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第50話 黒い霧が知る者

第50話 黒い霧が知る者


――やっと会えたな。


その言葉が。


黒い霧の中に消えた。


直後。


ドクン――。


巨大魔物の胸にある黒い塊が、大きく脈打った。


「……っ」


熊五郎は動かなかった。


ただ。


レオンの右目を見ている。


黒く染まった瞳。


その奥に灯る赤い光。


そして。


レオンの口から出た。


明らかに本人のものではない声。


「熊五郎……」


ガルドが振り返る。


「……熊五郎?」


熊五郎は答えない。


「知っているのか?」


ガルドが聞く。


「……」


「今、あいつはお前の名前を呼んだ」


熊五郎はゆっくりと目を細めた。


「……そうだな」


「何者だ?」


「分からない」


「だが――」


ガルドが剣を握り直す。


「向こうはお前を知っている」


「ああ」


熊五郎は巨大魔物を見る。


「それだけは間違いない」


その瞬間。


レオンの身体が大きく震えた。


「――っ!」


「レオン!」


ガルドが駆け寄る。


レオンは胸を押さえた。


「違う……」


「どうした!」


「俺じゃない……」


レオンの右目だけが。


熊五郎を見続けている。


「俺の目が……勝手に……」


「レオン!」


「見たくない!」


レオンは左手で右目を押さえる。


「こいつを……見たくない!」


「こいつ?」


ガルドが息を呑む。


「誰を見てる!」


「分からない!」


レオンが叫ぶ。


「俺には分からない!」


その瞬間。


レオンの口が。


また勝手に開いた。


「……王――」


「!」


熊五郎の目が鋭くなる。


しかし。


言葉は最後まで続かなかった。


レオンが自分の口を両手で押さえたからだ。


「言わせるな……」


「レオン?」


「お願いだ……」


レオンの身体が震える。


「これ以上、俺の口を使うな……」


黒い線が。


首から頬へ伸びる。


そして。


右目の周囲を完全に覆った。


「俺は……」


レオンは必死に叫ぶ。


「俺はレオンだ!」


その声に。


周囲の兵士たちが振り向いた。


「レオン……?」


「どうしたんだ?」


「右目が……」


兵士たちの間に動揺が広がる。


「近づくな!」


レオンが叫んだ。


「俺に近づくな!」


「レオン!」


「分からないんだ!」


レオンは後ずさる。


「俺が何をするか……俺自身にも分からない!」


右手が。


また動いた。


「――っ!」


レオンは左手で押さえる。


「止まれ!」


右手が震える。


「止まれよ!」


それでも。


指先が。


ゆっくりと熊五郎の方を指した。


「……違う」


レオンが泣きそうな顔になる。


「俺は……熊五郎を指したくない」


熊五郎は動かなかった。


「レオン」


「……」


「その手を下ろせ」


「できない……」


「なら」


熊五郎が一歩近づく。


「俺が下ろす」


「来るな!」


レオンが叫ぶ。


「来ちゃ駄目だ!」


熊五郎は止まらない。


一歩。


また一歩。


黒い霧の中を進む。


ガルドが叫ぶ。


「熊五郎!」


「大丈夫だ」


「でも、レオンは――」


「分かっている」


熊五郎はレオンの目を見る。


「こいつが怖がっている」


「……」


「なら、まだレオンはいる」


レオンの左目から。


涙が落ちた。


「……熊五郎」


今度は。


確かにレオン自身の声だった。


「助けて……」


熊五郎は答えた。


「分かった」


短い言葉。


だが。


その瞬間。


巨大魔物が動いた。


「グォォォォォォォッ!」


ドォォォォン!


巨大な腕が。


地面を叩きつける。


「うわあああっ!」


兵士たちが吹き飛ばされる。


「盾を!」


「負傷者を守れ!」


「下がれ!」


黒い霧が。


一気に押し寄せる。


熊五郎は振り返った。


「ガルド!」


「分かってる!」


ガルドが兵士たちの前へ立つ。


「全員、後ろへ下がれ!」


「ですが隊長!」


「いいから下がれ!」


ガルドが剣を振る。


飛んできた魔物の爪を受け止める。


ガキィィン!


「ぐっ……!」


地面が沈む。


「ガルド!」


熊五郎が風を放つ。


ゴォォォォッ!


巨大な爪が横へ弾かれた。


ガルドが息を吐く。


「助かった」


「礼は後だ」


熊五郎は巨大魔物を見る。


「今度は……俺が行く」


「熊五郎?」


「黒い塊を直接狙う」


「危険だぞ!」


「分かってる」


熊五郎の周囲に。


風が集まる。


しかし。


いつものような強大な力ではない。


最低限。


必要なだけ。


「まだ……見せる必要はない」


小さく呟く。


ガルドには聞こえなかった。


「何か言ったか?」


「何でもない」


熊五郎が走る。


巨大魔物が腕を振り上げる。


「グォォッ!」


熊五郎は跳んだ。


爪を避ける。


風で身体を浮かせる。


そして。


巨大魔物の肩へ着地した。


「そこだ」


胸。


黒い塊。


ドクン。


「……」


熊五郎は目を細める。


黒い塊の奥。


また。


二つの赤い光。


だが。


今度は。


はっきりと見えた。


目。


ではない。


何かが。


こちらを見ている。


「……お前か」


熊五郎が呟く。


その瞬間。


黒い塊の奥から。


声がした。


「――まだ、その力を隠すのか」


熊五郎の足が止まった。


「……」


知っている。


この声。


どこかで。


聞いたことがある。


だが。


思い出せない。


「熊五郎!」


ガルドの声が響く。


「何をしている!」


熊五郎は答えない。


黒い塊を見つめる。


「お前は……」


その時。


黒い塊に亀裂が入った。


ピシッ。


「……!」


ガルドが見上げる。


「何だ……?」


ピシッ。


さらに。


亀裂が走る。


巨大魔物の胸から。


黒い霧が噴き出す。


「熊五郎! 離れろ!」


「まだだ!」


熊五郎は動かない。


黒い塊の中心。


亀裂の奥から。


赤い光が漏れる。


そして。


その赤い光が。


熊五郎だけを捉えた。


「――ようやく」


声が響く。


「見つけた」


熊五郎の目が細くなる。


「……俺を知っているな」


黒い霧が。


笑うように揺れた。


「知っているとも」


「……」


「お前が――」


そこで。


声が途切れた。


巨大魔物が。


突然。


激しく暴れ始めた。


「グォォォォォォォォッ!」


ドォォォォン!


熊五郎の足場が崩れる。


「熊五郎!」


ガルドが叫ぶ。


熊五郎が落下する。


だが。


地面にぶつかる寸前。


風が身体を受け止めた。


ふわり。


熊五郎が着地する。


「……熊五郎!」


ガルドが駆け寄る。


「大丈夫か!」


「ああ」


「今、何を聞いた?」


熊五郎は答えなかった。


ただ。


巨大魔物の胸を見る。


黒い塊の亀裂は。


今は閉じている。


そして。


レオンの右目から。


一筋の黒い涙が流れた。


「……熊五郎」


レオンが呟く。


「俺の中に……」


声が震える。


「何かがいる」


熊五郎がレオンを見る。


「分かっている」


「そいつが……お前を知ってる」


「ああ」


「だったら……」


レオンは怯えた目で熊五郎を見る。


「俺の身体を使って……何をするつもりなんだ?」


誰も答えられなかった。


その時。


遠く。


北の空から。


地鳴りのような音が響いた。


ゴゴゴゴゴゴゴ――。


兵士たちが空を見上げる。


「……何だ?」


「まだ何か来るのか?」


「北の方だ!」


黒い雲が。


ゆっくりと空を覆っていく。


熊五郎は。


その空を見上げた。


そして。


小さく呟いた。


「……まだ終わってない」


黒い霧が。


再び。


地面を這い始めた。


その先には。


町の中心部があった。

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