第61話 奪われる食堂
第61話 奪われる食堂
――ドクン。
黒い塊が。
大きく脈打った。
次の瞬間。
「――来るぞ!」
ガルドが叫んだ。
黒い霧が。
一気に膨れ上がる。
「実咲!」
熊五郎が振り返る。
「下がれ!」
「分かった!」
実咲は。
ミレアの腕を掴んだ。
「こっち!」
レオンも。
二人を守るように前へ出る。
「俺も残る!」
「レオン!」
「まだ動ける!」
レオンは。
自分の右腕を見る。
黒い線は。
肩から胸へ伸び始めている。
それでも。
両足は動く。
「まだ……俺は俺だ」
レオンは。
拳を握った。
「だから戦う!」
「無理はするな!」
ガルドが叫ぶ。
「分かってる!」
その瞬間。
黒い霧が。
床を這った。
食堂の入口へ。
壁へ。
天井へ。
「まずは飯だ」の看板へ。
黒い霧が。
触れようとする。
熊五郎が。
右手を上げた。
「触るな」
ゴォォォォォッ!
風が吹き荒れる。
黒い霧が。
入口から押し戻された。
「……」
熊五郎は。
右腕を見る。
黒い線は。
また少し伸びていた。
実咲が。
それに気づく。
「熊五郎……」
「大丈夫だ」
「その言葉、もう禁止!」
「……」
「大丈夫じゃないなら、ちゃんと言って!」
熊五郎は。
少し考える。
「……痛い」
「え?」
「右腕が痛い」
実咲の表情が。
固まる。
熊五郎が。
続けた。
「少し動かしにくい」
「……うん」
「だが」
熊五郎は。
食堂を見る。
「まだ守れる」
実咲は。
唇を噛んだ。
「……なら私も守る」
「何を?」
「この店」
実咲は。
店内を見る。
テーブル。
椅子。
厨房。
そして。
入口に掛かった看板。
「ここは熊五郎の店でしょ」
「そうだ」
「なら私もここを守る」
熊五郎は。
少しだけ笑った。
「そうか」
その時。
ガルドが叫ぶ。
「熊五郎!」
「どうした?」
「壁だ!」
食堂の奥。
黒い霧が。
壁に集まっていた。
そして。
そこに。
一本の黒い線が浮かび上がる。
「……また?」
レオンが呟く。
黒い線は。
ゆっくりと。
床へ伸びていく。
そして。
黒い扉のあった場所へ。
「この食堂そのものを」
ガルドが。
剣を構える。
「狙っているのか?」
熊五郎は。
黙っていた。
「……違う」
「違う?」
「狙っているのは」
熊五郎は。
黒い扉を見る。
「この場所に残っている何かだ」
ミレアが。
震えた。
「……あの扉」
「知っているのか?」
熊五郎が聞く。
ミレアは。
首を振る。
「分かりません」
「……」
「でも」
ミレアは。
食堂の奥を見る。
「昔から……」
「昔から?」
「この紋章は」
ミレアの顔が。
青ざめる。
「王城の地下にありました」
ガルドが。
振り向いた。
「王城……?」
「はい」
ミレアが。
震える声で続ける。
「誰も近づいてはいけない場所でした」
熊五郎の目が。
細くなる。
「……俺は知らない」
「本当に?」
実咲が聞く。
熊五郎は。
少し黙った。
「……覚えていない」
その瞬間。
黒い扉が。
ドンッ!
内側から叩かれた。
「――っ!」
全員が身構える。
ドン!
もう一度。
ドン!
三度目。
扉が。
少しずつ開いていく。
「何か来る!」
ガルドが。
ミレアの前へ立つ。
レオンも。
実咲の前へ。
熊五郎だけが。
扉を見ている。
「……」
扉の隙間から。
黒い霧が。
流れ出した。
その奥。
何かがいる。
大きい。
人間ではない。
だが。
前に出てきた魔物とも違う。
「熊五郎……」
実咲の声が震える。
「何?」
「あれ……」
扉の奥から。
一本の腕が出てきた。
黒い腕。
しかし。
その腕には。
人間の手があった。
「……人?」
レオンが呟く。
黒い霧の中から。
ゆっくりと。
人影が現れる。
「……」
誰も動けない。
人影は。
全身を黒い霧に覆われている。
そして。
胸には。
あの黒い塊。
「また……」
レオンが。
胸を押さえる。
「同じだ」
「何が?」
ガルドが聞く。
「俺の中にあるものと……」
レオンは。
人影の胸を見る。
「同じだ」
人影が。
ゆっくり顔を上げた。
その目は。
真っ黒だった。
「……」
そして。
熊五郎を見る。
「……陛下」
熊五郎が。
固まった。
「またその呼び方か」
「……」
人影は。
苦しそうに息をする。
「お帰り……ください」
「どこへ?」
「……王城へ」
熊五郎は。
黙る。
人影は。
震える手を伸ばす。
「まだ……」
「……」
「まだ……国は……」
その言葉の途中で。
黒い霧が。
人影の口を塞いだ。
「――っ!」
ガルドが。
走り出す。
「助ける!」
しかし。
熊五郎が。
腕を出して止めた。
「待て」
「なぜだ!」
「罠だ」
「……!」
熊五郎は。
黒い人影を見る。
「こいつ自身が呼んでいるんじゃない」
「じゃあ誰が……」
「黒い塊だ」
その瞬間。
人影の胸の黒い塊が。
ドクン。
大きく脈打つ。
そして。
食堂全体の黒い霧が。
一斉に動いた。
「全員、伏せろ!」
熊五郎が叫ぶ。
ゴォォォォォッ!
黒い霧が。
四方から襲いかかる。
熊五郎は。
風の壁を作った。
「くっ……!」
右腕が。
激しく震える。
「熊五郎!」
実咲が叫ぶ。
「大丈夫……だ!」
だが。
黒い線が。
肩から首へ伸びる。
熊五郎の顔が。
歪む。
「……まだ」
「熊五郎!」
「まだだ!」
風の壁が。
さらに強くなる。
ガルドが。
その隙に人影へ近づく。
「今だ!」
剣を振る。
――ザンッ!
黒い線が一本。
切れた。
「――!」
人影が。
苦しそうに叫ぶ。
そして。
同時に。
熊五郎の右肩に。
新しい黒い線が走った。
「……っ!」
実咲が。
息を呑む。
「また……代償……」
熊五郎は。
右肩を押さえた。
「……そういうことか」
「何が?」
「この黒い塊は」
熊五郎は。
人影を見る。
「俺たちが切るたびに」
右腕の黒い線を見る。
「代わりに誰かへ繋がる」
ガルドが。
剣を握り直す。
「なら、俺が全部切る」
「駄目だ」
熊五郎が言う。
「なぜ!」
「お前まで動けなくなる」
「それでも!」
「ガルド」
熊五郎は。
まっすぐ彼を見る。
「生きろ」
ガルドが。
黙る。
その言葉。
昔と同じだった。
「……分かった」
ガルドは。
剣を下ろさない。
「なら、俺は無駄に切らない」
「そうしろ」
その時。
黒い人影が。
ゆっくり顔を上げた。
「……陛下」
「何だ?」
「王城へ……」
熊五郎が。
眉をひそめる。
「王城はどこだ?」
その言葉に。
ガルドとミレアが。
同時に息を呑んだ。
「……」
熊五郎は。
自分でも驚いたように。
呟く。
「俺は……」
そして。
胸を押さえた。
「王城が……どこにあったのか」
「覚えていない」
その瞬間。
黒い人影が。
笑った。
「そうです」
「……」
「だからこそ――」
黒い塊の奥から。
あの声が響く。
「帰る場所はない」
そして。
食堂の床が。
大きく揺れた。
「――っ!」
「何だ!」
「地面が!」
床に。
巨大な黒い亀裂が走る。
厨房から。
入口へ。
そして。
看板の真下まで。
実咲が。
看板を見る。
「熊五郎……」
「どうした?」
「看板が……」
「……」
看板に。
黒い線が一本。
ゆっくりと伸びていた。
その文字。
『まずは飯だ』
その「飯」の文字を。
黒い霧が。
覆っていく。
熊五郎の目が。
鋭くなる。
「……そこまでだ」
右腕の痛みを。
無視するように。
熊五郎は立ち上がった。
「この店には」
風が。
静かに集まり始める。
「勝手に触らせない」
黒い塊が。
大きく脈打つ。
ドクン――。
そして。
食堂の地下から。
何かが。
ゆっくりと。
目を覚ました。




