第17話 熊五郎の料理、職人の夢を後押しする
第17話 熊五郎の料理、職人の夢を後押しする
『まずは飯だ』の評判は、少しずつ町に広がっていた。
商人たちの間では、
「この食堂で飯を食べてから商談に行くと、商売がうまくいくらしい」
そんな噂まで流れ始めている。
だが、熊五郎本人はそんな噂など気にもしていなかった。
今日もいつも通り、料理を作っている。
「熊五郎、最近お客さん増えたよね」
実咲が皿を運びながら言う。
「そうだな」
「商人さんも増えたし」
「腹が減っている人が増えたんだろう」
「……まあ、そうなんだけど」
実咲が苦笑する。
そのときだった。
カラン――。
店の扉が開いた。
「いらっしゃいませ!」
実咲が振り向く。
入ってきたのは、一人の若い男だった。
服はところどころ汚れている。
腕にも細かな傷がある。
腰には小さな工具袋を下げていた。
男は店内を見回すと、空いている席に座った。
「一人だ」
「はい。ご注文が決まりましたら教えてください」
実咲がメニューを渡す。
男はメニューを見つめたまま、なかなか注文を決められない。
「……」
「どうしました?」
「いや……」
男は小さくため息をついた。
「腹が減っているんだが、何を食べたらいいか分からなくてな」
厨房にいた熊五郎が顔を上げる。
「なら、肉だ」
「え?」
男が振り向く。
熊五郎はすでに肉を取り出していた。
「今日は肉がいい」
実咲が慌てる。
「熊五郎、まだ注文されてないよ」
「腹が減っているんだろう」
「そうだけど……」
「なら、食べればいい」
「強引だなぁ……」
熊五郎は肉に塩を振る。
さらに香草をすり込み、熱したフライパンへ乗せた。
ジュウッ――!
肉の焼ける音が店内に響く。
香ばしい匂いが広がっていく。
男が思わず厨房を見る。
「……いい匂いだ」
熊五郎は肉をじっくり焼いた。
表面を香ばしく焼き上げ、最後に特製のソースをかける。
焼いた野菜を添えれば完成だ。
「食え」
「……ありがとう」
男の前に料理が置かれた。
男はナイフを入れる。
スッ――。
肉は驚くほど柔らかかった。
一口食べる。
「……うまい」
もう一口。
「……これは……」
男は夢中になって食べ始めた。
実咲はその様子を見ながら、少し笑う。
「美味しいですか?」
「ああ」
男は頷いた。
「こんなにうまい肉料理は初めてだ」
やがて皿の上から肉がなくなった。
男は満足そうに息を吐いた。
「ごちそうさま」
「ありがとうございます」
実咲が皿を下げようとしたとき、男が口を開いた。
「実は……俺は鍛冶職人なんだ」
「鍛冶職人?」
「ああ」
男は自分の手を見る。
「明日、王都で開かれる職人祭に出す剣を作っている」
「すごいじゃないですか」
「だが……」
男の表情が曇る。
「何度作っても納得できない」
「……」
「師匠からも、まだ出品するには早いと言われている」
男は悔しそうに拳を握った。
「もう諦めようかと思っていた」
実咲は男を見つめた。
「でも、せっかくここまで作ったんですよね?」
「……ああ」
「だったら、出してみればいいじゃないですか」
男は驚いたように実咲を見る。
「簡単に言うなよ」
「そうだけど……」
実咲は少し考える。
「でも、熊五郎の料理を食べた人って、なんだかみんな何かに挑戦してるんですよ」
「そうなのか?」
「商人さんも商談に成功したし」
実咲は熊五郎を見る。
「ね?」
「そうだったな」
熊五郎は料理を作りながら答える。
そして男を見る。
「作りたいなら、作ればいい」
「……」
「失敗したら、また作ればいい」
男は黙って熊五郎を見る。
熊五郎は続けた。
「料理も同じだ」
「料理?」
「ああ」
「うまくいかなかったら?」
「作り直す」
「……」
「うまくできるまでな」
男はしばらく黙っていた。
やがて――。
「……そうだな」
拳を握る。
「俺も、もう一度作ってみる」
男は立ち上がった。
「ありがとう」
「何がだ?」
「この料理と……その言葉だ」
男は店を出ていった。
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翌朝。
男は鍛冶場に立っていた。
鉄を熱する。
真っ赤になった鉄を取り出す。
カンッ!
カンッ!
カンッ!
何度も槌を振る。
失敗する。
形が崩れる。
また作り直す。
何度も繰り返した。
そして――。
「……できた」
そこには、一本の剣があった。
完璧ではない。
だが、男が今まで作った中で、一番納得できる剣だった。
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数日後。
王都で職人祭が開かれた。
男は自分の剣を持って会場へ向かった。
多くの職人が集まる中、男の剣を見た一人の職人が足を止めた。
「これは……誰が作った?」
「俺です」
「見せてもらっていいか?」
「ああ」
剣を手に取った職人は、何度も角度を変えて眺めた。
「……見事だ」
男は目を見開いた。
「本当ですか?」
「ああ。まだ若いが、将来が楽しみな仕事だ」
男は拳を握った。
「ありがとうございます!」
その日。
男の剣は、多くの職人の目に留まった。
そして――。
王都の工房から仕事の依頼まで届いた。
---
数日後。
『まずは飯だ』。
カラン――。
扉が開く。
「いらっしゃいませ!」
実咲が顔を上げた。
「あっ!」
入ってきた男を見て、実咲が笑顔になる。
「この前の鍛冶職人さん!」
「ああ」
男も嬉しそうに笑った。
「今日は報告があって来たんだ」
「報告?」
「ああ」
男は胸を張った。
「職人祭で、俺の剣が認められた」
「本当ですか!」
「ああ!」
実咲は嬉しそうに笑った。
「すごい!」
男は熊五郎を見る。
「ありがとう」
熊五郎は首を傾げる。
「俺は何もしてない」
「いや」
男は笑った。
「あの日、ここで飯を食べなかったら、俺は諦めていた」
熊五郎は少し考えた。
そして――。
「なら、今日は祝いだな」
「祝い?」
「ああ」
熊五郎は厨房へ向かう。
「肉を焼く」
実咲が笑う。
「やっぱり!」
「祝いには飯だ」
「熊五郎、そればっかり!」
男も笑った。
「じゃあ、今日も肉料理を頼むよ」
「任せろ」
熊五郎は肉を焼き始めた。
ジュウッ――。
香ばしい匂いが店内に広がる。
男はその匂いを嗅ぎながら、嬉しそうに笑った。
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その日から、また新しい噂が町に広がった。
「あの食堂を知っているか?」
「『まずは飯だ』だろ?」
「あそこで飯を食べると、商売が成功したり、夢が叶ったりするらしい」
「本当か?」
「俺の知り合いの鍛冶職人も、あそこで飯を食べた後に職人祭で認められたそうだ」
「それはすごいな……」
「商人の間でも、あの店で食べると商売がうまくいくって噂になってる」
少しずつ。
少しずつ。
『まずは飯だ』の噂は、町の中へ広がっていった。
商売を成功させたい者。
夢を叶えたい者。
人生を変えたい者。
そんな人々が、熊五郎の料理を求めて食堂へやって来るようになる。
しかし――。
熊五郎本人は、そんな噂など知らない。
「実咲」
「何?」
「明日の肉は足りるか?」
「……そこ?」
実咲は呆れながら笑った。
「足りなくなったら、また魚屋の店主に頼もう」
「ああ」
熊五郎は満足そうに頷いた。
今日もまた――。
『まずは飯だ』には、人々の新しい人生を後押しする料理の香りが漂っていた。




