第51話 町へ迫る黒い霧
第51話 町へ迫る黒い霧
黒い霧が。
ゆっくりと地面を這っていた。
北の戦場から。
町の中心へ。
まるで。
何かを探すように。
「……まずい」
熊五郎が呟いた。
ガルドが振り返る。
「どうした?」
「霧が戦場から離れている」
「……町へ向かっているのか?」
「ああ」
二人の視線の先。
黒い霧が。
通りへ流れ込んでいた。
「このままだと……」
ガルドの顔が険しくなる。
「避難所まで届くぞ」
熊五郎は頷いた。
「だから止める」
「巨大魔物は?」
ガルドが振り返る。
巨大魔物は。
まだ北側に立っている。
胸の黒い塊が。
ゆっくりと脈打っていた。
ドクン。
ドクン。
そのたびに。
黒い霧が地面へ流れ出している。
「今、あれを倒せるか?」
「分からない」
熊五郎は答える。
「だが、今はあれだけを見ている場合じゃない」
「町か」
「ああ」
熊五郎は町を見る。
「霧に触れた兵士たちを見ただろ」
「……ああ」
「同じことが町の人間に起きる」
ガルドの顔が強張った。
「子供や老人まで……」
「だから行く」
熊五郎が歩き出す。
「待て」
ガルドが呼び止める。
「俺も行く」
「お前の腕」
ガルドは右腕を見る。
黒い線が。
肩から首へ伸び始めている。
「まだ動く」
「だが――」
「隊長として」
ガルドが熊五郎を見る。
「町の人間を放っておけない」
熊五郎は少し黙った。
「……分かった」
二人は。
町へ向かって走り出した。
その後ろで。
レオンが立っている。
「熊五郎……」
熊五郎が振り返る。
「どうした?」
「俺は……」
レオンは右目を押さえた。
「俺は、ここに残った方がいいのか?」
熊五郎は少し考えた。
「いや」
「……え?」
「お前も来い」
「俺も?」
「自分の身体を取り戻すんだろ」
レオンが息を呑む。
「……ああ」
「なら」
熊五郎は短く言った。
「自分で歩け」
レオンは。
震える足で立ち上がった。
「分かった」
三人は。
町へ向かって走り始めた。
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町の中心。
避難所では。
人々が不安そうに空を見上げていた。
「まだ戦っているのか?」
「北の方から音がするぞ」
「兵士たちは大丈夫なのか?」
「分からない……」
子供たちは母親にしがみついている。
老人たちは。
教会の壁際で座り込んでいた。
その時。
「……何だ?」
誰かが。
地面を指差した。
黒いものが。
路地から流れてくる。
「霧……?」
「いや」
別の男が首を振る。
「煙じゃない」
黒い霧が。
地面を這っている。
「逃げろ!」
誰かが叫んだ。
「黒い霧だ!」
「全員、建物の中へ!」
「子供を先に!」
「急げ!」
避難所が一気に騒がしくなる。
教会の神官たちも立ち上がる。
「こちらへ!」
「窓を閉めて!」
「扉を!」
黒い霧が。
少しずつ。
通りを埋めていく。
そして。
一人の男の足元に。
触れた。
「――っ!」
男が足を引く。
「何だ、これ……」
ズズッ。
黒い霧が。
靴の上を這う。
「熱い!」
男が叫んだ。
「誰か!」
神官が駆け寄る。
「触らないで!」
「でも!」
「霧から離れてください!」
男が必死に後ろへ下がる。
だが。
黒い霧は。
足元から離れない。
「治癒魔法を!」
神官が手を掲げる。
「待って!」
別の神官が叫ぶ。
「それは危険です!」
「しかし!」
「兵士たちの報告では、治癒魔法が黒い霧を刺激しています!」
「……!」
神官の手が止まった。
「では……どうすれば……」
誰も答えられない。
その時。
「どけ!」
大きな声が響いた。
人々が振り返る。
「熊五郎!」
実咲が叫んだ。
熊五郎が。
ガルドとレオンを連れて。
避難所へ戻ってきた。
「熊五郎!」
実咲が駆け寄る。
「どこに行ってたのよ!」
「戦場だ」
「戦場って……!」
実咲は熊五郎を見る。
そして。
ガルドを見る。
レオンを見る。
「……何、その目」
レオンの右目。
黒く染まっている。
「説明して!」
「後だ」
熊五郎が答える。
「今は霧だ」
「また……あの黒い霧?」
「ああ」
熊五郎は。
霧に触れた男を見る。
「動くな」
男が震える。
「俺は……どうなる?」
熊五郎は答えない。
黒い霧を観察する。
「……まだ薄い」
ガルドが聞く。
「何が分かる?」
「戦場より弱い」
「なら?」
「風で押し返せる」
熊五郎が手を上げる。
ゴォォォォッ!
強い風が。
通りを吹き抜けた。
黒い霧が。
少しずつ後退していく。
「おお……!」
「霧が!」
「消えていく!」
人々から声が上がる。
しかし。
熊五郎は険しい顔をしていた。
「……違う」
実咲が聞く。
「何が?」
「消えてない」
熊五郎が地面を見る。
黒い霧は。
風に押されているだけだった。
路地の奥へ。
さらに奥へ。
「逃げているだけだ」
「逃げてる?」
「俺からな」
その瞬間。
黒い霧が。
路地の奥で止まった。
そして。
ゆっくりと。
一つの方向へ伸び始めた。
「……何をしてるの?」
実咲が呟く。
熊五郎は。
霧の先を見る。
「探してる」
「何を?」
「分からない」
だが。
熊五郎の目が。
鋭くなった。
その時。
レオンが頭を押さえた。
「――っ!」
「レオン?」
「聞こえる……」
ガルドが近づく。
「何が?」
レオンの右目が。
黒い霧の先を見つめる。
「声がする」
「何と言っている?」
レオンは。
震えながら答えた。
「……こっちだ」
「誰が?」
「分からない」
レオンが首を振る。
「でも……」
黒い線が。
頬から首へ伸びる。
「呼んでる」
「レオン!」
熊五郎が近づく。
「俺を見る」
レオンは左目で熊五郎を見る。
右目は。
霧の奥を見ている。
「熊五郎……」
「何だ」
「この霧……」
レオンの声が震えた。
「俺を探してるんじゃない」
熊五郎の目が細くなる。
「……どういうことだ?」
レオンは。
ゆっくりと町の中心を見る。
「お前を探してる」
その瞬間。
熊五郎の背後。
「まずは飯だ」の看板がある方向から。
ドクン――。
低い音が響いた。
実咲が振り返る。
「……え?」
「今の音……」
ガルドも振り向く。
「食堂の方からだ」
熊五郎が。
一瞬だけ。
動きを止めた。
そして。
町の中心にある。
自分の食堂を見る。
黒い霧が。
その方向へ。
一本。
また一本。
まるで。
道を作るように。
伸びていく。
「……熊五郎」
実咲が不安そうに言う。
「何なの……?」
熊五郎は。
しばらく黙っていた。
そして。
低い声で答えた。
「……俺の食堂を狙っている」
「え……?」
その瞬間。
遠くで。
ドクン――。
また。
黒い鼓動が響いた。
そして。
町中の黒い霧が。
一斉に。
「まずは飯だ」へ向かって動き始めた。




