第32話 食料倉庫を襲った魔物
第32話 食料倉庫を襲った魔物
夜の町を、熊五郎と魚屋の店主は歩いていた。
避難所から少し離れるだけで、人の気配が一気に少なくなる。
店の扉は閉じられ、窓には板が打ちつけられている。
通りには誰もいない。
聞こえるのは、遠くで続いている戦いの音だけだった。
ドォン――。
また北の方角で爆発音が響いた。
「急ごう」
魚屋の店主が言う。
「ああ」
熊五郎も歩く速度を上げた。
二人が向かっているのは、町の商人たちが共同で使っている食料倉庫だった。
そこには、魚や肉だけではなく、米や麦、野菜、調味料などが保管されている。
もし無事なら、避難所の人々をしばらく支えられる。
「ここだ」
魚屋の店主が足を止めた。
目の前に、大きな建物があった。
倉庫だ。
だが――。
「……ひどいな」
魚屋の店主が呟く。
倉庫の扉には、巨大な爪痕が残っていた。
三本。
いや、四本。
木製の扉が深くえぐられている。
その周囲には、黒っぽい血のようなものまで付着していた。
実咲が見た偵察魔物。
あの巨大な狼のような魔物を思い出す。
「これ……魔物がやったの?」
「ああ」
魚屋の店主が答えた。
「間違いない」
熊五郎は爪痕をじっと見る。
「中に入ったのか?」
「分からない」
魚屋の店主は剣を抜いた。
「気をつけろ」
扉に手をかける。
ゆっくり開ける。
ギィィ……。
暗い倉庫の中が現れた。
熊五郎が先に中を見る。
「……」
「どうだ?」
「誰もいない」
魚屋の店主も中へ入る。
ランタンに火をつける。
明かりが倉庫を照らした。
大量の木箱。
袋詰めされた麦。
米。
乾燥させた野菜。
保存用の肉。
そして――。
「残ってる!」
魚屋の店主が声を上げた。
かなりの食材が残っていた。
だが、すべてではない。
いくつもの箱が壊されている。
床には食材が散らばっていた。
「荒らされたみたいだな」
「でも、全部は持っていかれてない」
「魔物は食材を目的にしたわけじゃないのかもしれない」
魚屋の店主が周囲を見回す。
「なら、何のために……」
熊五郎が突然、顔を上げた。
「静かに」
「え?」
熊五郎の耳が動く。
魚屋の店主も息を止める。
――カツ。
どこかで音がした。
倉庫の奥。
暗闇の中から。
――カツ。
また音がする。
「……誰かいる」
魚屋の店主が剣を構える。
「熊五郎、下がれ」
「いや」
熊五郎は動かなかった。
「俺が見る」
「危険だ」
「分かっている」
熊五郎が一歩進む。
その瞬間。
暗闇から何かが飛び出した。
「来るぞ!」
魚屋の店主が剣を振る。
ガキィン!
金属音が響いた。
巨大な爪が剣にぶつかった。
「ぐっ!」
魚屋の店主が押し返される。
魔物が姿を現した。
大きい。
昼間の偵察魔物ほどではない。
だが、普通の狼より遥かに大きい。
赤い目。
鋭い牙。
そして、口元には倉庫の食材を食べた跡が残っている。
「こいつ……」
魚屋の店主が構える。
魔物が唸る。
グルルル……。
「熊五郎!」
「任せろ」
熊五郎が前へ出る。
魔物が熊五郎に飛びかかった。
「危ない!」
実咲なら、きっとそう叫んでいただろう。
だが、ここに実咲はいない。
熊五郎は静かに魔物を見る。
そして――。
パチン。
指を鳴らした。
次の瞬間。
魔物の足元に小さな魔法陣が現れた。
「なっ……」
魚屋の店主が目を見開く。
魔法陣から風が吹き上がる。
魔物の体が宙に浮いた。
「グァッ!」
そのまま倉庫の壁へ叩きつけられる。
ドンッ!
魔物が床に落ちた。
動かない。
「……」
魚屋の店主は、しばらく言葉を失った。
今の魔法。
簡単な魔法に見えた。
だが――。
威力がおかしい。
熊五郎は何事もなかったかのように魔物を見る。
「死んではいない」
「……そうだな」
魚屋の店主は答えた。
「殺さないのか?」
「こいつから聞きたいことがある」
「魔物から?」
「話せるかもしれない」
熊五郎は魔物の前にしゃがみ込む。
「お前は、どこから来た?」
魔物は唸る。
「グル……」
「町の外か?」
「……」
返事はない。
熊五郎は魔物の目を見る。
その瞬間。
魔物が震えた。
まるで何かを恐れているようだった。
魚屋の店主が気づく。
「……熊五郎」
「なんだ」
「こいつ、お前を怖がっている」
「そうか?」
「ああ」
熊五郎は首を傾げる。
「俺は何もしていないぞ」
「いや……」
魚屋の店主は魔物を見る。
魔物は熊五郎から目を逸らしている。
まるで、近づいてはいけないものを見てしまったかのように。
「何か知っているのかもしれない」
「なら、連れて帰るか」
「避難所へ?」
「いや」
熊五郎は首を振った。
「危険だから、ここに置いておく」
「そうだな」
魚屋の店主も頷いた。
二人は魔物を縛り、安全を確認する。
そして倉庫の食材を確認し始めた。
「米はかなりある」
「麦もあるな」
「乾燥野菜もある」
「肉は?」
「少し残っている」
魚屋の店主が笑った。
「これなら、しばらくは食わせられる」
熊五郎も頷いた。
「よし」
「熊五郎?」
「明日の飯は作れる」
魚屋の店主は苦笑した。
「お前は本当に飯のことばかりだな」
「飯は大事だ」
「分かったよ」
二人は必要な食材を選び始めた。
だが、その時だった。
倉庫の外から――。
遠吠えが聞こえた。
「……!」
魚屋の店主が振り返る。
一つではない。
二つ。
三つ。
そして――。
町のあちこちから、次々と遠吠えが響き始めた。
「まさか……」
魚屋の店主が倉庫の入口へ走る。
外を見る。
暗闇の向こう。
屋根の上。
路地の奥。
建物の影。
赤い目がいくつも光っていた。
「囲まれている……」
熊五郎も外を見る。
「数が多いな」
「倉庫を狙っているのか?」
「分からない」
熊五郎は静かに答えた。
「だが――」
一匹の魔物が、ゆっくりと前へ出てきた。
その姿を見て、魚屋の店主の表情が変わった。
「あれは……」
昼間の偵察魔物。
巨大な体。
赤い目。
鋭い爪。
そして、その魔物は熊五郎たちを見たあと――。
倉庫の中にある食材を見た。
まるで、そこに何があるのかを知っているかのように。
「食料を狙っている?」
魚屋の店主が呟く。
熊五郎は答えなかった。
ただ、静かに倉庫の食材を見る。
そして外の魔物を見る。
「……食材を守る」
「熊五郎?」
「避難所の飯がなくなる」
熊五郎の目が鋭くなった。
「それは困る」
その瞬間。
北の方角から、今までとは比べものにならないほど大きな爆発音が響いた。
ドォォォン――!!
町全体が揺れた。
魔物たちが一斉に北を見る。
熊五郎と魚屋の店主も同時に振り返る。
北の空に――。
巨大な黒い影が浮かび上がっていた。
「……あれは」
魚屋の店主が呟く。
熊五郎は、ただ静かにその影を見つめていた。
まだ誰も知らない。
この夜から。
町を襲う魔物たちの動きが、大きく変わり始めることを。




