第2話 異世界で出会った優しい魚屋の店主
第2話 異世界で出会った優しい魚屋の店主
「……お腹すいた」
異世界に来て、まだそれほど時間は経っていない。
なのに熊五郎は、もう何度目か分からない「腹が減った」を口にしていた。
「さっきからそればっかりじゃん」
実咲は呆れながら隣を見る。
「仕方ないだろ」
「何が?」
「異世界に来たんだぞ」
「それとお腹がすくのと何の関係があるの?」
「環境が変わった」
「うん」
「だから腹が減る」
「どういう理屈よ!」
熊五郎は堂々と歩いている。
実咲は深いため息をついた。
異世界に来たばかり。
帰る方法も分からない。
お金もない。
住む場所もない。
そんな二人が街を歩いていると――。
「魚だ」
熊五郎が立ち止まった。
「……また食べ物?」
「魚だぞ」
「見れば分かるよ」
目の前には魚を扱う店があった。
店先には、見たことのない魚が並んでいる。
「おいしそう……」
実咲も思わずつぶやいた。
「だろ?」
「でも、お金ないよ」
熊五郎が黙る。
そして魚をじっと見る。
「見るだけなら無料だ」
「そういう問題じゃないでしょ」
二人が店先で話していると、店主が声をかけてきた。
「どうした? 何か欲しいのか?」
「いえ……」
実咲が困ったように笑う。
「この人が魚を食べたいって」
「誰が食いしん坊だ」
「食べたいって言ったでしょ」
店主は二人のやり取りを見て笑った。
「仲がいいな」
「まあ……一緒に暮らしてますから」
実咲はそう答えた。
店主は熊五郎を見る。
「料理はできるのか?」
「できる」
熊五郎は即答した。
実咲が振り返る。
「本当に?」
「何だ、その顔は」
「いや、できるのは知ってるけど、この世界の食材でも大丈夫なのかなって」
「魚は魚だ」
「その自信はどこから来るのよ」
店主が笑った。
「だったら、これで何か作ってみるか?」
店主が一匹の魚を差し出した。
「売り物にはしにくい魚だ。うまく料理できたら、食べていい」
熊五郎の目が輝く。
「いいのか?」
「ああ」
「実咲」
「何?」
「火を起こしてくれ」
「私も手伝うの?」
「俺一人では火を扱えない」
「そこは普通なんだね」
二人は店主の調理場を借りることになった。
実咲が火を起こす。
熊五郎は魚を下ごしらえする。
「それ、何?」
「香草だ」
「食べられるの?」
「食べられる」
「どこで覚えたの?」
「勘だ」
「料理人として一番怖い答え!」
熊五郎は気にせず調理を続けた。
魚を焼く音が響く。
じゅうじゅうと脂が落ちる。
香草の香りが広がる。
店主が思わず近づいてきた。
「……いい匂いだな」
「もう少しだ」
熊五郎は真剣な表情で料理を見つめている。
実咲は、その横顔を見ながら小さく笑った。
「料理してるときだけは、ちゃんとしてるよね」
「俺はいつでもちゃんとしている」
「それはない」
「失礼だな」
「普段の行動を思い出してみてよ」
「思い出した」
「どうだった?」
「ちゃんとしていた」
「自分に甘すぎる!」
やがて料理が完成した。
熊五郎が皿を店主の前に置く。
「食べてみろ」
店主は一口食べた。
「…………」
実咲が心配そうに見る。
「どうですか?」
店主はもう一口食べた。
そして――。
「うまい!」
思わず声が出た。
「これはうまい!」
熊五郎が満足そうに頷く。
「そうだろう」
「魚の味がこんなに変わるのか!」
店主は夢中で食べている。
実咲も一口食べてみた。
「……おいしい」
「当然だ」
「そこは謙虚になってよ」
「料理は正直だからな」
「言ってることだけは格好いい……」
店主は最後の一口まできれいに食べた。
「本当にうまかった」
そして店先に並べていた魚を何匹か持ってきた。
「これを持っていけ」
「え?」
実咲が驚く。
「いいんですか?」
「ああ」
「でも、お金……」
「いらない」
店主は笑った。
「こんなにうまい料理を食べさせてもらったんだ。これくらいはいい」
「ありがとうございます」
実咲は深く頭を下げた。
熊五郎も頭を下げる。
「助かる」
店主は二人を見て、ふと思いついたように尋ねた。
「ところで、今夜はどこに泊まるんだ?」
実咲の表情が曇る。
「……まだ決まってません」
「住むところも?」
「はい」
「今日、この街に来たばかりで……」
店主は少し考えた。
そして優しく笑った。
「だったら、うちに来なさい」
「え?」
「部屋なら空いている」
実咲は慌てて首を振る。
「そんな、そこまでお世話になるわけには……」
「遠慮することはない」
店主は穏やかに言った。
「困っている人を放っておくのは気分が悪いからな」
実咲は言葉を失った。
こんな見知らぬ世界で。
何も持たず、何も分からない自分たちを、こんなにも簡単に受け入れてくれる人がいる。
「……ありがとうございます」
「礼は家に着いてからでいい」
熊五郎が口を挟む。
「飯もあるか?」
「熊五郎!」
「重要だ」
「今はそこじゃない!」
店主は大笑いした。
「ははは! もちろん飯もあるぞ」
「それなら行こう」
「現金すぎる!」
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店主は店を閉める準備を始めた。
魚を片づけ、店先を掃除する。
実咲も手伝おうとしたが、
「客なんだから、そんなことしなくていい」
と言われた。
やがて店の戸締まりを終えると、店主が振り返った。
「それじゃあ、行こうか」
「はい」
三人で街を歩き始める。
夕暮れの街には、明かりが少しずつ灯り始めていた。
実咲は歩きながら、周囲を見回した。
知らない街。
知らない世界。
それなのに、不思議と少しだけ安心していた。
隣には熊五郎がいる。
そして前には、自分たちを受け入れてくれた店主がいる。
「熊五郎」
「なんだ?」
「いい人に出会えてよかったね」
「ああ」
熊五郎が珍しく素直に答えた。
「……飯も食わせてくれるしな」
「そこなの?」
「大事だ」
「はいはい」
やがて街の中心から離れ、住宅の並ぶ場所へ入っていく。
しばらく歩くと、店主が一軒の家の前で立ち止まった。
「着いたぞ」
そこには、小さな木造の家があった。
隣には畑。
玄関の横には薪が積まれている。
派手ではない。
けれど、とても温かそうな家だった。
「ここが俺の家だ」
店主が扉を開ける。
「さあ、入ってくれ」
実咲は家の中を見て、ほっと息を吐いた。
「……お邪魔します」
熊五郎も続いて入る。
そして、家の中を見回すなり――。
「台所はどこだ?」
「もう料理する気なの!?」
「腹が減った」
「さっき食べたでしょ!」
店主は声を上げて笑った。
「ははは! 本当に面白い二人だな!」
異世界に来たばかりの実咲と熊五郎。
二人はまだ知らない。
この優しい店主との出会いが、これから始まる異世界での暮らしに、大きな意味を持つことを。
そして、この小さな家から――。
二人の新しい生活が始まろうとしていた。




