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第25話 偵察する魔物

第25話 偵察する魔物


町の門。


魚屋の店主と兵士たちは、森の奥を睨んでいた。


静かだった。


風に揺れる木々の音。


鳥の鳴き声。


それ以外は何も聞こえない。


「……静かすぎる」


魚屋の店主が呟いた。


「さっきまで、あれほど騒がしかったのに」


兵士の一人が唾を飲み込む。


「魔物は……もう去ったんでしょうか?」


「違う」


店主は即答した。


「いる」


「どこに?」


店主は答えない。


ただ、森を見つめている。


その瞬間――。


森の奥で、枝が一本折れた。


パキッ。


兵士たちが一斉に武器を構える。


「来るぞ!」


「構えろ!」


弓兵が弦を引く。


ギリッ――。


森の奥から、何かがゆっくりと姿を現した。


最初に見えたのは――目だった。


赤い。


二つの赤い目が、暗い森の中でじっと光っている。


「……なんだ、あれ」


誰かが呟いた。


一歩。


魔物が森から出てくる。


巨大な四足の身体。


狼に似ている。


だが、普通の狼とは比べ物にならない。


肩までの高さだけで、人間の胸ほどある。


太い脚。


鋭い爪。


そして、口から覗く牙。


「……でかい」


兵士の一人が後ずさった。


魔物は唸り声を上げた。


「グルルルル……」


その声だけで、空気が震える。


馬が突然暴れ始めた。


「ヒヒィィン!」


「落ち着け!」


兵士が馬を押さえる。


だが、馬は魔物から目を離さない。


恐怖で足を震わせている。


「こんな……」


別の兵士が呟く。


「こんな魔物、見たことがない」


魚屋の店主も魔物を見つめる。


その瞬間。


魔物と目が合った。


「……!」


店主の背筋に冷たいものが走った。


この魔物は――。


ただの獣ではない。


そう感じた。


魔物は兵士たちを見回している。


盾。


弓。


剣。


門。


そして――。


兵士の配置。


「……見ている」


「え?」


「俺たちを見ているんだ」


魔物は一歩進んだ。


兵士たちが一歩下がる。


また一歩。


兵士たちが下がる。


魔物は追ってこない。


ただ、じっと見ている。


まるで――。


こちらの反応を確かめているようだった。


「……おかしい」


魚屋の店主が呟く。


「普通の魔物なら、ここまで来たら襲ってくる」


「じゃあ、なぜ……」


「俺たちを調べている」


店主の言葉に、兵士たちの顔が強張った。


「調べる……?」


「ああ」


店主は魔物から目を離さない。


「どこに兵士がいるのか」


「何人いるのか」


「どこから攻めればいいのか」


その言葉に、兵士たちの間に緊張が走った。


「まさか……」


「そういうことだ」


魔物が突然、兵士の一人を睨んだ。


兵士は反射的に剣を構えた。


その瞬間。


魔物の身体が沈んだ。


「来るぞ!」


「射て!」


魚屋の店主が叫ぶ。


弓矢が一斉に放たれた。


ヒュンッ!


ヒュンッ!


魔物は――。


跳んだ。


「なっ!」


矢を避けた。


一本。


二本。


三本。


まるで矢がどこへ飛んでくるのか分かっているかのように、身体を左右に動かす。


そして――。


一瞬で兵士との距離を詰めた。


「うわあああっ!」


兵士が剣を振る。


魔物は身体をひねって避ける。


爪が振り抜かれた。


ガキィン!


兵士の盾が大きくへこんだ。


「ぐあっ!」


兵士が吹き飛ばされる。


「隊長!」


別の兵士が駆け寄る。


「来るな!」


魚屋の店主が叫んだ。


「追うな!」


魔物は倒れた兵士には、とどめを刺さなかった。


代わりに――。


町の門を見る。


兵士を見る。


そして、ゆっくりと後ろへ下がった。


「……逃げる?」


兵士が呟く。


「違う」


店主の顔が険しくなる。


「戻るんだ」


「どこへ?」


「仲間のところへ」


魔物は森へ戻っていく。


一度だけ振り返る。


赤い目が、門を見つめる。


まるで――。


「見たものを全部覚えた」


そう言っているようだった。


そして森の闇へ消えていった。


「……」


誰も追わなかった。


誰も声を出さなかった。


ただ、森を見つめていた。


やがて一人の兵士が震える声で言った。


「……あれ一匹で、あれだけなのか?」


魚屋の店主は答えた。


「違う」


「え?」


「一匹だからこそ怖い」


店主は森を見つめた。


「あれは戦うために来たんじゃない」


「……」


「俺たちの数を調べに来たんだ」


その言葉に、兵士たちの顔から血の気が引いた。


---


『まずは飯だ』。


実咲は店内で、何度も窓の外を確認していた。


「まだ戻ってこない……」


「店主なら戻る」


熊五郎は料理を片付けながら答える。


「でも……」


実咲は自分の手を見る。


まだ震えている。


さっき聞こえた咆哮。


町中を走る兵士。


閉まっていく店。


そして――。


「怖い」


実咲は小さく呟いた。


「魔物って、あんなに怖いものなんだ……」


熊五郎は答えなかった。


そのとき。


――カラン。


扉が開いた。


「ただいま」


魚屋の店主だった。


「店主さん!」


実咲が駆け寄る。


「怪我は?」


「少しだけだ」


店主は腕の盾の跡を見せた。


「これ……」


実咲の顔が強張る。


「その傷、あの魔物が?」


「ああ」


実咲は傷を見つめた。


巨大な魔物。


兵士を吹き飛ばす力。


矢を避ける速さ。


そして――。


戦うためではなく、町を調べるために来た。


そう聞いた瞬間。


実咲は無意識に熊五郎の服を掴んだ。


「……熊五郎」


「何だ?」


「あれが一匹だけじゃないんだよね?」


「そうだ」


「じゃあ……」


実咲は言葉を失った。


魚屋の店主が静かに口を開く。


「本隊が来るかもしれない」


「……」


店内が静まり返る。


熊五郎だけが、いつもと変わらない顔をしていた。


「腹が減った」


「こんなときに!?」


実咲が思わず声を上げる。


熊五郎は厨房へ向かう。


「腹が減っては何もできん」


「……」


実咲は呆れながらも、少しだけ安心した。


だが――。


魚屋の店主は熊五郎の背中を見つめていた。


まただ。


あの魔物を見たとき。


自分の身体は自然に戦場の判断をしていた。


そして今、熊五郎を見ると――。


あの記憶の中の国王の姿が、また重なって見える。


「……まさか」


店主は小さく呟いた。


遠くの森。


そこでは、一匹の魔物が仲間の群れへ戻っていた。


そして――。


魔物たちは、町の位置を知った。


兵士の数を知った。


門の場所を知った。


次に来るときは――。


偵察ではない。


本当の戦いになる。

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