第58話 黒い塊の中にいたもの
第58話 黒い塊の中にいたもの
黒い塊へ繋がる。
一本の黒い線。
それが。
ゆっくりと切れていく。
「……もう少し」
熊五郎が。
風を集中させる。
ガルドも。
必死に人の身体を引っ張っていた。
「引け!」
「分かっている!」
ズズズズズ……。
黒い線が。
少しずつ細くなる。
「熊五郎!」
実咲が叫ぶ。
「その線……何か変だよ!」
熊五郎が見る。
切断されかけた黒い線が。
熊五郎の腕へ向かって。
伸びていた。
「……」
「熊五郎!」
「大丈夫だ」
熊五郎は。
風を止めない。
「あと少しだ」
黒い線が。
さらに細くなる。
そして。
――ブツン。
切れた。
「――!」
その瞬間。
熊五郎の右腕に。
激痛が走った。
「……っ!」
熊五郎の身体が。
大きく揺れる。
「熊五郎!」
実咲が駆け寄る。
「どうしたの!?」
「……問題ない」
熊五郎は。
腕を押さえた。
だが。
その右腕には。
黒い線が一本。
手首から。
肘へ向かって。
伸びていた。
「……熊五郎」
ガルドが。
息を呑む。
「黒い霧が……お前にも」
「触れただけだ」
「違う!」
ガルドが叫ぶ。
「さっきの線だ!」
熊五郎は。
自分の腕を見る。
黒い線が。
ゆっくり動いている。
「……そういうことか」
「何が?」
実咲が聞く。
熊五郎は。
切れた黒い線を見る。
「繋がっていたものを切った」
「うん」
「だから……」
熊五郎は。
黒い線を睨む。
「切断した代償を、こっちが受け取った」
「そんな……」
実咲の顔が青ざめる。
「じゃあ、切れば切るほど……」
「俺に返ってくる」
熊五郎は。
淡々と言った。
「……」
実咲は。
熊五郎の腕を掴む。
「だったら、もう切らないで」
「無理だ」
「なんで!」
「まだ中に人がいる」
熊五郎は。
黒い塊を見る。
「助けるには必要だ」
「でも熊五郎が――」
「大丈夫だ」
「大丈夫じゃないよ!」
実咲が叫ぶ。
「黒い線、今も伸びてるじゃん!」
熊五郎は。
腕を見る。
確かに。
黒い線は。
肘へ向かっていた。
そして。
ほんの少しずつ。
進んでいる。
「……」
その光景を見て。
レオンが震えた。
「俺と……同じだ」
「レオン?」
「黒い線が……身体を進んでる」
レオンは。
自分の右腕を見る。
「俺は足からだった」
「……」
「熊五郎は腕から……」
その言葉に。
熊五郎が。
ふとレオンを見る。
「お前」
「はい」
「黒い線が進む時……何か感じるか?」
レオンは。
しばらく黙った。
「……感覚が消える」
「どこから?」
「最初は足」
「その次は?」
「腕」
レオンは。
自分の胸を押さえる。
「それから……胸」
熊五郎は。
自分の腕を見る。
「なるほど」
「何が分かった?」
実咲が聞く。
「こいつは身体を壊しているわけじゃない」
「え?」
「奪っている」
「何を?」
「感覚と魔力だ」
熊五郎は。
黒い線を見つめる。
「だから治癒魔法が効かない」
「……」
「治す傷がないからだ」
ガルドが。
ハッとする。
「身体そのものを変えている?」
「いや」
熊五郎は。
首を振る。
「もっと厄介だ」
黒い線が。
熊五郎の肘へ届いた。
「身体を使うためのものを……少しずつ奪っている」
実咲が。
唇を噛む。
「じゃあ……」
「時間が経てば」
熊五郎が。
静かに答える。
「動かせなくなる」
レオンが。
息を呑む。
「……俺が言ってたことと同じ」
「そうだ」
「じゃあ熊五郎も……」
「まだ腕だけだ」
熊五郎は。
平然としている。
「だから問題ない」
「問題あるよ!」
実咲が叫ぶ。
「熊五郎!」
「何だ?」
「昔もそうやって……」
実咲は。
熊五郎の顔を見る。
「自分が傷つくのを平気で受け入れてたの?」
熊五郎が。
止まった。
「……」
答えない。
その瞬間。
頭の奥に。
また記憶が浮かんだ。
――戦場。
黒い霧。
倒れている兵士。
そして。
自分の腕に走る。
黒い線。
「陛下!」
誰かが叫ぶ。
「おやめください!」
「まだ切れる」
「ですが、その術を使えば――!」
「分かっている」
「陛下!」
「俺一人で済むなら、それでいい」
「しかし!」
「民を逃がせ」
その記憶。
そこで途切れる。
熊五郎は。
自分の腕を見る。
「……昔も」
小さく呟く。
「同じことをした」
ガルドが。
目を見開く。
「……やっぱり」
「何が?」
「お前は昔……」
ガルドの記憶が。
一気に蘇る。
黒い霧の戦場。
そして。
自分の前に立つ熊五郎。
腕に。
今と同じ黒い線が走っていた。
「俺は……」
ガルドが震える。
「見ていた」
熊五郎が振り向く。
「何を?」
「お前が……同じように自分の魔力を使って」
「……」
「誰かを助けた」
ガルドの声が震える。
「そして、その後……」
「その後?」
ガルドは。
頭を押さえた。
「……思い出せない」
熊五郎は。
しばらく黙った。
その時。
助け出された人物が。
小さく咳き込んだ。
「……うっ」
「!」
実咲が駆け寄る。
「大丈夫!?」
人物は。
ゆっくり目を開けた。
顔には。
まだ黒い霧が残っている。
「……ここは」
「食堂だよ」
実咲が答える。
「あなた、黒い塊の中にいたの」
「……そうか」
人物は。
熊五郎を見る。
そして。
目を見開いた。
「……陛下」
熊五郎は。
眉を寄せる。
「だから――」
「その腕……」
人物の視線が。
熊五郎の右腕へ向く。
黒い線。
「……また」
その一言で。
熊五郎の表情が変わった。
「また?」
「はい……」
人物は。
苦しそうに息をする。
「昔も……あなたは」
その先を言おうとした瞬間。
黒い霧が。
人物の身体から噴き出した。
「――っ!」
「危ない!」
熊五郎が。
すぐに風を放つ。
しかし。
黒い霧は。
熊五郎の風に逆らうように。
熊五郎の右腕へ集まっていく。
「熊五郎!」
実咲が叫ぶ。
黒い線が。
肘から。
上腕へ伸び始めた。
「……くっ」
熊五郎が。
初めて顔を歪めた。
「熊五郎!」
ガルドが駆け寄る。
「切断の代償が……まだ続いている!」
熊五郎は。
右腕を押さえながら。
黒い塊を見る。
「……そうか」
「何が?」
「一本切っただけでこれだ」
熊五郎の目が。
鋭くなる。
「なら……全部切ったら」
その言葉に。
全員が黙った。
「熊五郎……」
実咲が震える。
熊五郎は。
黒い線の伸びる腕を見た。
そして。
静かに笑った。
「……昔の俺は」
一瞬。
王だった頃の記憶が蘇る。
「これを全部引き受けたのか」
ガルドが。
息を呑む。
「……」
熊五郎は。
ゆっくり顔を上げる。
「なら」
風が。
再び集まり始める。
「今度も俺が引き受ける」
「駄目!」
実咲が叫ぶ。
だが。
熊五郎は。
黒い塊へ向かって歩き出した。
「中にいる奴を助ける」
その右腕には。
すでに。
黒い線が。
肩へ向かって伸び始めていた。




