第64話 王ではなく食堂の店主
第64話 王ではなく食堂の店主
「王よ」
地下の奥から。
巨大な影が立ち上がった。
「今度こそ――」
赤い目が。
熊五郎を見つめる。
「最後まで、国を守ってもらおう」
「……」
熊五郎は。
黙っていた。
実咲が。
不安そうに熊五郎を見る。
「熊五郎……」
「大丈夫だ」
「またそれ?」
「今回は違う」
熊五郎は。
右腕を見る。
黒い線が。
胸元まで伸びている。
「少し痛い」
「……」
「かなり痛い」
「熊五郎!」
「だが」
熊五郎は。
ゆっくり顔を上げた。
「まだ立てる」
ガルドが。
隣に立つ。
「それで十分だ」
巨大な影が。
一歩進んだ。
ドンッ!
地下全体が。
揺れる。
「……大きい」
レオンが。
息を呑む。
その姿は。
人間ではなかった。
巨大な鎧を身にまとい。
四本の腕を持つ。
頭には二本の角。
そして。
胸の中央には。
黒い塊。
「また……」
レオンが。
胸を押さえる。
「同じものだ」
熊五郎が。
見る。
「お前の中のものと?」
「……似ている」
レオンの声が。
震える。
「でも、こっちの方が……」
「大きい?」
「違う」
レオンは。
巨大な存在を見つめる。
「もっと……深い」
その言葉と同時に。
巨大な存在が。
腕を振り上げた。
「来る!」
ガルドが。
叫ぶ。
ドォォォン!
巨大な拳が。
床を叩いた。
石の床が。
吹き飛ぶ。
「うわっ!」
実咲が。
転ぶ。
「実咲!」
熊五郎が。
風を放つ。
ゴォォッ!
飛んできた石が。
すべて吹き飛ばされる。
「ありがとう!」
「怪我は?」
「ない!」
「なら下がってろ」
「分かった!」
実咲は。
ミレアのところまで下がる。
ガルドが。
巨大な存在へ走る。
「俺が足を止める!」
「任せろ」
ガルドが。
剣を振る。
――ガキィン!
巨大な腕が。
剣を受け止めた。
「くっ……!」
ガルドの身体が。
押し返される。
「重い!」
巨大な存在が。
もう一本の腕を振る。
熊五郎が。
風を放つ。
ドォォォッ!
腕の軌道が。
横へ逸れる。
ガルドが。
その隙に懐へ入る。
「今だ!」
剣が。
胸へ向かう。
だが。
黒い塊が。
大きく脈打った。
ドクン!
ガルドの剣が。
黒い霧に包まれる。
「なっ!」
「離れろ!」
熊五郎が叫ぶ。
ガルドが。
剣を引く。
その腕に。
黒い線が走った。
「――っ!」
「ガルド!」
「まだだ!」
ガルドは。
腕を押さえる。
「この程度……!」
熊五郎が。
眉をひそめる。
「無理するな」
「お前に言われたくない」
「……」
熊五郎は。
少しだけ笑った。
「確かに」
その時。
巨大な存在が。
口を開いた。
「王よ」
低い声。
「なぜ戦う?」
熊五郎は。
答える。
「お前が攻撃してくるからだ」
「違う」
「何が?」
「お前は国を守るために戦っていた」
「……」
「ならば」
巨大な存在が。
拳を握る。
「今も国を守れ」
熊五郎は。
黙る。
そして。
ゆっくり。
食堂の上を見た。
「国?」
「そうだ」
「……」
熊五郎は。
首を振った。
「違う」
巨大な存在が。
止まる。
「俺が今守っているのは」
熊五郎は。
実咲を見る。
「実咲」
次に。
ガルド。
「ガルド」
そして。
レオン。
「レオン」
ミレア。
「ミレア」
最後に。
食堂を見る。
「この店だ」
「……」
「ここに来る客だ」
熊五郎は。
右腕を握る。
「飯を食べたい奴」
「……」
「疲れている奴」
「……」
「悩んでいる奴」
熊五郎の目が。
鋭くなる。
「腹が減っている奴」
実咲が。
思わず。
小さく笑った。
「熊五郎らしい……」
ガルドも。
笑う。
「昔と変わらないな」
巨大な存在が。
低く唸る。
「王であることを捨てたか」
「そうだ」
「国を捨てたか」
「違う」
熊五郎は。
静かに言う。
「俺は」
風が。
足元に集まる。
「国を捨てたんじゃない」
「……」
「王をやめただけだ」
その瞬間。
風が爆発した。
ゴォォォォォォッ!
黒い霧が。
地下の壁へ叩きつけられる。
巨大な存在の身体が。
初めて後ろへ下がった。
「……!」
ガルドが。
目を見開く。
「この魔力……」
熊五郎の右腕から。
黒い線が。
胸へ伸びている。
それでも。
風は止まらない。
「熊五郎……」
実咲が。
心配そうに見る。
「まだ……」
熊五郎は。
右腕を押さえながら。
左手を前へ出す。
「まだ終わってない」
巨大な存在が。
四本の腕を広げる。
黒い霧が。
一気に集まる。
「ならば」
四つの腕に。
黒い魔力が集まる。
「王の力を見せろ」
熊五郎の目が。
細くなる。
「……嫌だ」
「何?」
「王の力なんて」
熊五郎は。
一歩前へ出る。
「見せるつもりはない」
「ならば何を使う?」
熊五郎は。
少し考えた。
そして。
答えた。
「店主の力だ」
実咲が。
首を傾げる。
「店主の力って……料理?」
「そうだ」
「今、戦闘中だよ!?」
熊五郎は。
真顔だった。
「腹が減っている奴がいる」
「……」
「なら飯を作る」
「こんな状況で!?」
熊五郎は。
厨房を見る。
まだ。
鍋がある。
食材も。
少し残っている。
「戦う前に」
熊五郎は。
言った。
「食え」
レオンが。
目を丸くする。
「……俺たちが?」
「ああ」
「今?」
「ああ」
ガルドが。
笑いをこらえる。
「熊五郎」
「何だ?」
「お前は本当に変わらないな」
「そうか?」
「ああ」
ガルドは。
剣を握り直す。
「なら」
ガルドが。
笑う。
「食うためにも、生きるか」
「そうしろ」
熊五郎は。
厨房へ向かう。
しかし。
その瞬間。
巨大な存在が。
腕を振り下ろした。
「――させると思うか!」
ドォォォォン!
熊五郎の前に。
巨大な拳が落ちる。
風が。
爆発する。
「熊五郎!」
実咲が叫ぶ。
煙が。
地下を覆う。
「熊五郎!」
「……」
返事がない。
「熊五郎!」
ガルドが。
煙の中へ走る。
だが。
その時。
煙の中から。
声がした。
「……鍋を壊すな」
「え?」
ガルドが。
止まる。
「料理が作れなくなる」
次の瞬間。
煙が。
一気に吹き飛んだ。
その中心に。
熊五郎が立っていた。
右腕は。
黒く染まっている。
それでも。
鍋を抱えている。
「……」
実咲が。
呆然とする。
「なんで鍋持ってるの?」
熊五郎は。
真顔で答えた。
「大事だからだ」
「そこ!?」
ガルドが。
吹き出す。
「ははっ……!」
レオンまで。
思わず笑った。
戦場だった地下に。
ほんの一瞬。
笑い声が響いた。
巨大な存在だけが。
黙っている。
「……理解できない」
「そうか?」
熊五郎は。
鍋を置く。
「なら覚えておけ」
そして。
包丁を握る。
「俺はもう王じゃない」
一歩。
前へ。
「俺は食堂の店主だ」
もう一歩。
「だから」
熊五郎は。
巨大な存在を睨む。
「俺の店を壊す奴は――」
風が。
地下を震わせる。
「客じゃない」
巨大な存在の赤い目が。
大きく開いた。
「……」
熊五郎の周囲に。
風が渦巻く。
「敵だ」
その瞬間。
地下全体を揺らすほどの。
巨大な咆哮が。
響き渡った。
そして。
巨大な存在の胸にある黒い塊が。
これまでにないほど。
激しく脈打った。
ドクン――。
ドクン――。
ドクン――。
その奥から。
別の声が。
小さく響いた。
「……王ではなくなったのなら」
熊五郎が。
顔を上げる。
「次は――」
黒い塊の奥で。
二つの赤い光が開く。
「何を失わせればいい?」




