第31話 なくなった食材
第31話 なくなった食材
夜。
避難所には、まだ多くの人が残っていた。
昼間から続いていた騒ぎも少し落ち着いている。
だが、北の方角から聞こえてくる爆発音が、戦いが終わっていないことを知らせていた。
ドォン――。
遠くで地面が震える。
「……まだ戦ってる」
実咲は避難所の入口から北を見つめていた。
その横では、熊五郎が大鍋を覗き込んでいる。
「熊五郎、まだ料理するの?」
「ああ」
「でも……」
実咲は鍋の横に置かれた食材を見る。
魚。
肉。
野菜。
どれも、ほとんど残っていない。
「もう、食材ないんじゃない?」
「……」
熊五郎は黙った。
鍋の中を確認する。
そして、横に積まれた食材を見る。
「ないな」
「やっぱり!」
実咲が頭を抱える。
「昨日までなら魚屋さんに行けば何とかなったけど、今は町の外が魔物だらけなんでしょ?」
「ああ」
魚屋の店主も頷いた。
「今は仕入れに出るのは危険すぎる」
「じゃあ、どうするの?」
実咲が聞く。
熊五郎は腕を組んだ。
「残っている食材で作る」
「それだけ?」
「それだけだ」
「いやいやいや!」
実咲が突っ込む。
「足りないものはどうするのよ!」
「ないものは仕方ない」
「そんな簡単に言わないでよ!」
熊五郎は気にした様子もなく、食材を一つずつ確認していく。
「魚が少し」
「うん」
「肉も少し」
「うん」
「野菜は……」
熊五郎が籠を覗く。
「これだけか」
「それだけ」
「米は?」
「少し残ってる」
「なら作れる」
「何を?」
「飯だ」
「料理名を聞いてるの!」
実咲の突っ込みが避難所に響いた。
魚屋の店主が苦笑する。
「熊五郎らしいな」
「笑ってる場合じゃないよ!」
実咲は真剣だった。
避難している人間は多い。
このまま戦いが続けば、もっと食事が必要になる。
なのに、食材は減る一方だ。
「……本当に、どうするんだろう」
実咲が呟いた。
熊五郎は鍋を見ながら答える。
「今あるものを使う」
「それで、みんなに足りる?」
「全員には無理だ」
熊五郎はあっさり言った。
「え……」
「だから、配る量を考える」
熊五郎は立ち上がった。
「子どもと老人、それから怪我をしている奴を優先する」
「怪我してる人も?」
「食べやすいものを作る」
「でも、料理で怪我が治るわけじゃないよね」
「当たり前だ」
熊五郎は即答した。
「傷を治すのは治療する奴の仕事だ」
「じゃあ、料理は?」
「体力を戻す」
「それだけ?」
「それだけだ」
熊五郎は少し考えてから続けた。
「だが、それが大事なんだ」
実咲は黙った。
確かにそうだった。
傷を負った兵士たちは、治療を受けても疲れている。
怖くて眠れない人もいる。
家族を心配して食事が喉を通らない人もいる。
そんな人たちに、温かい飯を食べてもらう。
それだけでも意味がある。
「じゃあ……今ある食材で作ろう」
「ああ」
熊五郎が包丁を握る。
魚を小さく切る。
肉も細かくする。
野菜は薄く切る。
米を入れ、鍋でゆっくり煮込む。
少ない食材を、できるだけ多くの人に行き渡らせるためだった。
しばらくすると、避難所に湯気が広がった。
「いい匂い……」
誰かが呟く。
疲れた顔をしていた子どもが、鍋の方を見る。
「ご飯?」
「ああ」
熊五郎が頷く。
「食え」
熊五郎は一人ずつ器に盛っていく。
「ありがとう」
「いただきます」
「温かい……」
料理を食べた人たちの表情が、少しずつ緩んでいく。
「なんだか、少し落ち着いた」
「俺もだ」
「体が温かくなってきた」
実咲は、その様子を見ていた。
料理が傷を治したわけではない。
骨折している兵士の骨が元に戻ったわけでもない。
傷口が塞がったわけでもない。
それでも。
疲れ切った体に力が戻っていく。
不安でいっぱいだった心が、少しだけ落ち着いていく。
「……やっぱり熊五郎の料理って不思議」
「うまいだけだ」
「絶対それだけじゃないと思う」
「うまい飯は大事だ」
「まあ……それはそうだけど」
実咲が苦笑する。
その時だった。
「熊五郎」
魚屋の店主が呼んだ。
「なんだ」
「残っている食材を全部確認した」
「どれくらいだ?」
「今夜で、ほぼ終わる」
熊五郎の動きが止まった。
「明日の分は?」
「ほとんどない」
「……そうか」
実咲の顔が曇る。
「じゃあ、明日は?」
「分からん」
魚屋の店主が答えた。
「町の外へ仕入れに行くのは危険だ。北門は戦闘中だし、他の門も安全とは言えない」
「食料を運んでくる商人も?」
「来られないだろうな」
実咲は周囲を見る。
避難所には、大勢の人がいる。
この人数を一日、二日と支え続けるには食料が必要だ。
「……食べ物がなくなったら」
実咲の声が震えた。
「どうなるの?」
誰もすぐには答えなかった。
熊五郎が静かに言う。
「だから、なくなる前に考える」
「何を?」
「食材を探す」
「でも外は魔物が……」
「町の中にも食材はある」
熊五郎は立ち上がった。
「倉庫だ」
「倉庫?」
「ああ」
魚屋の店主が何かに気づいたように顔を上げる。
「商人の倉庫か」
「そうだ」
町には、避難する前に閉められた商店や倉庫がある。
食料を保管している場所もあるはずだ。
「ただし……」
魚屋の店主が言う。
「勝手に持っていくわけにはいかない」
「当然だ」
熊五郎が頷く。
「持ち主を探す」
「避難している商人なら、避難所にいる可能性がある」
「聞いてみよう」
魚屋の店主が周囲を見回す。
「俺が探す」
「俺も行く」
熊五郎が言った。
「熊五郎は料理をしていてくれ」
「食材がなければ料理できない」
「……それもそうか」
魚屋の店主が苦笑した。
実咲は二人を見た。
「私も行く」
「実咲はここにいろ」
「なんで!」
「危ない」
「熊五郎だって危ないでしょ!」
「俺は平気だ」
「それが一番信用できないの!」
熊五郎は少し考えた。
「……なら、店主と一緒に行く」
「私も?」
「いや、実咲は避難所に残れ」
「なんでよ!」
「料理を配る奴が必要だ」
「……」
実咲は言い返そうとして、やめた。
確かに、その通りだった。
「分かった」
実咲は頷いた。
「でも、絶対に無茶しないでよ」
「分かった」
熊五郎は短く答えた。
魚屋の店主も頷く。
「行こう」
二人が避難所を出る。
その背中を、実咲は見送った。
北の空では、また赤い光が走った。
ドォン――。
町が揺れる。
実咲は拳を握った。
「……食べ物までなくなってきた」
戦いが長引けば、食料もなくなる。
怪我人も増える。
避難する人も増える。
そして――
敵は、まだ町の外にいる。
今まで料理で人を支えてきた熊五郎たちだったが。
ついに、その料理を作るための食材そのものが尽きようとしていた。
その頃。
熊五郎と魚屋の店主は、暗い町の中を歩いていた。
目指すのは、商人たちが使っていた大きな食料倉庫。
だが――
その倉庫の前には。
すでに、何者かの大きな爪痕が残されていた。




