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第111話 失った記憶が敵になる

第111話 失った記憶が敵になる


「……お母さん?」


実咲は。


黒い線に浮かんだ文字を見つめていた。


――母。


その二文字だけが。


頭の中に残っている。


けれど。


顔が思い出せない。


声も。


姿も。


一緒にいた場所も。


「……何で」


実咲が。


胸を押さえる。


「名前すら……思い出せない」


熊五郎は。


何も言わなかった。


ただ。


鍋を火にかける。


――ボッ。


「今は戦闘中だ」


「……うん」


「思い出すのは後でいい」


実咲は。


頷いた。


その時。


黒い男が。


笑った。


「後で?」


「……」


「本当に思い出せると思っているのか?」


男の周囲に。


黒い霧が集まる。


「失った記憶は」


霧が。


人の形になる。


「戻らない」


実咲が。


息を呑む。


黒い霧の中に。


一人の女性が現れた。


長い髪。


優しい表情。


実咲と。


よく似た目。


「……お母さん?」


実咲が。


一歩前へ出る。


「待て!」


熊五郎が。


止める。


「それは本物じゃない」


「でも……」


女性が。


実咲を見る。


そして。


微笑む。


『実咲』


その声。


確かに。


聞いたことがある。


実咲の目から。


涙が落ちる。


「……お母さん」


女性が。


手を伸ばす。


『こっちへおいで』


実咲が。


歩き出す。


「実咲!」


熊五郎が。


腕を掴む。


「離して!」


「駄目だ!」


「お母さんなの!」


「違う!」


熊五郎が。


強く言う。


「そいつは、お前から奪った記憶を使って作った幻だ!」


実咲が。


動きを止める。


「……奪った記憶?」


黒い男が。


笑う。


「その通り」


黒い霧が。


実咲の左手へ伸びる。


「守護者の力が記憶を代償にするなら」


霧が。


黒い線へ触れる。


「失った記憶を、こちらが利用できる」


――ズズッ。


実咲の左手から。


黒い霧が。


一本の糸のように伸びる。


「きゃっ!」


「実咲!」


熊五郎が。


風を放つ。


――ゴォォッ!


黒い糸が。


切れる。


だが。


女性の幻は。


消えない。


『実咲』


また。


母の声。


『あなたは私を忘れたの?』


「……!」


実咲の胸が。


締め付けられる。


「ごめんなさい……」


熊五郎が。


実咲を見る。


「謝るな」


「でも……」


「それはお前のせいじゃない」


実咲が。


唇を噛む。


「私が力を使ったから」


「違う」


熊五郎が。


言う。


「お前が守ったからだ」


実咲が。


顔を上げる。


「……」


「忘れた記憶があるなら」


熊五郎は。


鍋を持ち上げる。


「これから作ればいい」


「作る?」


「新しい記憶を」


熊五郎が。


料理を。


小皿へ分ける。


「食べろ」


「今?」


「ああ」


実咲は。


料理を見る。


焼いた小麦。


少量の出汁。


塩。


油。


簡単な料理。


それでも。


湯気が。


暖かい。


「……いただきます」


一口。


――パクッ。


その瞬間。


実咲の胸が。


少しだけ温かくなる。


母の記憶は。


戻らない。


けれど。


今。


熊五郎と食べている。


この瞬間は。


確かに残る。


「……おいしい」


熊五郎が。


笑う。


「そうか」


実咲も。


少し笑った。


その瞬間。


左手の黒い線が。


止まった。


黒い男が。


驚く。


「なぜだ……?」


熊五郎が。


答える。


「記憶を奪われるなら」


実咲の隣に立つ。


「新しい記憶を作ればいい」


「そんな簡単な話では――」


「簡単じゃない」


熊五郎が。


男を見る。


「だから料理を作る」


実咲が。


頷く。


「私は守る」


ガルドが。


槍を構える。


「俺は戦う」


レオンも。


剣を構える。


「俺もだ」


黒い男が。


舌打ちする。


「……ならば」


黒い霧が。


一気に広がった。


――ズズズズズ……!


町中に。


黒い人影が現れる。


その姿は。


それぞれ違う。


誰かの家族。


誰かの友人。


誰かが失った大切な人。


「見ろ」


黒い男が。


笑う。


「ここにいる全員の記憶を」


「……!」


実咲が。


息を呑む。


「利用するつもり?」


「そうだ」


黒い影が。


避難所へ向かう。


「守りたいと思えば思うほど」


影が。


人々へ近づく。


「守護者の力は強くなる」


男が。


笑う。


「そして」


黒い霧が。


実咲を包む。


「強くなればなるほど」


実咲の左手の線が。


伸びる。


「失う」


――ズズッ。


手首。


肘。


肩。


黒い線が。


伸びていく。


「くっ……!」


実咲が。


膝をつく。


「実咲!」


熊五郎が。


駆け寄る。


「触らないで!」


実咲が。


叫ぶ。


「今、私が力を止めたら」


「……」


「みんなが危ない」


熊五郎は。


拳を握る。


「だから」


実咲は。


立ち上がる。


「私が守る」


光が。


再び広がる。


しかし。


今度は。


町全体ではない。


一人。


また一人。


光が。


人々を選んでいく。


「この人」


一つ。


「この人も」


二つ。


「この子も」


三つ。


実咲は。


守る対象を。


一人ずつ選んでいく。


すると。


黒い線の伸びる速度が。


遅くなった。


熊五郎が。


気づく。


「対象を絞っている」


「うん」


「それなら代償が減る」


「でも」


実咲が。


苦しそうに笑う。


「全部は守れない」


「それでいい」


熊五郎が。


答える。


「全部を守る必要はない」


「……」


「守れる人から守れ」


実咲は。


頷いた。


その時。


ガルドが。


黒い影を槍で弾く。


「実咲!」


「何?」


「俺たちにも選ばせろ!」


実咲が。


驚く。


「え?」


「守る奴を!」


ガルドが。


叫ぶ。


「俺がこいつを守る!」


レオンも。


叫ぶ。


「俺は避難所を守る!」


熊五郎が。


笑う。


「そういうことだ」


実咲の光が。


三つに分かれる。


熊五郎。


ガルド。


レオン。


それぞれの周囲に。


小さな光の紋章が浮かぶ。


そして。


その瞬間。


実咲の左手の黒い線が。


ほんの少し。


薄くなった。


「……?」


実咲が。


驚く。


熊五郎も。


気づく。


「守る力を」


熊五郎が。


呟く。


「一人で使わなければ」


実咲が。


答える。


「代償も……分けられる?」


「たぶんな」


黒い男が。


初めて。


焦った表情を見せる。


「そんな使い方は……」


「知らなかった?」


熊五郎が。


笑う。


「守護者を知ってるだけじゃ」


鍋を構える。


「使い方までは分からないみたいだな」


黒い男が。


怒りを露わにする。


「黙れ!」


巨大な黒い影が。


空へ伸びる。


――ゴォォォォォッ!!


そして。


黒い影の中心に。


一つの巨大な目が。


開いた。


実咲が。


その目を見る。


「……あれ」


胸が。


突然。


痛くなる。


「私……」


頭の中に。


また。


知らない記憶が浮かぶ。


燃える城。


泣いている人々。


そして。


幼い自分を抱きしめる女性。


『この子だけは――』


そこで。


映像が切れた。


実咲は。


目を見開く。


「今の……」


熊五郎が。


息を呑む。


「何を見た?」


実咲が。


震える声で答える。


「お母さんが」


「……」


「熊五郎の名前を呼んでた」


熊五郎の顔から。


血の気が引いた。


「……俺の名前を?」


実咲は。


頷く。


「うん」


黒い男の巨大な目が。


二人を見つめる。


そして。


低い声が。


響いた。


「やっと思い出し始めたか」



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