第65話 奪わせないもの
第65話 奪わせないもの
「何を失わせればいい?」
地下に。
低い声が響いた。
熊五郎は。
巨大な存在を見つめる。
「……」
「国を失った」
「……」
「城を失った」
「……」
「王であることも捨てた」
黒い塊が。
ドクン。
「ならば」
巨大な存在の赤い目が。
実咲へ向く。
「次は――」
熊五郎の目が。
細くなった。
「実咲を」
「……!」
実咲の顔から。
血の気が引く。
「熊五郎……」
巨大な腕が。
実咲へ向かって伸びる。
「触るな」
熊五郎の声が。
低くなった。
ゴォォォォッ!
風が。
巨大な腕を弾き飛ばす。
「ぐっ……!」
巨大な存在の身体が。
壁へ叩きつけられた。
ドンッ!
ガルドが。
実咲の前へ立つ。
「下がれ!」
「分かった!」
実咲は。
ミレアのところまで下がる。
レオンも。
剣を構えた。
「俺もいる!」
巨大な存在が。
ゆっくり起き上がる。
「……なるほど」
「何がだ」
熊五郎が。
睨む。
「そこか」
巨大な存在が。
実咲を見る。
「お前が王を王でなくしたもの」
「……」
「国でもない」
「……」
「城でもない」
巨大な存在が。
笑った。
「たった一人の人間」
熊五郎の周囲の風が。
一瞬。
止まった。
「……違う」
「何が?」
「実咲は」
熊五郎は。
実咲を見る。
「俺を王でなくしたんじゃない」
「……」
「俺が」
熊五郎は。
ゆっくり言う。
「自分で王をやめた」
巨大な存在が。
黙る。
「そして」
熊五郎は。
実咲を見る。
「実咲は関係ない」
「熊五郎……」
「だから」
熊五郎は。
巨大な存在へ向き直る。
「狙うなら俺を狙え」
黒い塊が。
大きく脈打った。
「……ならば」
巨大な存在が。
四本の腕を広げる。
「お前を壊す」
黒い霧が。
一気に吹き出した。
「来るぞ!」
ガルドが。
叫ぶ。
「全員、下がれ!」
黒い霧が。
地下全体を覆う。
熊五郎は。
両手を広げた。
「――風よ」
ゴォォォォォッ!
巨大な風の壁が。
黒い霧を押し返す。
しかし。
今回は。
霧が違った。
風に逆らう。
「……!」
熊五郎の右腕に。
激痛が走る。
「ぐっ……!」
黒い線が。
胸へ伸びる。
実咲が。
叫ぶ。
「熊五郎!」
「見るな!」
「でも!」
「大丈夫だ!」
「またそれ!」
実咲が。
涙を浮かべる。
「大丈夫じゃない!」
熊五郎は。
苦しそうに息を吐く。
「……分かっている」
「じゃあ!」
「だから」
熊五郎は。
右腕を押さえる。
「早く終わらせる」
その瞬間。
黒い霧の中から。
無数の腕が現れた。
「なっ……!」
レオンが。
後ろへ下がる。
「腕が……増えた!」
黒い霧でできた腕が。
ガルドへ向かう。
ガルドが。
剣で切る。
――ザンッ!
一本。
二本。
三本。
「まだ来る!」
次々に。
黒い腕が伸びてくる。
ガルドは。
盾で防ぐ。
「くっ……!」
「ガルド!」
熊五郎が。
風を飛ばす。
腕が。
まとめて吹き飛ぶ。
だが。
その隙に。
別の腕が。
レオンへ向かった。
「――っ!」
レオンは。
避けようとする。
しかし。
右足が。
動かなかった。
「……!」
「動け!」
右足を。
左足で引っ張る。
「動けよ!」
黒い腕が。
迫る。
「レオン!」
実咲が。
叫ぶ。
熊五郎が。
風を放とうとする。
だが。
右腕が。
動かない。
「……っ!」
黒い線が。
肘から肩。
肩から胸へ。
完全に繋がろうとしていた。
「熊五郎!」
「……まだだ」
熊五郎は。
左手を上げる。
「左手がある」
ゴォッ!
風が。
レオンを包む。
黒い腕が。
吹き飛ぶ。
レオンが。
その場に膝をついた。
「はぁ……はぁ……」
「大丈夫か?」
熊五郎が聞く。
「……うん」
レオンは。
自分の右足を見る。
「でも……」
「何だ?」
「怖い」
熊五郎は。
黙る。
「また動かなくなるかもしれない」
「……」
「次は左足かもしれない」
レオンの声が。
震える。
「その次は……腕」
「レオン」
「そして」
レオンは。
胸を押さえる。
「心臓まで取られたら」
実咲が。
息を呑む。
熊五郎は。
ゆっくり歩いて。
レオンの前に立つ。
「取らせない」
「……」
「俺がいる」
レオンが。
顔を上げる。
「でも熊五郎も……」
「俺も取らせない」
「……どうやって?」
熊五郎は。
少し考える。
そして。
答えた。
「飯を食う」
「……え?」
「腹が減っていると弱気になる」
「今それ?」
「大事だ」
熊五郎は。
真顔だった。
実咲が。
思わず笑う。
「こんな時まで……」
ガルドも。
笑う。
「それが熊五郎だ」
レオンも。
少しだけ笑った。
その瞬間。
巨大な存在が。
叫んだ。
「笑うな!」
黒い霧が。
爆発する。
「――っ!」
食堂の地下全体が。
揺れる。
「お前たちは!」
巨大な存在が。
四本の腕を振り上げる。
「何も失っていないと思っているのか!」
ドォォォォン!
床が。
崩れる。
実咲が。
悲鳴を上げる。
「きゃあっ!」
「実咲!」
熊五郎が。
風を放つ。
実咲の身体が。
風に包まれ。
崩れた床の向こうへ飛ばされる。
「熊五郎!」
「掴まれ!」
実咲が。
熊五郎の左手を掴む。
「……!」
しかし。
二人の足元の床が。
さらに崩れる。
「まずい!」
ガルドが。
駆け寄る。
「熊五郎!」
「ガルド!」
「今、引き上げる!」
ガルドが。
熊五郎の腕を掴む。
しかし。
巨大な存在が。
その隙を狙う。
黒い腕が。
ガルドへ伸びる。
「――っ!」
レオンが。
飛び出した。
「ガルド!」
レオンが。
盾で受け止める。
ドンッ!
「ぐあっ!」
レオンが。
吹き飛ばされる。
「レオン!」
ガルドが。
叫ぶ。
レオンは。
床に倒れた。
「……痛い」
そして。
右足を見る。
黒い線が。
さらに伸びている。
「……でも」
レオンは。
歯を食いしばる。
「まだ動く」
ゆっくり。
立ち上がる。
「まだ……俺は俺だ」
その言葉を聞いて。
熊五郎が。
笑った。
「そうだ」
そして。
実咲を引き上げる。
「俺たちは」
熊五郎は。
巨大な存在を見る。
「何も失っていない」
巨大な存在が。
笑う。
「本当にそう思うか?」
熊五郎が。
答える。
「思う」
「なぜだ」
「失う前に」
熊五郎の風が。
一気に強くなる。
「守るからだ」
ゴォォォォォォォッ!
地下の黒い霧が。
一斉に吹き飛ぶ。
巨大な存在が。
腕で顔を覆う。
「――っ!」
熊五郎は。
前へ進む。
右腕は。
ほとんど黒くなっている。
それでも。
歩く。
一歩。
また一歩。
「俺は」
熊五郎は。
巨大な存在を睨む。
「王じゃない」
「……」
「国を守る必要もない」
「……」
「ただ」
熊五郎は。
後ろを見る。
実咲。
ガルド。
レオン。
ミレア。
そして。
食堂。
「こいつらを守る」
その瞬間。
巨大な存在の胸の黒い塊に。
大きな亀裂が走った。
「……なぜ」
黒い塊から。
初めて。
苦しそうな声が漏れる。
「なぜ……まだ立てる」
熊五郎は。
答えた。
「腹が減ってるからだ」
「……」
「だから」
熊五郎は。
包丁を握る。
「帰ったら飯を作る」
巨大な存在の赤い目が。
大きく見開かれた。
そして。
黒い塊の亀裂から。
大量の黒い霧が。
噴き出した。
「ならば――」
地下全体が。
真っ黒に染まる。
「その食堂から奪う」
熊五郎の顔から。
笑みが消えた。
「……やってみろ」
そして。
熊五郎は。
初めて。
左手だけで。
巨大な魔法を放った。




