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第22話 よみがえる記憶の欠片

第22話 よみがえる記憶の欠片


昼の営業が始まって、しばらく経った頃。


『まずは飯だ』は、今日もたくさんの客で賑わっていた。


「焼き魚、一つ!」


「はい!」


「肉料理二つ!」


「少々お待ちください!」


実咲は忙しく店内を走り回っていた。


厨房では熊五郎が料理を作っている。


ジュウッ――。


肉の焼ける音。


魚を焼く香ばしい匂い。


温かなスープの香り。


いつもと変わらない昼だった。


――そのとき。


カラン……。


店の扉が開いた。


「いらっしゃいませ!」


実咲が振り向く。


入ってきたのは、一人の男だった。


服は泥だらけ。


肩には大きな傷。


顔は青ざめ、足取りもふらついている。


「大丈夫ですか?」


実咲が駆け寄る。


男は椅子に手をつき、なんとか腰を下ろした。


「……水を」


「はい!」


実咲は水を取りに走った。


器を持つ手が、少し震えている。


男に水を渡す。


「どうぞ」


男は一気に飲み干した。


「……助かった」


「怪我……」


実咲は傷を見る。


血が服に染み込んでいる。


思わず一歩後ろに下がった。


「治療できる人を呼びましょうか?」


「いや……大丈夫だ」


男は傷を押さえる。


実咲は何か言おうとした。


しかし――。


男の傷から目を離せない。


日本なら、救急車を呼ぶような怪我だ。


なのに、この世界では男も周囲の客も、完全には慌てていない。


その事実が、実咲を不安にさせた。


「どこから来たんですか?」


「北の町だ」


「北の町……?」


男はしばらく黙った。


「町が襲われた」


「……何に?」


「魔物だ」


その瞬間。


実咲の手から、空になった水差しが滑り落ちそうになった。


「……魔物?」


慌てて両手で抱え直す。


胸が大きく鳴った。


魔物。


その言葉を聞いただけなのに、背中に冷たいものが走った。


「どんな……魔物だったんですか?」


「分からない。数が多すぎた」


男は遠くを見るような目をした。


「兵士たちが戦った」


「……」


「だが、止められなかった」


実咲の喉が鳴る。


知らない世界。


知らない町。


そして――人を襲う魔物。


今まで料理をしているときは、異世界にいることを忘れられた。


でも違う。


ここは日本じゃない。


魔法が存在する。


不思議な存在がいる。


そして、人を襲う魔物までいる。


「この町にも……来るんですか?」


実咲の声が震えた。


「分からない」


男は答えた。


「だが、魔物が南へ向かっているという話はある」


実咲の顔から血の気が引いた。


手にしていた布巾を強く握りしめる。


「……南って」


実咲は窓を見る。


自分たちが住んでいる町。


魚屋の店主の家。


『まずは飯だ』。


そこまで魔物が来るかもしれない。


そう考えた瞬間――。


ガタン!


近くの客が椅子を動かした。


「ひっ!」


実咲の肩が跳ねた。


反射的に厨房を見る。


熊五郎がいる。


その姿を確認して、ようやく少し息を吐いた。


「……」


自分でも驚くほど、体が勝手に反応していた。


男は実咲を見て、申し訳なさそうに目を伏せる。


「怖いよな」


「……はい」


実咲は小さく答えた。


今まで「異世界に来ちゃった」と思っていた。


けれど――。


今になって初めて。


「異世界で生きる」という意味が分かった気がした。


ここでは、ゲームのように死んでもやり直せない。


魔物に襲われれば、本当に死ぬ。


自分も。


熊五郎も。


魚屋の店主も。


そう考えた途端、目の奥が熱くなった。


実咲は慌てて顔を伏せた。


泣いているところを見られたくなかった。


そのとき。


「実咲」


熊五郎の声がした。


「……何?」


「飯を食え」


熊五郎が温かいスープを目の前に置いた。


「今……食べる気になれない」


「食え」


「怖いんだよ……」


実咲の声が震えた。


熊五郎は何も言わない。


ただ、実咲の前に椅子を置いた。


「座れ」


実咲は言われるまま椅子に座った。


熊五郎がスープを少し近づける。


実咲は両手で器を包んだ。


温かい。


その温かさが、冷えた指先に伝わってくる。


一口飲む。


「……」


もう一口。


少しずつ呼吸が落ち着いてくる。


それでも手の震えは完全には止まらない。


熊五郎は実咲の様子を見ながら言った。


「怖いなら、怖いままでいい」


「……」


「無理に平気になる必要はない」


実咲は顔を上げる。


「でも……何もできない」


「できる」


「何が?」


「飯を食う」


「……それだけ?」


「今はそれでいい」


実咲は思わず苦笑した。


「熊五郎らしい……」


「ああ」


実咲はもう一口、スープを飲んだ。


少しだけ、手の震えが収まった。


---


男が食事を終える。


「ありがとう」


「気をつけてください」


実咲が言う。


男は頷いた。


「また、この店に来るよ」


「はい」


男が扉を開ける。


カラン――。


扉が閉まる。


実咲はその扉をしばらく見つめていた。


その手はまだ、わずかに震えていた。


---


夕方。


魚屋の店主が食堂へやって来た。


「熊五郎、実咲!」


「店主さん!」


実咲が振り向く。


店主の顔も、今日は険しかった。


「北の町の話、聞いたか?」


「はい」


「俺の知り合いからも聞いた」


店主はため息をつく。


「魔物の動きがおかしいらしい」


「この町は大丈夫なの?」


実咲が尋ねる。


店主はすぐには答えなかった。


「分からん」


その言葉に、実咲の指がぎゅっと握られた。


「……分からないの?」


「ああ」


実咲は無意識に熊五郎の近くまで歩いていた。


自分でも気づかないうちに、熊五郎の服の袖を掴む。


熊五郎がちらりと見る。


「どうした?」


「……何でもない」


そう答えながら、実咲は袖を離せなかった。


魚屋の店主はそんな二人を見て、少しだけ目を細めた。


「大丈夫だ」


店主が優しく言う。


「この町には俺たちがいる」


実咲は小さく頷いた。


けれど、不安は消えない。


この町の外では何かが起きている。


そして、その何かは――。


少しずつ、この町へ近づいている。


そのときだった。


「……魔物?」


魚屋の店主が突然、頭を押さえた。


「店主さん?」


実咲が心配そうに近づく。


店主は苦しそうに目を閉じる。


「……何だ、これは」


頭の中に、突然映像が浮かんだ。


燃える町。


大勢の兵士。


魔物の群れ。


そして――。


巨大な城。


その前に立つ、一人の男。


白い光。


巨大な魔法陣。


圧倒的な魔力。


「……陛下」


店主の口から、無意識に言葉が漏れた。


「え?」


実咲が聞き返す。


店主は目を開いた。


「……今、俺は何を?」


「陛下って言ったよ」


「……俺が?」


店主は自分の口元に触れる。


「分からない」


熊五郎は、何も言わず店主を見ていた。


店主は熊五郎を見る。


その瞬間――。


胸の奥が、ズキリと痛んだ。


この男を知っている。


いや。


知っているどころではない。


もっと大切な――。


もっと遠い昔から、この男を知っていたような気がする。


「……誰なんだ」


店主は小さく呟いた。


「俺は……一体、誰だったんだ?」


答えはまだ、記憶の奥に眠っていた。


しかし――。


確実に、その扉は開き始めていた。

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