第48話 黒い霧に飲まれる戦場
第48話 黒い霧に飲まれる戦場
ドクン。
ドクン。
ドクン――。
巨大魔物の胸の黒い塊が、三度、大きく脈打った。
その瞬間。
「――っ!」
熊五郎が顔を上げた。
「……来る」
「何がだ?」
ガルドが聞く。
熊五郎は答えない。
ただ。
巨大魔物の胸を見つめていた。
黒い塊の周囲。
そこから伸びていた黒い筋が。
一本。
また一本。
ゆっくりと動き始めている。
「……黒い筋が」
ガルドが呟く。
「動いている?」
「ああ」
熊五郎が頷く。
「今までとは違う」
「何が違う?」
「こっちを探している」
「……探している?」
その瞬間。
黒い筋の一本が。
巨大魔物の胸から伸びた。
まるで生き物の触手のように。
空中を這う。
「避けろ!」
熊五郎が叫んだ。
ガルドが横へ飛ぶ。
シュッ!
黒い筋が地面を貫いた。
「危なかった……」
ガルドが立ち上がる。
地面には。
黒い亀裂が走っていた。
「熊五郎」
「ああ」
「これ……ただの魔力じゃないぞ」
熊五郎は地面を見る。
黒い筋が地面の中を動いている。
「分かってる」
「生きているみたいだ」
「……それに近い」
熊五郎の目が細くなる。
「だが、まだ分からない」
その頃。
レオンは。
「……っ」
胸を押さえていた。
ドクン。
ドクン。
二つの鼓動。
もう。
ほとんど同じだった。
「レオン!」
仲間が肩を支える。
「大丈夫か!」
「……聞こえる」
「何が?」
「俺の心臓」
「それなら――」
「違う」
レオンは首を振った。
「もう一つも……俺と同じように鳴ってる」
「……」
「最初は別だった」
レオンは胸を押さえる。
「でも今は……」
ドクン。
「俺が鳴ると」
ドクン。
「向こうも鳴る」
レオンの顔が青ざめる。
「俺の心臓を真似してるみたいだ」
「そんな……」
「怖い」
レオンは小さく呟いた。
「本当に怖い」
そして。
黒い線が。
胸の中央へ伸びる。
「――っ!」
レオンが息を止めた。
「何だ……?」
「レオン?」
「胸が……」
レオンは胸を押さえる。
「冷たい」
「冷たい?」
「身体の中が……冷たい」
黒い線が。
心臓の周囲へ広がっていく。
「やめろ……」
レオンは震える。
「そこには来るな……」
「レオン!」
仲間が手を握る。
「大丈夫だ」
「……」
「お前は一人じゃない」
レオンは仲間の手を見る。
「……ありがとう」
そして。
自分の胸へ手を当てる。
「俺はレオン」
一度。
「俺はレオンだ」
もう一度。
「俺は……」
言葉が止まった。
頭の中に。
知らない光景が浮かんだ。
黒い場所。
何もない。
ただ。
遠くに。
巨大な影。
「……何だ、これ」
レオンの目が見開かれる。
「レオン?」
「見える……」
「何が?」
「何かが……」
レオンは頭を押さえた。
「こっちを見てる」
「誰が?」
「分からない!」
レオンが叫ぶ。
「分からないけど……いる!」
その瞬間。
黒い線が。
心臓の周囲を囲んだ。
「――っ!」
レオンの身体が大きく震える。
「レオン!」
「俺……」
レオンは息を荒くする。
「俺の身体が……」
右手が。
勝手に動く。
右足も。
微かに震える。
「もう……止められないかもしれない」
仲間がレオンの肩を掴む。
「止める!」
「……」
「俺たちが止める!」
レオンの目から涙が落ちる。
「……頼む」
その頃。
巨大魔物の前では。
ガルドが再び剣を構えていた。
「熊五郎」
「ああ」
「黒い筋が動くなら、あの黒い塊を守っているんじゃないか?」
「俺もそう思っている」
「なら……」
ガルドは剣を見る。
「守っているものを先に壊す」
「できるか?」
「やる」
ガルドが走る。
黒い筋が動く。
シュッ!
「くっ!」
ガルドが横へ飛ぶ。
さらに一本。
シュッ!
「まだだ!」
ガルドは避ける。
一本。
二本。
三本。
黒い筋が次々と襲ってくる。
「多すぎる!」
熊五郎が風を放つ。
ゴォォォォッ!
黒い筋が弾き飛ばされる。
「今だ!」
ガルドが突っ込む。
黒い塊へ。
剣を振り上げる。
「おおおおおっ!」
ガキィン!
剣が黒い塊へ当たった。
しかし。
また弾かれる。
「くそっ!」
ガルドの腕に黒い線が伸びる。
肩。
首。
そして。
胸へ。
「ガルド!」
熊五郎が叫ぶ。
「下がれ!」
「まだだ!」
ガルドは剣を握り直す。
「まだ一度しか斬ってない!」
「侵食が進んでいる!」
「分かってる!」
ガルドは自分の胸を見る。
黒い線が。
確実に伸びている。
「だが……」
ガルドは巨大魔物を見る。
「ここで俺が逃げたら、もっと多くの兵士が同じ目に遭う」
そして。
剣を構え直す。
「俺は隊長だ」
その言葉に。
一瞬。
熊五郎の目が細くなった。
「……そうだったな」
「何?」
「いや」
熊五郎は前を見る。
「行くぞ」
「ああ!」
二人が同時に走り出す。
熊五郎は風で黒い筋を押さえ。
ガルドはその隙間を駆ける。
黒い塊へ。
「今度こそ!」
ガルドが剣を振り上げた。
その瞬間。
巨大魔物の胸の奥。
黒い塊のさらに奥で。
何かが動いた。
ドクン。
「……!」
熊五郎が気づく。
「ガルド!」
「どうした!」
「そこじゃない!」
熊五郎が叫ぶ。
「黒い塊の奥だ!」
「奥?」
ガルドが目を見開く。
黒い塊の内部。
ほんの一瞬。
二つの赤い光が見えた。
「――何だ?」
ガルドが動きを止める。
巨大魔物が。
ゆっくりと顔を上げた。
そして。
今までとは違う咆哮を上げた。
「グォォォォォォォォッ!」
黒い霧が。
地面から一気に噴き上がる。
「うわあああっ!」
「逃げろ!」
「霧が来る!」
「負傷者を運べ!」
「隊列を組み直せ!」
戦場が再び混乱する。
熊五郎は風を広げる。
ゴォォォォォッ!
それでも。
黒い霧は止まらない。
そして。
レオンの胸の中でも。
ドクン。
ドクン。
もう一つの鼓動が。
完全に重なった。
「……あ」
レオンが呟く。
「聞こえなくなった」
仲間が振り向く。
「何が?」
「もう……二つじゃない」
レオンは胸を押さえる。
「一つだ」
「……」
「俺の心臓と……何かの鼓動が」
レオンの目に恐怖が浮かぶ。
「一つになった」
その瞬間。
レオンの右手が。
完全に止まった。
「……え?」
レオンは自分の右手を見る。
指一本すら動かない。
「止まった……?」
仲間が息を呑む。
「レオン?」
「違う」
レオンの声が震える。
「止まったんじゃない」
「え?」
「俺が……動かしてないだけだ」
右手が。
ゆっくりと持ち上がった。
「――っ!」
レオンは左手で右腕を掴む。
「やめろ!」
止めようとする。
だが。
止まらない。
右手が胸へ向かって伸びていく。
「俺じゃない……」
仲間が右腕を押さえようとする。
「レオン!」
「押さえてくれ!」
「やってる!」
「もっと強く!」
右腕に込められた力は。
レオン自身の力ではなかった。
まるで。
別の誰かが。
内側から身体を動かしているようだった。
「やめろ……」
レオンの目から涙が落ちる。
「お願いだから……」
指先が胸に近づく。
「俺は……」
右手が。
胸へ触れた。
その瞬間。
ドクン。
レオンの心臓が鳴った。
そして。
巨大魔物の胸にある黒い塊も。
ドクン。
まったく同じ音を立てた。
「……!」
レオンの身体が固まる。
「今……」
もう一度。
ドクン。
ドクン。
二つの鼓動が。
完全に同じ間隔で鳴る。
レオンの目が見開かれた。
「違う……」
声が震える。
「俺の心臓じゃない……」
そして。
黒い線が。
胸の中央から。
首へ。
ゆっくりと伸び始めた。
「――っ!」
レオンが息を呑む。
「そこまで来るな……」
黒い線は止まらない。
首を這い。
顎へ。
そして。
頬へ。
「嫌だ……」
レオンは震えながら首を振る。
「顔まで……」
黒い線が。
頬の上で止まった。
その瞬間。
レオンの口が。
自分の意思とは関係なく。
ゆっくり開いた。
「……え?」
仲間が後ずさる。
「レオン……?」
レオンの口から。
低い声が漏れた。
「――見つけた」
「……!」
レオン自身が。
一番驚いていた。
「今の……」
自分の口を押さえる。
「俺……言ってない」
仲間の顔から血の気が引く。
「レオン……?」
レオンは首を振る。
「違う……」
震えながら。
何度も首を振る。
「俺じゃない」
そして。
頬を伝う黒い線の奥で。
レオンの右目が。
ゆっくりと。
黒く染まった。
「――誰かいる」
レオンが呟く。
その声は。
もう。
さっきまでのレオンの声とは。
ほんの少しだけ違っていた。
そして。
巨大魔物の胸の黒い塊が。
ドクン――。
大きく脈打った。
黒い霧が。
戦場のすべてを覆い尽くした。




