第20話 商人の決断
第20話 商人の決断
昼の営業が始まってしばらくすると、『まずは飯だ』の店内は、いつものように賑わっていた。
「いらっしゃいませ!」
実咲が次々と注文を聞いていく。
「焼き魚一つ!」
「はい!」
「肉料理を頼む!」
「少々お待ちください!」
厨房では、熊五郎が忙しそうに料理を作っていた。
「熊五郎! 肉料理二つ!」
「分かった」
「魚料理三つ!」
「分かった」
「スープも追加!」
「分かった」
実咲は厨房と客席を行ったり来たりしている。
「熊五郎、注文多すぎ!」
「客が多いからな」
「他人事みたいに言わないでよ!」
「料理を作ればいい」
「それが大変なの!」
そんなやり取りをしていると、店の扉が開いた。
カラン――。
「いらっしゃいませ!」
実咲が振り向く。
入ってきたのは、身なりの良い中年の男だった。
上等そうな服を着ているが、どこか疲れた表情をしている。
男は店内を見回し、空いている席へ座った。
「一人です」
「はい。こちらへどうぞ」
実咲がメニューを渡す。
男はしばらくメニューを眺めていた。
「……噂に聞いていた店は、ここか」
「噂?」
実咲が尋ねる。
「ああ」
男は苦笑した。
「この店の料理を食べると、商売がうまくいくと聞いてな」
実咲は少し困った顔をした。
「えっと……そういう噂はありますけど」
「本当かどうか確かめに来たわけではない」
男はため息をついた。
「ただ、少し疲れていてな」
「何かあったんですか?」
男は少し黙った。
「私は商人だ」
「商人さん?」
「ああ」
男は続けた。
「長年、店を続けてきたんだが……最近、どうにも商売がうまくいかなくてな」
実咲は黙って聞く。
「仕入れた商品が売れない。借金も増えている」
「……」
「店を畳むべきか、それとも続けるべきか……ずっと迷っている」
実咲は熊五郎を見る。
熊五郎は料理を作りながら、男の話を聞いていた。
「何を食べる?」
熊五郎が突然聞いた。
男は少し驚く。
「……おすすめを頼む」
「分かった」
熊五郎は厨房へ戻った。
実咲が小声で言う。
「熊五郎、こういうときは何か聞かないの?」
「腹が減っている」
「そうだけど……」
「なら、まず飯だ」
「……店の名前そのまんまね」
熊五郎は料理を始めた。
今日は肉料理だった。
厚切りの肉を丁寧に焼く。
表面を香ばしく焼き上げ、肉汁を閉じ込める。
そこへ、野菜と香草を煮込んだ特製ソースをかける。
ジュウッ――。
香りが広がった。
男の表情が少し緩む。
「……いい匂いだ」
「熊五郎の料理は本当に美味しいですよ」
実咲が笑う。
「そうか」
やがて料理が完成した。
「食え」
男はナイフを入れる。
肉は柔らかく、噛むたびに肉汁が広がった。
「……うまい」
もう一口。
「これは……」
男は無言で食べ続けた。
やがて皿が空になる。
「ごちそうさま」
「ありがとうございます」
男はしばらく黙っていた。
そして、ぽつりと言った。
「……店を畳むのは、やめよう」
実咲が驚く。
「え?」
「料理を食べていたら思い出したんだ」
男は自分の手を見る。
「俺が商売を始めたばかりの頃のことを」
「……」
「金を稼ぐことばかり考えていた。でも、本当は自分の商品を喜んでくれる人を見るのが好きだった」
男は顔を上げた。
「それを忘れていた」
熊五郎が言う。
「なら、続ければいい」
男は笑った。
「ああ。そうする」
男は立ち上がった。
「ありがとう」
「俺は何もしてない」
「それでもだ」
男は頭を下げた。
「明日から、もう一度店を立て直してみる」
そして男は店を出ていった。
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数日後。
その商人の店では、少しずつ変化が起きていた。
売れ残っていた商品を見直す。
客の話を聞く。
昔から付き合いのある職人の商品を、もう一度店に並べる。
すると――。
「これ、探してたんだ!」
「この商品、まだあったのか!」
少しずつ客が戻ってきた。
そして数週間後。
商人の店は、以前よりも賑わうようになっていた。
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その頃。
『まずは飯だ』では――。
「熊五郎」
「何だ?」
「この前の商人さん、店がうまくいってるって」
「そうか」
「熊五郎の料理を食べた人、みんな何か変わっていくね」
「腹が満たされれば、考える余裕もできる」
熊五郎は何気なく言った。
実咲は少し驚いた。
「……意外と深いこと言うね」
「そうか?」
「うん」
「なら、飯を食え」
「結局そこなんだ!」
実咲の声が店内に響く。
熊五郎は気にする様子もなく、次の料理を作り始めた。
今日も『まずは飯だ』には、料理を求める客がやって来る。
そして誰も知らない。
熊五郎の料理に宿る、不思議な力が――。
少しずつ、この町の人々の人生を変えていることを。




