第43話 奪われていく身体
第43話 奪われていく身体
「俺の身体を……俺から奪わないでくれ!」
レオンの叫び声が、黒い霧の中に響いた。
その頃。
戦場の中央では、熊五郎が黒い霧を風魔法で押さえ込んでいた。
ゴォォォォッ!
強い風が地面を這う黒い霧を押し返していく。
しかし。
「……多いな」
熊五郎が目を細める。
霧は減っていない。
押し返しても、その後ろから次々と新しい霧が流れ込んでくる。
その原因は――。
巨大魔物の胸にある黒い塊だった。
ドクン。
黒い塊が脈打つ。
すると。
ゴォォォォッ!
黒い霧が一気に増えた。
「熊五郎!」
ガルドが叫ぶ。
「俺があの黒い塊を壊す!」
「行け」
熊五郎は短く答えた。
「俺が霧を止める」
「分かった!」
ガルドは巨大魔物へ向かって走り出した。
熊五郎はその背中を見送る。
そして。
さらに風を強くした。
「これ以上、広げさせるな……」
巨大魔物の足元へ広がっていた黒い霧が、風によって押し戻されていく。
兵士たちがその隙間を見て叫ぶ。
「今だ!」
「負傷者を運べ!」
「霧が薄くなっている!」
「急げ!」
兵士たちが動き始めた。
だが。
その少し後ろでは。
「……うっ」
レオンが右足を押さえていた。
黒い線が。
足首から膝へ。
さらに太ももへ向かって伸びている。
「レオン!」
仲間が駆け寄る。
「大丈夫か?」
「……分からない」
レオンは自分の右足を見る。
「さっきより……上に来てる」
「治癒術師を呼ぶ!」
「待て!」
別の兵士が止めた。
「治癒魔法は使えない!」
「でも、このままじゃ――」
「黒い霧が魔力を食うんだ!」
「じゃあ、どうするんだよ!」
誰も答えられない。
レオンはその会話を聞きながら、唇を噛んだ。
「……俺」
「レオン?」
「俺、このままどうなるんだ?」
仲間が黙る。
「どこまで……この黒い線は来るんだ?」
「分からない」
「……そうだよな」
レオンは笑おうとした。
だが。
うまく笑えなかった。
「分からないよな……」
右足が。
ピクリ。
動いた。
「――っ!」
レオンの顔から笑みが消える。
「今……」
「どうした?」
「今、俺……動かしてない」
右足がまた震えた。
「……止まれ」
レオンは自分の足を見る。
「止まれよ……」
だが。
右足はゆっくり前へ動こうとした。
「やめろ……!」
レオンは左足で踏ん張った。
右足を両手で押さえる。
「俺の足だぞ……」
それでも。
微かに震え続ける。
「俺が動かしてないのに……」
レオンの呼吸が荒くなった。
「なんで動くんだよ……」
仲間が肩を掴む。
「レオン!」
「俺は……」
レオンは震える声で言った。
「俺は、死ぬのが怖い」
仲間は黙って聞いている。
「でも……」
レオンは右足を見る。
「死ぬだけなら……まだいい」
「……」
「このまま……身体を取られるのが怖い」
その言葉に。
仲間の表情が変わった。
「身体を……取られる?」
「だってそうだろ」
レオンの声が震える。
「足が勝手に動く」
「……」
「次は腕かもしれない」
レオンは自分の右腕を見る。
「その次は……」
言葉が止まった。
「……身体全部かもしれない」
「そんなことになるとは――」
「分からないだろ!」
レオンが叫んだ。
「誰にも分からない!」
戦場の音が響く。
巨大魔物の咆哮。
兵士たちの怒号。
魔法の爆発。
金属がぶつかる音。
そのすべての中で。
レオンの声だけが震えていた。
「俺だって……大丈夫って言いたいよ」
涙が一粒落ちる。
「でも……」
右足がまた動いた。
「こんなの……怖いに決まってるだろ」
「レオン……」
「俺が俺じゃなくなったら……どうするんだ?」
誰も答えられなかった。
「朝になって……俺の身体が勝手に動いてたら?」
レオンは震えながら続ける。
「母親が俺を見ても、俺が分からなかったら?」
「……」
「仲間が俺を見て……敵だと思ったら?」
「レオン!」
「俺が仲間を傷つけたら?」
声が裏返る。
「俺は……そんなことしたくない!」
その瞬間。
右腕が跳ねた。
「――っ!」
レオンが息を呑む。
右手の指が。
勝手に動いた。
「やめろ……」
指が一本。
また一本。
動く。
「やめろ!」
レオンは右腕を左手で押さえ込んだ。
「俺は動かしてない!」
それでも。
右腕が持ち上がろうとする。
「レオン!」
仲間が一歩下がる。
「違う!」
レオンも後ずさる。
「俺じゃない!」
右手が。
腰にある剣へ向かって伸びる。
「やめろ!」
レオンは必死に腕を押さえた。
「俺は戦いたくない!」
指が剣の柄へ近づく。
「やめろおおおっ!」
仲間が叫ぶ。
「剣を外せ!」
「分かった!」
別の兵士が駆け寄り、レオンの剣を取り外した。
「レオンを後ろへ!」
「でも、後ろにも霧が――!」
その時。
ドォォォォォン!
巨大魔物が地面を踏みつけた。
大地が揺れる。
「うわあああっ!」
「伏せろ!」
「盾を上げろ!」
「負傷者を守れ!」
巨大魔物の腕が振り下ろされる。
ドンッ!
地面が大きくえぐれた。
兵士たちが吹き飛ばされる。
「負傷者が!」
「誰か助けろ!」
「近づくな!」
「黒い霧が来るぞ!」
戦場が一気に崩れ始める。
隊列が乱れる。
兵士たちが互いに声を掛け合う。
「右側を守れ!」
「無理です!」
「負傷者を後ろへ!」
「どこへ運ぶんだ!」
「分からない!」
「隊長はどこだ!」
「ガルド隊長は前だ!」
「熊五郎は!?」
「巨大魔物の前だ!」
怒号が飛び交う。
黒い霧が地面を這う。
だが。
その霧を。
熊五郎の風が押し返していた。
「ガルド!」
熊五郎が叫ぶ。
「今だ!」
「分かってる!」
ガルドは巨大魔物の足元を駆け抜けた。
巨大魔物が腕を振る。
「くっ!」
ガルドが横へ飛ぶ。
ドォン!
腕が地面を叩く。
土煙が上がる。
ガルドは立ち上がる。
その視線の先。
巨大魔物の胸。
黒い塊が脈打っている。
ドクン。
黒い霧が増える。
ドクン。
さらに増える。
「……あれか」
ガルドは剣を握り直した。
「なら……」
一歩。
また一歩。
胸へ近づく。
その背後では。
熊五郎が風を操り続けている。
「……ガルド」
熊五郎は小さく呟いた。
「頼んだぞ」
しかし。
その瞬間。
レオンの身体に異変が起きた。
「――っ!」
胸元に。
黒い線が現れた。
「胸まで……」
レオンが震える。
「来た……」
黒い線が。
ゆっくりと胸の中心へ向かって伸びていく。
「嫌だ……」
レオンは自分の胸を押さえた。
「やめろ……」
息が苦しくなる。
「俺は……」
右手が震える。
「俺はレオンだ……」
黒い線が伸びる。
「俺はレオン……」
もう一度。
「俺はレオンだ!」
その声に。
仲間がレオンの肩を掴んだ。
「そうだ!」
「……!」
「お前はレオンだ!」
「……俺は……」
「俺たちが覚えてる!」
「……」
「だから、お前も忘れるな!」
レオンの目から涙が流れた。
「俺は……」
胸を押さえる。
「レオンだ……」
その時。
巨大魔物の胸で。
ドクン――。
黒い塊が。
今までより大きく脈打った。
「……何だ?」
ガルドが立ち止まる。
黒い塊から。
黒い霧が噴き出した。
「ガルド!」
熊五郎が叫ぶ。
「下がれ!」
「まだだ!」
ガルドは剣を構える。
「ここまで来たんだ!」
黒い霧が迫る。
熊五郎の風がそれを押し返す。
ゴォォォォォッ!
「ガルド!」
「分かってる!」
ガルドは剣を振り上げる。
巨大魔物の胸へ。
黒い塊へ。
あと一歩。
あと一歩で届く。
その瞬間。
黒い塊が。
ドクン。
ドクン。
ドクン――。
激しく脈打った。
「……っ!」
ガルドの足が止まる。
熊五郎も目を細めた。
「……まずいな」
黒い霧が。
これまでとは比べ物にならない速度で膨れ上がっていく。
そして。
レオンの胸の黒い線も。
一気に伸び始めた。
「うわああああっ!」
レオンの叫び声が。
戦場に響き渡った。




