第19話 まずは飯だ、魔法使いの卵が挑む
第19話 まずは飯だ、魔法使いの卵が挑む
翌日の昼。
『まずは飯だ』は、開店前から慌ただしかった。
「熊五郎、今日もお客さん多そうだね」
実咲が店内を掃除しながら言う。
「そうだな」
熊五郎は厨房で仕込みをしている。
「昨日、魚屋の店主も言ってたけど、本当に噂が広がってるみたい」
「料理がうまいからだ」
「それだけかなぁ……」
実咲が首を傾げる。
商人。
職人。
町の人々。
熊五郎の料理を食べた人たちが、次々と何かを成し遂げている。
偶然なのか。
それとも――。
そんなことを考えていると、
カラン――。
店の扉が開いた。
「いらっしゃいませ!」
実咲が振り向く。
入ってきたのは、二十歳くらいの若い女性だった。
腰には見慣れない杖を下げている。
女性は少し緊張した様子で店内を見回した。
「一人です」
「はい。こちらへどうぞ」
実咲は女性を席へ案内した。
女性が椅子に座る。
実咲はメニューを渡した。
「ご注文が決まったら呼んでくださいね」
「はい」
女性はメニューを眺めている。
だが、なかなか決まらない。
「おすすめはありますか?」
「ありますよ」
実咲は笑った。
「熊五郎の料理なら、何でもおすすめです」
「では、お任せします」
「熊五郎!」
実咲が厨房へ声をかける。
「お任せの注文!」
「分かった」
熊五郎は肉を取り出した。
「また肉?」
「力をつけるには肉だ」
「毎回それじゃない?」
熊五郎は答えず、肉を焼き始めた。
ジュウッ――。
香ばしい匂いが店内に広がる。
女性が思わず厨房を見る。
熊五郎は肉をじっくり焼き、焼き上がった肉に特製ソースをかける。
焼いた野菜を添えて完成だ。
「食え」
「ありがとうございます」
女性は料理を口に運ぶ。
「……おいしい」
もう一口。
「おいしい……」
女性の緊張した表情が、少しずつ和らいでいく。
やがて料理を食べ終えると、大きく息を吐いた。
「ごちそうさまでした」
「ありがとうございます」
実咲が皿を下げようとした。
そのとき――。
女性がぽつりと話し始めた。
「実は……明日、魔法学校の試験があるんです」
「……え?」
実咲の動きが止まった。
「魔法……学校?」
女性が不思議そうに首を傾げる。
「はい」
実咲の目が大きくなる。
「魔法って……あの魔法?」
「……あの魔法?」
「手から火を出したり、水を出したりする……?」
女性は少し笑った。
「はい。そういう魔法です」
実咲は熊五郎を見る。
「熊五郎……」
「何だ?」
「魔法って本当にあるの?」
「あるぞ」
「普通に言わないでよ!」
実咲は頭を抱えた。
日本にいた頃なら、魔法なんて物語の中の話だった。
それが今では――。
目の前に、魔法学校へ通う人間がいる。
「この世界、本当にすごい……」
実咲が呟く。
女性は苦笑した。
「あなたは魔法を使わないんですか?」
「え?」
「珍しいですね」
「えっと……」
実咲は言葉に詰まる。
この世界では魔法を使えることが、それほど珍しくないらしい。
逆に、自分のほうが不思議に思われる。
「私は……まだよく分からなくて」
「そうなんですね」
女性は笑った。
そして、少し表情を曇らせた。
「でも、私も明日の試験が怖くて……」
「試験?」
「魔法士になるための試験です」
女性は腰にある杖を見る。
「私は魔法学校の卒業試験を受けるんです」
「卒業試験……」
「はい」
女性は小さく息を吐いた。
「魔法を使うこと自体はできます。でも、緊張すると魔力が乱れてしまって……」
「……」
「これまで何度も失敗しているんです」
女性は自分の手を見る。
「明日が最後の試験です」
「もし落ちたら?」
「魔法士として働くことができません」
実咲は女性を心配そうに見た。
「でも……」
女性は苦笑する。
「もう、諦めようかと思っていたんです」
そのとき。
熊五郎が口を開いた。
「やればいい」
女性が熊五郎を見る。
「え?」
「明日、試験を受けるんだろう?」
「はい」
「なら、やればいい」
あまりにも簡単な言葉だった。
女性は少し驚いた。
実咲も熊五郎を見る。
「熊五郎って、こういうときだけ妙に真っ直ぐだよね」
「どういう意味だ?」
「褒めてるの」
女性は少し笑った。
「……そうですね」
そして、杖を握り直した。
「やってみます」
「そうだ」
熊五郎は厨房へ戻る。
「飯を食ったんだ。あとはやるだけだ」
「熊五郎、それ励ましてる?」
「励ましている」
女性は笑った。
「ありがとうございます」
---
翌日。
魔法学校の試験会場。
大勢の受験者が並んでいた。
女性の順番が来る。
「次!」
女性は前へ出た。
試験官が告げる。
「標的に向かって魔法を放て」
女性は杖を構えた。
手が震える。
――また失敗する。
そう思った瞬間。
昨日食べた料理を思い出した。
香ばしい肉。
温かい料理。
そして熊五郎の言葉。
『やればいい』
女性は深く息を吸った。
「……大丈夫」
杖を握り直す。
「いきます!」
魔力が杖へ集まる。
そして――。
ドンッ!
強烈な魔法が放たれた。
標的の中心を正確に撃ち抜く。
会場がざわめいた。
試験官が目を見開く。
「合格だ」
「……!」
女性は呆然とした。
「私が……?」
「合格だ」
女性の顔に笑顔が広がった。
「やった……!」
---
その日の夕方。
『まずは飯だ』。
カラン――。
扉が開いた。
「いらっしゃいませ!」
実咲が振り向く。
「あっ!」
昨日の女性だった。
「合格しました!」
「本当ですか!」
「はい!」
女性は嬉しそうに笑った。
「魔法士になれます!」
実咲も笑顔になる。
「よかったですね!」
「ありがとうございます」
女性は熊五郎を見る。
「あなたの料理を食べて、勇気が出ました」
熊五郎は首を傾げる。
「俺は料理を作っただけだ」
「それでもです」
女性は笑った。
「今日はお祝いに、もう一度食べに来ました」
熊五郎はすぐに厨房へ向かった。
「祝いなら飯だ」
実咲が笑う。
「やっぱりそれなんだ!」
女性も笑った。
「今日は何を食べられますか?」
熊五郎は振り返る。
「肉だ」
「また肉!」
店内に笑い声が響いた。
そして翌日。
町では新しい噂が広がり始めていた。
「あの食堂を知っているか?」
「ああ。商売が成功するっていう……」
「それだけじゃないぞ」
「何だ?」
「魔法学校の卒業試験に合格した娘がいるらしい」
「本当か?」
「ああ。あの食堂で飯を食べた翌日に試験を受けて、見事に合格したそうだ」
「……ますます不思議な店だな」
こうして――。
『まずは飯だ』の噂は、商人や職人だけではなく、魔法を使う者たちの間にも広がり始めていった。
そして実咲は、まだ知らなかった。
この世界で当たり前に存在する魔法と、自分の隣にいる熊五郎の力が、いつか大きく関わってくることを。




