第15話 熊五郎、噂が町の外へ広がる
第15話 熊五郎、噂が町の外へ広がる
昼の営業が始まってから、しばらく経った。
「……熊五郎」
「何だ?」
「今日、お客さん多すぎない?」
実咲は店内を見回した。
昼前だというのに、すでに席はほとんど埋まっている。
入口の外にも、数人の客が並んでいた。
「昨日より増えてるよ」
「そうだな」
熊五郎は肉を焼きながら、いつもと変わらない様子で答えた。
「料理が足りなくなるかもしれない」
「それ、もっと早く言って!」
実咲は厨房へ走る。
「魚は?」
「まだある」
「肉は?」
「残り少ない」
「野菜は?」
「まだ大丈夫だ」
「よかった……」
実咲は胸を撫で下ろした。
そのとき――。
入口から声が聞こえた。
「ここか?」
「そうだ。この店だ」
「『まずは飯だ』っていう食堂は」
実咲が入口を見る。
見たことのない客が何人か立っていた。
「初めてのお客さんかな?」
「どうやらそうらしい」
熊五郎が厨房から顔を出す。
「いらっしゃい」
「ここが噂の店か?」
「そうだ」
客の一人が店内を見回した。
「町の外まで噂が届いてるぞ」
「町の外?」
実咲が驚く。
「昨日、旅人から聞いたんだ」
別の客が話す。
「この町に、食べると疲れが消える食堂があるって」
「しかも肉料理が絶品だってな」
「俺も聞いた」
実咲は熊五郎を見る。
「……すごいことになってきたね」
熊五郎は首を傾げた。
「飯を作っているだけだ」
「それがすごいんだって!」
熊五郎は気にせず、料理を続けた。
「注文は?」
「肉料理を!」
「俺も!」
「俺は魚料理!」
「スープも頼む!」
また注文が増える。
実咲は急いで注文を聞いて回った。
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しばらくして。
肉料理が運ばれていく。
「お待たせしました」
客がナイフを入れる。
「……柔らかい」
一口食べる。
「……!」
「どうだ?」
「うまい」
もう一口。
「いや……これは、うまいなんて言葉だけじゃ足りない」
肉汁とソースが口いっぱいに広がる。
香草の香りが肉の旨味を引き立てる。
「噛むほど味が出てくる」
「それなのに重くない」
「このソース……肉の味を邪魔してない」
客たちは夢中になって食べていく。
一人の男が、料理を食べ終えたあと、大きく息を吐いた。
「……なんだか、体が軽い」
「俺もだ」
「さっきまで旅の疲れで足が重かったのに」
「頭もすっきりしてきた」
実咲はまた、その光景を見る。
「……まただ」
熊五郎が振り返る。
「何がだ?」
「料理を食べた人、みんな元気になる」
「そうなのか?」
「そうなの!」
熊五郎は少し考える。
「なら、もっと食べればいい」
「そういう問題じゃない!」
実咲が頭を抱える。
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夕方。
ようやく昼の客が落ち着いた。
実咲は椅子に座り、ぐったりしていた。
「疲れた……」
「そうか」
熊五郎は厨房を片付けている。
「でも、今日はすごかったね」
「ああ」
「町の外からお客さんが来たんだよ」
「料理を食べに来たんだろう」
「それはそうだけど……」
実咲は店の外を見る。
「このままいったら、もっと遠くから人が来るんじゃない?」
熊五郎は少し考えた。
「食材が足りなくなるな」
「そこ?」
「料理が作れなくなる」
「……熊五郎らしい」
そのとき――。
カラン。
店の扉が開いた。
魚屋の店主だった。
「おう!」
「魚屋さん!」
「今日も大盛況だったな」
「見てたの?」
「ああ。店の前を通ったら、人が並んでたぞ」
店主は笑う。
「もう完全に町の名物だな」
「名物……」
実咲が呟く。
「それだけじゃない」
魚屋の店主は続けた。
「今日、遠くから来た客が魚を買っていったんだ」
「うちの食堂の噂を聞いて?」
「ああ」
熊五郎が頷く。
「なら、もっと食材が必要だ」
「そう言うと思った」
店主は笑った。
「仕入れは俺に任せろ」
「頼む」
「肉も野菜も、できるだけ手配する」
「助かる」
魚屋の店主は熊五郎を見る。
「しかし、お前さん……」
「何だ?」
「この食堂、どこまで大きくなるんだろうな」
熊五郎は少し考えた。
そして――。
「分からん」
「おい」
実咲が思わず突っ込む。
「店主でしょ!」
熊五郎は笑った。
「だが、一つだけ分かる」
「何?」
「明日も飯を作る」
実咲は呆れたように笑った。
「……まあ、それが熊五郎だよね」
『まずは飯だ』。
その名前は、少しずつ町の外へ広がり始めていた。
そして誰もまだ知らない。
この小さな食堂の店主が、やがてこの世界そのものを揺るがす存在になることを――。




