第26話 町を守るために
第26話 町を守るために
翌朝。
町の空気は、昨日までとはまるで違っていた。
朝になっても、店を開ける商人はほとんどいない。
通りを歩く人も少なく、代わりに兵士たちが忙しく走り回っている。
――ゴォン。
町の中央にある鐘が鳴った。
一度。
二度。
三度。
その音が町中に響き渡る。
「避難指示だ!」
兵士の声が聞こえた。
「北側に住んでいる者は、南区へ移動しろ!」
「子供と老人を優先しろ!」
「荷物は最低限に!」
「家に残るな!」
それまで家の中にいた人々が、一斉に外へ出てきた。
「急いで!」
母親が子供の手を引く。
「靴を履いて!」
「待って、おばあちゃんが!」
「私なら歩けるよ!」
老人が杖をつきながら家から出てくる。
その後ろから、息子らしき男が肩を貸す。
「無理するな!」
「大丈夫だよ」
「急ぐぞ!」
通りには、荷物を抱えた人々が増えていく。
誰もが不安そうな顔をしている。
商人たちは店の商品をすべて持ち出そうとはしなかった。
「そんなに持っていけない!」
「食料だけにしろ!」
「布は置いていけ!」
「金だけ持て!」
荷車には、食料や水、毛布が積まれていく。
泣いている子供を荷車に乗せる母親。
その隣で、老人が毛布にくるまっている。
「まだ乗れる!」
「次の家族を!」
「この荷車は南区へ!」
兵士たちが誘導する。
「走らないで!」
「押すな!」
「子供を先に通せ!」
人々が狭い通りを進んでいく。
その中には、何度も後ろを振り返る者もいた。
自分の家。
自分の店。
長年暮らしてきた場所。
それを残していくことが怖いのだ。
「お父さん……」
小さな女の子が振り返る。
「家、大丈夫かな?」
父親は一瞬言葉を失った。
そして、娘の手を強く握った。
「大丈夫だ」
「本当に?」
「ああ」
そう言いながら、父親は何度も後ろを振り返っていた。
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『まずは飯だ』の前でも、避難する人々が通り過ぎていく。
実咲は窓から、その光景を見ていた。
「……すごい人」
子供。
老人。
荷物を抱えた人。
泣いている人。
家族の手を握る人。
みんな南へ向かっている。
「熊五郎……」
「何だ?」
「本当に、ここまで魔物が来るの?」
「分からない」
「……」
実咲は窓から離れられなかった。
そのとき、外から大きな声が聞こえた。
「まだ北区に残っている人はいないか!」
兵士が叫びながら走っていく。
「いたらすぐに南区へ!」
別の兵士が家の扉を叩く。
「避難してください!」
「もう出ました!」
「確認した!」
そしてまた走っていく。
町の人々を一人でも残さないように、兵士たちは何度も家を確認していた。
実咲はそれを見ながら、胸が苦しくなった。
「……怖い」
小さな声が漏れる。
熊五郎が振り返る。
「実咲」
「うん……」
「こっちへ来い」
実咲は熊五郎のそばへ行く。
そして、無意識に袖を掴んだ。
「……離れないで」
「離れない」
「絶対?」
「絶対だ」
その言葉に、実咲は小さく頷いた。
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魚屋では、店主も避難の準備をしていた。
「店主!」
兵士が駆け込んでくる。
「北門周辺の住民は、ほぼ避難完了しました!」
「南区の受け入れは?」
「教会と広場を避難場所にしています!」
「食料は?」
「足りません!」
店主は少し考える。
「魚を出せ」
「店の商品をですか?」
「ああ」
「ですが……」
「食べるものが必要だ」
店主は魚を運び始める。
「水も持っていけ!」
「はい!」
「怪我人が出たら、食堂の近くを使え!」
兵士が頷く。
「分かりました!」
店主は次々と指示を出していく。
自分でも驚いていた。
自然に言葉が出てくる。
人を動かす。
避難場所を決める。
食料を分配する。
まるで――。
昔からやっていたように。
そのとき。
一人の老人が店主の腕を掴んだ。
「店主さん……」
「どうした?」
「南区まで連れていってくれんか」
老人の足は震えていた。
店主はすぐに肩を貸した。
「分かった。ゆっくりでいい」
「すまんな」
「謝る必要はない」
店主は老人を連れて歩き出す。
その途中。
町の人々が店主を見る。
「魚屋の店主だ」
「あの人が誘導してくれている」
「ありがたい……」
店主は何も言わず、避難を続けた。
しかし――。
その胸の奥では、別の声が聞こえていた。
『兵を南へ』
『食料を確保しろ』
『民を守れ』
「……」
店主は足を止めた。
「また……」
頭の中に記憶が浮かぶ。
自分が兵士たちを率いている。
その前には巨大な城。
そして――。
自分が深く頭を下げている相手。
「陛下……」
店主は小さく呟いた。
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その頃。
町の北門。
避難が進み、人の姿がほとんどなくなった。
兵士たちが門の前に並んでいる。
「住民の避難は?」
「完了!」
「残っている者は?」
「確認できません!」
「よし!」
兵士が剣を抜く。
「門を閉めろ!」
ギギギギギ――。
巨大な門がゆっくり閉じていく。
その向こう。
森の奥から――。
無数の鳥が飛び立った。
兵士たちの顔が強張る。
「……来るぞ」
森の中で、何かが動いている。
一つ。
二つ。
十。
いや――。
数え切れない。
「全員、構えろ!」
兵士たちが武器を握る。
門の向こうには、避難を終えた町。
そして門のこちら側には――。
町を守るために残った兵士たち。
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『まずは飯だ』では、熊五郎が食材を確認していた。
実咲は窓の外を見る。
町から人が消えていく。
「……静かになったね」
「ああ」
「こんな町、初めて見た」
熊五郎は答えなかった。
やがて――。
遠くから、地面を揺らすような音が聞こえてきた。
ドン。
ドン。
ドン。
実咲の顔が強張る。
「……熊五郎」
「分かっている」
熊五郎はゆっくりと立ち上がった。
「来たな」
町の北側。
閉ざされた門の向こうから――。
無数の魔物の咆哮が響き渡った。
そして、町を守る最後の兵士たちが、一斉に武器を構えた。
もう避難する時間は終わった。
ここからは――。
町を守る戦いが始まる。




