分かってる!」
実咲が。
鍋を掲げる。
光の壁が。
厨房の前に展開される。
――バァン!
黒い霧が。
弾かれた。
「……!」
実咲が。
驚く。
「また強くなった……!」
黒い影が。
見つめる。
「守る意思が」
「……」
「力になる」
実咲は。
鍋を握る。
「じゃあ――」
黒い霧が。
再び押し寄せる。
「もっと守ればいいんだ!」
光の壁が。
さらに広がった。
厨房だけではない。
食堂全体を。
包み込んだ。
ガルドが。
目を見開く。
「食堂全体を……」
レオンも。
驚いている。
「すごい……」
だが。
実咲は。
歯を食いしばっていた。
「くっ……!」
光の壁が。
揺れる。
「重い……!」
黒い霧の量が。
あまりにも多い。
「実咲!」
ガルドが。
叫ぶ。
「無理するな!」
「無理じゃない!」
実咲は。
鍋を抱える。
「私が決めたの!」
「……」
「ここを守るって!」
光の壁が。
もう一度。
強く輝いた。
黒い霧が。
大きく弾き飛ばされる。
――ドォン!
その瞬間。
地下から。
大きな衝撃音が響いた。
「熊五郎……!」
実咲が。
振り返る。
そして。
地下から。
熊五郎の声が聞こえた。
「――実咲!」
「熊五郎!」
「聞こえるか!」
「聞こえる!」
「店は!」
「私が守ってる!」
一瞬。
沈黙。
そして。
熊五郎の声が。
聞こえた。
「……そうか」
「うん!」
「なら」
熊五郎の声に。
少しだけ笑いが混じった。
「俺も負けられないな」
実咲が。
笑った。
「当たり前でしょ!」
黒い影が。
二人の会話を聞いていた。
そして。
小さく呟く。
「……これだ」
「?」
「昔とは違う」
黒い影が。
熊五郎の声を聞く。
「王は一人で国を守ろうとしていた」
ガルドが。
顔を上げる。
「……」
「だが今は」
黒い影が。
実咲を見る。
「守る者がいる」
そして。
レオンを見る。
「戦う者がいる」
ガルドを見る。
「支える者がいる」
最後に。
厨房を見る。
「そして」
鍋を見る。
「料理を守る者がいる」
実咲が。
小さく笑う。
「……私のこと?」
「そうだ」
その時。
黒い影の身体から。
黒い線が。
一気に広がった。
「――っ!」
影が。
膝をつく。
「おい!」
ガルドが。
駆け寄る。
「近づくな!」
黒い影が。
叫んだ。
「私に触れるな!」
黒い霧が。
身体から噴き出す。
「まだ……」
「まだ何だ!」
「私は……」
影が。
胸を押さえる。
「王を守れなかった」
実咲が。
息を呑む。
「……」
「だから」
影の声が。
震える。
「今度こそ」
黒い霧が。
さらに濃くなる。
「守らなければならない」
その時。
地下から。
低い声が響いた。
『――守る者を確認』
『料理を守る者を確認』
『王を守る者を確認』
実咲が。
顔を上げる。
「何……?」
地下の奥。
巨大な魔法陣が。
再び光り始めた。
『――条件成立』
『王の帰還を――』
そこで。
声が止まる。
代わりに。
別の声が。
響いた。
『――しかし』
『王はまだ――』
黒い影が。
顔を上げた。
「……そうだ」
実咲が。
聞く。
「何が?」
黒い影は。
熊五郎のいる地下を見つめた。
「王はまだ」
「……」
「自分が王だったことを――」
黒い霧の奥で。
赤い目が。
光った。
「完全には思い出していない」
その瞬間。
地下から。
熊五郎の叫び声が響いた。
「――っ!」
ドォォォォォォン!
食堂全体が。
大きく揺れる。
実咲が。
鍋を強く握った。
「熊五郎!」
地下から。
何かが。
こちらへ向かってくる。
階段。
その奥から。
黒い影が。
一つ。
二つ。
三つ。
ゆっくりと。
上がってきた。
ガルドが。
剣を構える。
レオンも。
立ち上がる。
実咲は。
食堂全体を包む光の壁を。
もう一度強くする。
「ここは」
実咲が。
前を向く。
「私が守る」
そして。
地下から現れた三つの影が。
同時に。
顔を上げた。
その口から。
同じ言葉が。
響いた。
「――陛下」
実咲の鍋が。
眩しいほどに。
光った。




