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第41話 黒い霧の正体

第41話 黒い霧の正体


黒い霧の中に――。


熊五郎とガルドは立っていた。


周囲は、ほとんど何も見えない。


視界を覆う黒い霧。


地面を這うように流れる黒い魔力。


その向こうでは、巨大な魔物の赤い目だけが、不気味に浮かび上がっている。


「……熊五郎」


ガルドが低い声で呼んだ。


「なんだ」


「この霧……さっきより濃くなってないか?」


熊五郎は周囲を見回した。


確かにそうだった。


先ほどまでは、霧の向こうに兵士たちの姿が見えていた。


だが今は、数メートル先すら見えない。


「濃くなってる」


「やっぱりか……」


ガルドが剣を握り直す。


「このままじゃ、兵士たちが……」


「だから急ぐ」


熊五郎は巨大魔物を見る。


その胸には、黒い塊があった。


巨大魔物の身体の中心。


そこから、黒い霧が絶え間なく噴き出している。


「……あれだ」


熊五郎が呟いた。


「胸の黒い塊」


「やっぱり、あれが原因なのか?」


「まだ分からない」


「分からない?」


「あれが霧を生み出しているのか。それとも、霧があれを作っているのか」


ガルドが眉を寄せる。


「どっちもあり得るってことか」


「そういうことだ」


その時だった。


巨大魔物が咆哮した。


「グォォォォォォォッ!!」


空気が震える。


黒い霧が一気に膨れ上がった。


「来るぞ!」


ガルドが叫ぶ。


巨大魔物が腕を振り下ろす。


熊五郎はすぐに手を上げた。


「風よ!」


轟音とともに風が巻き起こる。


巨大な爪が風の壁にぶつかった。


「ぐっ……!」


ガルドが踏ん張る。


熊五郎の足元の地面が沈む。


それほどの衝撃だった。


だが――。


熊五郎は押し切られなかった。


「……重いな」


「こんな状況で、その程度の感想かよ!」


ガルドが叫ぶ。


「危ないぞ!」


「分かってる」


熊五郎は風をさらに強くする。


巨大魔物の腕が弾き飛ばされた。


「今だ!」


ガルドが走った。


巨大魔物の懐へ入り込む。


剣を振り上げる。


狙いは胸。


黒い塊。


「うおおおおおっ!」


ガルドの剣が振り下ろされる。


しかし――。


巨大魔物が身体を捻った。


剣が胸を完全には捉えられない。


「くっ!」


刃が胸をかすめる。


黒い魔力が飛び散った。


その瞬間。


「ガルド!」


熊五郎が叫んだ。


黒い霧が、ガルドの身体へ向かって伸びていた。


「っ!」


ガルドは咄嗟に身体を引く。


だが、完全には避けられなかった。


黒い霧が左腕の肘付近に触れた。


「――っ!」


ガルドの顔が歪む。


「ガルド!」


熊五郎が駆け寄る。


「大丈夫だ!」


ガルドは腕を押さえた。


「少し触れただけだ!」


だが。


その腕には――。


細い黒い線が浮かんでいた。


「……」


熊五郎が見る。


「黒い線……」


ガルドの腕。


肘の少し下。


そこに、墨を流したような黒い線が一本走っている。


「さっきの兵士と同じだ」


ガルドが言った。


「まずいな」


熊五郎が腕を見る。


「痛むか?」


「いや」


ガルドは腕を動かす。


「動く」


「痺れは?」


「今のところない」


「なら、まだ浅い」


熊五郎は黒い線を見つめる。


「だが、時間をかけるな」


「分かってる」


ガルドは剣を握り直した。


「それより、あの黒い塊だ」


「ああ」


二人は再び巨大魔物を見る。


その胸。


黒い塊。


そこから伸びる黒い筋が、少しずつ巨大魔物の身体へ広がっている。


「……おかしい」


熊五郎が呟く。


「何がだ?」


「この魔物」


熊五郎は目を細めた。


「こいつ自身も、苦しんでいる」


「……何?」


ガルドが見る。


巨大魔物の身体が震えていた。


咆哮しているだけではない。


身体そのものが、痙攣するように震えている。


爪を地面に突き立てる。


首を振る。


胸を押さえるように身体を丸める。


「苦しんでる……?」


ガルドが呟く。


「まるで……」


「身体の中に別の何かが入り込んでいるみたいだ」


熊五郎が言った。


「黒い霧が、この魔物の魔力を変えている」


「魔力を……?」


「ああ」


熊五郎は黒い塊を見つめた。


「本来の魔力じゃない」


「じゃあ、あの魔物も被害を受けているってことか?」


「可能性は高い」


巨大魔物が再び咆哮した。


「グォォォォォッ!!」


黒い霧が吹き出す。


熊五郎はすぐに風を放った。


「風よ!」


黒い霧が押し返される。


だが――。


霧は消えない。


左右へ分かれて、熊五郎の風を避けるように広がっていく。


「……」


熊五郎の目が細くなる。


「やっぱりだ」


「何が?」


「ただの霧じゃない」


黒い霧が地面を這う。


兵士たちのいる方向へ。


「俺の風を避けている」


ガルドが息を呑む。


「意思があるってことか?」


「分からない」


熊五郎は答える。


「だが、少なくとも魔力に反応している」


「……魔力に?」


「ああ」


熊五郎は右手を前へ出した。


黒い霧が、その手に近づく。


「熊五郎!」


ガルドが止めようとする。


だが熊五郎は動かなかった。


黒い霧が指先に触れる。


その瞬間。


「……」


熊五郎の指に、黒い線が浮かんだ。


ガルドの表情が変わる。


「おい!」


「大丈夫だ」


「黒い線が出てるぞ!」


「分かってる」


熊五郎は自分の指を見る。


黒い線は、ほんのわずか。


だが確かにある。


「……やっぱり」


「何が分かった?」


「この霧は、魔力を持っているものに反応する」


「じゃあ……」


ガルドの顔が険しくなる。


「魔法を使う人間ほど危険なのか?」


「その可能性がある」


熊五郎は黒い霧から手を離した。


黒い線は消えない。


「……」


ガルドが黙り込む。


「熊五郎」


「なんだ」


「その黒い線……」


「ああ」


熊五郎は自分の指を見る。


「まだ動いていない」


「まだ?」


「今はな」


その言葉が、ガルドの胸に重く響いた。


その時。


遠くから兵士の声が聞こえた。


「誰か来てくれ!」


「どうした!」


「腕が……!」


「治癒術師を呼べ!」


熊五郎とガルドが振り返る。


黒い霧の向こう。


兵士たちが何人か集まっている。


その中央に、一人の兵士が座り込んでいた。


「右腕が動かない!」


「さっきまでは動いていたぞ!」


「黒い線が広がってる!」


ガルドが駆け出そうとする。


しかし熊五郎が止めた。


「待て」


「何だ?」


「霧が濃い」


熊五郎は周囲を見る。


「今行けば、俺たちまで侵食される」


「だが……!」


「だから、風で道を作る」


熊五郎が手を上げる。


「風よ!」


強烈な風が吹き抜ける。


黒い霧が押し退けられ、一瞬だけ道ができた。


「今だ!」


ガルドが走る。


熊五郎も続く。


二人が兵士のところへ着く。


「大丈夫か!」


ガルドが声をかける。


兵士は苦しそうに頷いた。


「腕が……重い……」


右腕。


黒い線が肘近くまで伸びている。


「さっきまで、手は動いていたんです」


近くの兵士が言った。


「でも、急に……」


兵士が右手を握ろうとする。


だが。


指が動かない。


「……動かない」


「痛いのか?」


ガルドが聞く。


「痛いというより……」


兵士は自分の腕を見る。


「自分の腕じゃないみたいなんです」


熊五郎が黙って腕を見る。


黒い線。


それは、さっきより少しだけ太くなっていた。


「治癒魔法は?」


ガルドが聞く。


「試しました」


治癒術師が答える。


「ですが、黒い霧が濃くなりました」


「……」


熊五郎は頷く。


「今は使わないほうがいい」


「ですが、放っておくわけにも……」


「分かってる」


熊五郎は兵士を見る。


「霧から離せ」


「それだけでいいんですか?」


「今はそれが必要だ」


兵士たちが負傷者を運び始める。


黒い霧の外へ。


少しずつ。


少しずつ。


兵士を運び出す。


そして。


霧の外へ出た。


「……」


兵士が息を吐く。


「ここなら……大丈夫か?」


「分からない」


熊五郎は正直に答えた。


「だが、少なくとも霧から離れることは必要だ」


兵士は自分の右腕を見る。


黒い線は残っている。


「これ……消えるのか?」


熊五郎は答えなかった。


まだ分からない。


だが。


兵士の腕を見た瞬間。


熊五郎の表情が変わった。


「……ガルド」


「なんだ?」


「さっきより……」


熊五郎は黒い線を見る。


「進むのが速い」


ガルドも見る。


確かに。


先ほど見た時より、黒い線がわずかに伸びている。


「時間が経つほど……」


ガルドが呟く。


「侵食が進む?」


「ああ」


熊五郎は立ち上がる。


そして巨大魔物を見る。


その胸の黒い塊。


そこから噴き出す黒い霧。


さらに、黒い霧に侵された兵士たち。


すべてが繋がっている。


「……急がないといけない」


熊五郎が言った。


「何をする?」


「中心を壊す」


「胸の黒い塊か」


「ああ」


熊五郎は頷く。


「だが、近づけば近づくほど霧は濃くなる」


「それでも行くのか?」


「行く」


「危険だぞ」


「分かってる」


熊五郎はガルドを見る。


「だが、このまま時間をかければもっと危険になる」


ガルドは黙った。


その言葉に反論できなかった。


遠くでは、黒い霧に触れた兵士たちが次々と後退している。


霧から離しても。


侵食された黒い線は残っている。


そして――。


少しずつ。


確実に。


身体の奥へ向かって伸びている。


「熊五郎」


ガルドが剣を握る。


「行こう」


「ああ」


二人は巨大魔物を見る。


その胸の黒い塊が、脈打つように明滅している。


ドクン。


ドクン。


まるで心臓のように。


そのたびに黒い霧が増える。


一度。


二度。


三度。


そして四度目。


黒い霧が、さっきよりも速く地面を走った。


熊五郎の目が鋭くなる。


「……速くなってる」


「何?」


「霧の広がる速度が」


熊五郎は拳を握る。


「時間をかけるほど、あれは強くなる」


ガルドが前を見る。


「じゃあ――」


「ああ」


熊五郎が答える。


「もう待っている時間はない」


巨大魔物が咆哮する。


黒い霧が戦場を覆う。


熊五郎とガルドは、再び走り出した。


目指す場所は一つ。


巨大魔物の胸。


黒い霧の中心。


そして――。


その奥にある、黒い塊。


二人は黒い霧の中心へ向かって走り出した。

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