↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
55/120

第55話 黒い塊が呼ぶ名前

第55話 黒い塊が呼ぶ名前


黒い霧が。


食堂いっぱいに広がっていた。


「熊五郎!」


実咲の声が。


霧の向こうから聞こえる。


「そこにいる!?」


「いる!」


熊五郎は。


声を張り上げた。


だが。


視界が悪い。


数メートル先すら。


ほとんど見えない。


黒い霧は。


ただ視界を奪うだけではなかった。


肌に触れるたび。


冷たい。


まるで。


身体の中へ入り込もうとしているようだった。


「この霧……」


熊五郎が。


手を伸ばす。


指先に黒い粒子がまとわりつく。


「気をつけて!」


実咲が叫ぶ。


「触らないほうがいい!」


「分かっている」


熊五郎は。


風を起こした。


ゴォォォォッ!


黒い霧が。


一瞬だけ押し返される。


しかし。


すぐに戻ってくる。


「……厄介だな」


熊五郎が呟く。


その時。


「熊五郎!」


ガルドの声がした。


「レオンが!」


「どこだ!」


「こっちだ!」


熊五郎が。


声の方向へ走る。


霧の中。


ガルドが。


レオンを押さえていた。


「離せ!」


レオンが叫ぶ。


「俺じゃない!」


右腕が。


勝手に動いている。


剣を握った手が。


自分の意思とは無関係に。


ゆっくり上がっていく。


「レオン!」


熊五郎が。


腕を掴む。


「俺を見る!」


レオンが。


熊五郎を見る。


右目は。


完全に黒い。


「俺の右腕が……」


「分かってる」


「違う!」


レオンが。


苦しそうに叫ぶ。


「腕だけじゃない!」


黒い線が。


首から胸へ。


さらに広がっている。


「身体の中に……何かいる!」


熊五郎は。


黒い線を見る。


そして。


魔物の胸を見る。


「……同じだ」


「何が?」


ガルドが聞く。


「レオンの中にある黒い線と」


熊五郎が。


魔物の胸を指差す。


「あの黒い塊から伸びている線が同じだ」


ガルドの表情が変わる。


「つまり……」


「繋がっている」


熊五郎が答える。


「魔物とレオンが」


「……」


「同じ力で動かされている」


レオンが。


息を呑む。


「じゃあ俺は……」


「まだ大丈夫だ」


熊五郎が。


即答した。


「まだお前自身がいる」


「どうして分かる?」


「俺を見て話しているからだ」


レオンが。


目を見開く。


「もし完全に奪われていたら」


熊五郎は。


レオンの目を見る。


「お前は助けを求めない」


「……」


「だから」


熊五郎は。


レオンの肩を掴む。


「まだレオンだ」


レオンの目から。


涙が落ちる。


「……俺は」


「ああ」


「俺はレオンだ」


「そうだ」


「俺は……レオンだ!」


その瞬間。


黒い線が。


一瞬だけ止まった。


ガルドが。


息を呑む。


「止まった……」


熊五郎は。


黒い線を見る。


「名前か」


「え?」


「自分の名前を言った時だけ」


熊五郎が。


呟く。


「黒い霧の動きが弱くなった」


レオンが。


自分の胸を見る。


「じゃあ……」


「自分を忘れなければいい」


熊五郎が言う。


「簡単じゃない」


レオンは。


首を振る。


「でも」


熊五郎を見る。


「やる」


その時。


魔物が。


再び咆哮した。


「グォォォォォォッ!」


黒い霧が。


一気に膨れ上がる。


「来るぞ!」


ガルドが。


剣を構える。


巨大な腕が。


霧の中から飛び出してくる。


――ズガァァン!


熊五郎が。


風壁を展開する。


しかし。


今度は。


黒い腕が風壁を押し切ってくる。


「……!」


熊五郎が。


踏ん張る。


「重い……!」


「俺も支える!」


ガルドが。


横から剣を突き出す。


――ガキィィン!


黒い腕が。


少しだけ逸れる。


「今だ!」


レオンが。


剣を握る。


右腕が震える。


「俺の身体を使わせるか!」


レオンは。


左手で右腕を押さえた。


「俺はレオンだ!」


右腕が。


少し止まる。


「俺は……」


さらに力を込める。


「俺の身体だ!」


右腕が。


完全に止まった。


「今だ!」


レオンが。


自分の左手で剣を持ち替える。


そして。


黒い腕へ。


斬りつける。


――ザンッ!


黒い腕が。


大きく裂けた。


「やった!」


実咲が叫ぶ。


しかし。


熊五郎は。


その傷口を見ていた。


「……違う」


「え?」


「傷が」


黒い霧が。


傷口から逆流している。


「こいつは斬っても倒せない」


ガルドが。


眉を寄せる。


「ならどうする?」


熊五郎は。


魔物の胸を見る。


黒い塊。


その奥。


一瞬だけ。


人影が見えた。


「……あそこだ」


「見えるのか?」


ガルドが聞く。


熊五郎は。


目を細める。


「一瞬だけな」


実咲も。


目を凝らす。


「私には見えない」


レオンが。


黒い右目を押さえる。


「俺には……」


「何が見える?」


「さっきより近い」


レオンが。


震える。


「人がいる」


「顔は?」


「……」


レオンが。


息を呑む。


「今度は少し見える」


「誰だ?」


「男だ」


「どんな男?」


レオンは。


しばらく見つめる。


そして。


小さく呟いた。


「……兵士」


ガルドの表情が。


変わった。


「兵士?」


「ああ」


「どこの兵士だ?」


レオンは。


答えようとする。


だが。


突然。


頭を押さえた。


「――っ!」


「レオン!」


「頭が……!」


黒い右目から。


黒い液体のような涙が流れる。


「何か……記憶が……」


「無理するな!」


熊五郎が。


肩を支える。


「でも……」


レオンは。


熊五郎を見る。


「その兵士が」


「……」


「熊五郎を見てる」


熊五郎の動きが止まる。


「俺を?」


「うん」


「何をしている?」


レオンは。


目を閉じる。


そして。


聞こえた声を。


そのまま口にした。


「……陛下」


熊五郎の顔から。


表情が消えた。


「もう一度言え」


「陛下……って」


黒い塊の中から。


声が響く。


「陛下……」


熊五郎は。


一歩下がった。


胸の奥が。


強く痛む。


「……俺は」


頭の奥で。


映像が弾けた。


燃える城。


赤い空。


兵士。


逃げる人々。


そして。


自分の前に跪く兵士。


『陛下』


熊五郎は。


頭を押さえる。


「……違う」


実咲が。


心配そうに近づく。


「熊五郎?」


「俺は……」


さらに。


別の記憶。


鍋。


大量の食材。


疲れ切った兵士たち。


自分が。


鍋をかき混ぜている。


『陛下、こんな時に料理など――』


『腹が減っているだろ』


『しかし敵が――』


『敵は待たせろ』


「……」


熊五郎の口元が。


わずかに動いた。


「飯を……」


「熊五郎?」


「俺は昔も……」


記憶が。


また途切れる。


「……料理をしていた?」


ガルドが。


じっと熊五郎を見る。


「やはり」


「何がだ?」


「お前は」


ガルドが。


低い声で言う。


「昔から変わっていない」


熊五郎は。


ガルドを見る。


「俺たちは」


ガルドが。


胸元を押さえる。


「昔、一緒に戦っていた」


「……」


「俺はまだ全部思い出せない」


ガルドは。


魔物を見る。


「だが」


黒い塊が。


ドクン。


脈打つ。


「この声は」


ガルドが。


剣を握る。


「俺も知っている」


「……」


「俺たちが仕えていた王の声だ」


熊五郎の目が。


見開かれる。


「俺の声?」


「ああ」


「……」


熊五郎は。


自分の手を見る。


王。


兵士。


国。


食堂。


過去と現在。


その二つが。


少しずつ重なり始めていた。


その時。


黒い塊が。


ドクン――。


大きく脈打った。


魔物が。


突然。


熊五郎を見た。


「……陛下」


今度は。


はっきりと。


その声が響いた。


熊五郎は。


逃げなかった。


ただ。


静かに。


魔物の胸を見つめた。


「……お前は誰だ」


黒い塊の奥で。


人影が。


ゆっくり顔を上げる。


そして。


熊五郎に向かって。


一言だけ。


告げた。


「……帰ってきてください」


熊五郎の胸が。


大きく脈打った。


「……」


実咲が。


熊五郎を見る。


「熊五郎?」


熊五郎は。


答えなかった。


ただ。


目の前の黒い塊へ。


一歩。


近づいた。


「……俺は」


その言葉の先に。


まだ。


過去の記憶が待っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。