第110話 守るたびに失うもの
第110話 守るたびに失うもの
黒い霧が。
再び町へ押し寄せた。
「来る!」
ガルドが叫ぶ。
――ズドォォン!
黒い根が。
三方向から食堂へ襲いかかる。
実咲は。
両手を広げた。
「守る!」
――パァァッ!
光の壁が。
三方向へ展開する。
一本目。
止まる。
二本目。
弾く。
三本目。
食堂の屋根へ向かう。
「そこ!」
実咲が。
光の線を伸ばす。
――バキィン!
根が。
空中で弾かれた。
「やった!」
レオンが叫ぶ。
だが。
実咲の顔から。
笑みが消えた。
「……?」
左手を見る。
黒い線が。
手首から少し伸びている。
「また……」
熊五郎が。
すぐに気づく。
「実咲、使いすぎるな!」
「まだ大丈夫!」
その直後。
ガルドが叫んだ。
「熊五郎!」
黒い男が。
一気に距離を詰めていた。
――ズッ!
黒い剣が。
熊五郎へ振り下ろされる。
「危ない!」
実咲が。
反射的に力を使う。
――パァン!
光が。
熊五郎の前に集まり。
剣を止めた。
しかし。
実咲の身体が。
突然よろめいた。
「……あれ?」
「実咲!」
熊五郎が。
振り返る。
実咲は。
困ったような顔をした。
「今……」
「何だ?」
「私」
少し考える。
「どうして光を出したんだっけ?」
熊五郎の顔が。
固まる。
「……」
実咲は。
自分で言った言葉に。
気づいていない。
「熊五郎を守ったんだ」
熊五郎が。
答える。
「そうだ」
「……そうだった」
実咲が。
笑う。
だが。
その笑顔は。
少し不安定だった。
黒い男が。
剣を振る。
「隙だ!」
――ズガッ!
実咲の肩へ。
黒い衝撃が当たる。
「きゃっ!」
ガルドが。
槍を叩き込む。
「実咲から離れろ!」
男が。
後退する。
実咲は。
肩を押さえた。
「痛い……」
熊五郎が。
近づく。
「怪我は?」
「大丈夫」
実咲は。
答える。
そして。
熊五郎を見る。
「……ごめん」
「何が?」
「あなたの名前」
熊五郎の目が。
見開かれる。
「……」
実咲が。
胸元を押さえる。
「一瞬だけ」
声が。
震える。
「思い出せなかった」
熊五郎は。
何も言わない。
ただ。
実咲の前に立つ。
「なら」
「?」
「今から覚え直せ」
熊五郎が。
自分を指す。
「熊五郎だ」
実咲が。
少し笑う。
「……熊五郎」
「そうだ」
「熊五郎」
「そう」
「覚えた」
その瞬間。
黒い男が。
再び襲いかかる。
「戦場で感傷とは!」
――ズドン!
巨大な黒い腕が。
ガルドを吹き飛ばす。
「ガルド!」
実咲が。
光を飛ばす。
ガルドの身体を。
光が包む。
衝撃が。
消える。
だが。
実咲の頭に。
激痛が走った。
「――っ!」
膝をつく。
「実咲!」
「待って……」
実咲が。
頭を押さえる。
「今度は……」
視線を上げる。
ガルドを見る。
「この人……」
「俺だ!」
ガルドが。
叫ぶ。
「ガルドだ!」
実咲の目が。
揺れる。
「ガルド……」
「そうだ!」
「……ごめん」
「謝るな!」
ガルドが。
槍を握り直す。
「忘れてもいい!」
「え?」
「俺がお前に何度でも名乗る!」
ガルドが。
黒い敵へ突っ込む。
「だから守れ!」
実咲は。
息を呑む。
そして。
両手を広げる。
「……うん!」
――パァァァッ!
光が。
ガルドの背中を包む。
ガルドの動きが。
一瞬だけ速くなる。
敵の剣を。
槍で弾く。
「今だ!」
レオンが。
横から飛び込む。
――ガキィン!
二人の攻撃で。
黒い男が。
後退する。
「効いている!」
だが。
実咲は。
その場で。
ふらついた。
黒い線が。
肘まで伸びている。
さらに。
視界が。
一瞬だけ白くなる。
「……何も見えない」
「実咲!」
熊五郎が。
走る。
「目を閉じろ!」
「でも戦況が……」
「俺が見る!」
熊五郎が。
前へ出る。
「ガルド!」
「分かってる!」
「レオン!」
「任せろ!」
実咲は。
目を閉じる。
音だけを聞く。
剣。
槍。
足音。
黒い根。
そして。
熊五郎の声。
「右!」
ガルドが。
避ける。
「レオン、後ろ!」
「見えた!」
実咲は。
見えていない。
それでも。
仲間の位置を。
感じ取っている。
その時。
小さな声が。
聞こえた。
「実咲」
熊五郎だった。
「無理するな」
「……でも」
「守るっていうのは」
熊五郎が。
言う。
「全部自分で背負うことじゃない」
実咲は。
目を閉じたまま。
笑う。
「第109話でも言ったね」
「……」
「私、覚えてる」
熊五郎の表情が。
少し緩む。
「それなら十分だ」
だが。
次の瞬間。
黒い男が。
食堂へ向けて。
巨大な魔力を放った。
――ゴォォォォッ!!
「全員、伏せろ!」
熊五郎が。
叫ぶ。
実咲が。
目を開く。
まだ。
視界はぼやけている。
それでも。
食堂を見る。
ここだけは。
守らなければならない。
「……守る」
光が。
一気に広がる。
――パァァァァッ!!
黒い魔力が。
光へ激突する。
実咲の身体が。
後ろへ押される。
左手の黒い線が。
一気に伸びる。
肩へ。
首へ。
「うああああっ!」
熊五郎が。
叫ぶ。
「やめろ、実咲!」
「まだ……!」
「もう十分だ!」
「駄目!」
実咲が。
歯を食いしばる。
「ここには――」
光が。
さらに強くなる。
「みんながいる!」
その瞬間。
実咲の頭の中から。
一つの記憶が。
消えた。
――幼い頃に。
母と一緒に食べた。
温かい料理。
「……」
実咲の目から。
涙が落ちる。
「何……だろう」
胸が。
苦しい。
「どうして……」
自分でも。
分からない。
ただ。
大切だったことだけは。
分かる。
熊五郎が。
その姿を見て。
拳を握る。
「……これ以上は」
黒い男が。
笑う。
「そうだ」
「……」
「それが守護者の代償だ」
黒い霧が。
さらに迫る。
「守るたびに」
男が。
言う。
「守りたかったものを失っていく」
実咲の涙が。
頬を伝う。
それでも。
光は消えない。
「……それでも」
実咲が。
震える声で言う。
「今、守れるものがあるなら」
光が。
強くなる。
「私は守る」
熊五郎が。
その言葉を聞く。
そして。
鍋を握る。
「なら俺は」
火を起こす。
「お前が忘れたものを」
鍋から。
湯気が立つ。
「料理で思い出させる」
実咲が。
振り返る。
「……約束?」
「ああ」
熊五郎は。
笑う。
「何度でも作る」
黒い男の表情が。
初めて。
曇った。
「……料理で記憶を?」
熊五郎が。
男を見る。
「やってみなきゃ分からないだろ」
そして。
鍋の蓋を開ける。
――ふわっ。
温かな香りが。
戦場へ広がった。
実咲は。
その香りを吸い込む。
「……なんだろう」
涙を拭う。
「この匂い……」
失った記憶の奥で。
誰かが笑っている。
その声だけが。
ほんの少し。
聞こえた。
『実咲――』
実咲が。
振り返る。
「……お母さん?」
しかし。
声は。
もう聞こえなかった。
そして。
実咲の左手に浮かぶ黒い線の中で。
一つの文字が。
ゆっくり現れる。
――母。




