第34話 ガルドが思い出した魔王
第34話 ガルドが思い出した魔王
「……魔王」
ガルドの口から、その言葉がこぼれた。
避難所の空気が、一瞬で変わった。
「魔王って……」
実咲が呟く。
周囲にいた人たちも、その言葉を聞いて振り返った。
「魔王がいるのか?」
「まさか……」
「じゃあ、今の魔物たちは……」
不安そうな声が広がる。
実咲はガルドを見る。
「店主さん……いや、ガルドさん」
「……ああ」
「魔王って、本当にいるの?」
ガルドはすぐには答えなかった。
北の空を見つめている。
そこには、今も巨大な黒い影が浮かんでいた。
赤い光が何度も走る。
まるで空そのものが燃えているようだった。
「いる」
ガルドは静かに答えた。
「魔王はいる」
実咲の顔から血の気が引いた。
「じゃあ……あれが?」
「分からない」
「分からないの?」
「あの黒い影が魔王本人なのか、それとも魔王が使っている魔法なのか……まだ思い出せない」
ガルドは頭を押さえた。
「だが、魔王については少しずつ思い出してきた」
「どんな奴なの?」
実咲が聞く。
ガルドはしばらく黙った。
「……恐ろしい奴だ」
それだけだった。
「それじゃ分からないよ」
実咲が震える声で言う。
「どれくらい恐ろしいの?」
ガルドは北を見た。
「俺が兵士だった頃、何度も魔王軍と戦った」
「……何度も?」
「ああ」
「勝ったの?」
ガルドは首を横に振った。
「勝ったこともある」
実咲が少し安心した。
だが。
「だが、魔王本人とは戦ったことがない」
「え?」
「魔王軍の幹部や魔物とは戦った。だが、魔王が直接戦場に出てきたことはなかった」
ガルドの声が低くなる。
「だからこそ、怖い」
「どういうこと?」
「魔王は、自分で戦う必要がないほど強いと言われていた」
実咲は黙った。
「じゃあ……今度は?」
「分からない」
ガルドは答えた。
「だが、今回の魔物の動きは昔と似ている」
「昔と?」
「ああ」
ガルドは周囲を見る。
「最初に偵察の魔物が来た」
「……あの狼みたいな魔物」
「そうだ」
「それから町を囲むように魔物が増えた」
「ああ」
「食料倉庫まで狙われた」
熊五郎が口を挟む。
「食料を狙った理由は?」
「分からない」
ガルドは考える。
「ただ、魔物が好き勝手に動いているとは思えない」
「指揮されてるってこと?」
実咲が聞く。
「その可能性が高い」
ガルドは頷いた。
「魔物たちは、命令を受けて動いている」
「……」
実咲は言葉を失った。
ただ襲ってくるだけだと思っていた。
だが違う。
敵は考えている。
町の守りを調べ。
避難経路を見て。
食料まで狙っている。
「じゃあ……この町を落とすために?」
「そうだ」
ガルドが答える。
「だが、それだけじゃない」
「え?」
「魔物たちの目的が、町の占領なのか。それとも――」
ガルドは北を見る。
「もっと大きな目的があるのか」
その先は、まだ思い出せない。
その時。
「ガルド」
熊五郎が呼んだ。
「なんだ?」
「魔王は、何を狙っている?」
ガルドは熊五郎を見る。
なぜか、その質問を聞いた瞬間。
頭の中に、昔の光景が浮かんだ。
王城。
地図が広げられた大きな机。
その前に立つ男。
そして、自分。
『魔王軍の目的は、この国の中心部だ』
『中心部……?』
『そうだ』
『なぜです?』
『魔王は、ただ町を壊したいわけではない』
そこで記憶が途切れた。
「……くっ」
ガルドが頭を押さえる。
「ガルドさん!」
「大丈夫だ」
「でも……」
「大丈夫だ」
ガルドはゆっくり顔を上げた。
「まだ思い出せない」
熊五郎は何も言わず、ガルドを見る。
そして。
「なら、無理するな」
そう言った。
ガルドの胸が大きく鳴った。
まただ。
この言葉。
昔も聞いた。
何度も。
何度も。
あの人から。
「……熊五郎」
「なんだ」
「お前は……」
ガルドは言いかけた。
だが、その時。
北の空が突然、真っ赤に染まった。
ドォォォォン!!
これまでで一番大きな爆発だった。
避難所の屋根が揺れる。
子どもたちが泣き出す。
兵士たちが一斉に立ち上がる。
「北門だ!」
「北門が攻撃されたぞ!」
「伝令!」
兵士が避難所へ駆け込んできた。
「北門から伝令!」
息を切らしている。
「敵が第二防衛線まで到達しました!」
ガルドの顔が険しくなる。
「被害は?」
「兵士多数負傷!」
「住民は?」
「避難は続いています!」
「門は?」
「まだ破られていません!」
ガルドは頷いた。
「よし」
その言葉を聞いた兵士が驚く。
「よし……?」
「ああ」
ガルドは剣を握った。
「まだ破られていないなら、守れる」
兵士を見る。
「負傷者は南へ運べ」
「はい!」
「戦える兵士は第二防衛線へ」
「分かりました!」
「そして――」
ガルドは熊五郎を見る。
「食事を届けてくれ」
熊五郎は頷いた。
「分かった」
「怪我を治す必要はない」
ガルドが言う。
「治療は教会へ任せる」
「ああ」
「だが、戦える者には飯を食わせてくれ」
「任せろ」
熊五郎は即答した。
実咲が慌てる。
「ちょっと待って!」
「なんだ?」
「北門へ行くの!?」
「飯を届ける」
「でも危ないよ!」
「危ないから飯が必要なんだ」
「そういう問題じゃない!」
実咲が熊五郎の服を掴む。
「魔物がいるんだよ!?」
「分かっている」
「だったら――」
「実咲」
熊五郎が静かに言った。
「お前はここにいろ」
「……」
「避難している人たちを頼む」
実咲は黙った。
熊五郎が戦いに行くわけではない。
料理を届けるだけ。
それでも危険なのは分かる。
「……絶対に帰ってきて」
「ああ」
「絶対だからね」
「分かった」
熊五郎は頷いた。
ガルドも剣を握る。
「俺も北へ行く」
そして、ふと熊五郎を見る。
胸の奥に、また昔の光景が浮かんだ。
王城。
戦場。
そして――。
自分が忠誠を誓った王。
まだ顔だけが思い出せない。
だが、声は覚えている。
『ガルド』
優しく。
そして、強い声。
『民を守れ』
「……」
ガルドは拳を握った。
「今度こそ」
小さく呟く。
「守る」
熊五郎が振り返る。
「何か言ったか?」
「いや」
ガルドは首を振った。
「行こう」
「ああ」
二人は北へ向かって歩き始めた。
その背中を、実咲は見送る。
「……ガルドさん」
実咲は小さく呟いた。
「本当は、何者なんだろう」
そして北の空を見る。
巨大な黒い影。
その中心で。
二つの赤い光が、再び輝いた。
まるで――。
町の中にいる誰かを、探しているかのように。




