第11話 熊五郎、夕方の営業を始める
第11話 熊五郎、夕方の営業を始める
「……ん……」
実咲は、ゆっくりと目を開けた。
「……あれ?」
椅子に座ったまま眠っていたらしい。
店内は静かだった。
「私、寝ちゃったんだ……」
すると、厨房から声が聞こえた。
「起きたか」
「熊五郎?」
実咲が顔を上げる。
熊五郎は、魚屋から持って帰ってきた食材を厨房に並べていた。
「いつ帰ってきたの?」
「少し前だ」
「起こしてくれればよかったのに」
「疲れていたようだからな」
「……珍しく優しい」
「何だ?」
「なんでもない」
実咲は大きく伸びをした。
「ふぁ……。よく寝た」
熊五郎は時計を見る。
「そろそろ始めるぞ」
「何を?」
「夕方の営業だ」
「……あ!」
実咲は慌てて立ち上がった。
「そうだった!」
熊五郎は時計を確認する。
午後五時。
「五時になったら開ける」
「もう五時なんだ!」
「そうだ」
昼の営業が終わってから休憩を取り、気づけば夕方の営業開始時刻になっていた。
「魚屋さんに夕方の食材を取りに行ったんだもんね」
「ああ」
熊五郎は魚を取り出した。
「これを使う」
「何を作るの?」
「焼き魚と魚の煮込み。それから新しい料理も作る」
「新しい料理?」
「ああ」
熊五郎は少し嬉しそうに笑った。
「夕方は昼とは違う料理にする」
「なるほど」
実咲は店内を見回した。
「じゃあ、準備しないと!」
二人は夕方の営業の準備を始めた。
実咲はテーブルを拭き、椅子を並べ直す。
熊五郎は魚をさばき、野菜を切り、鍋を準備する。
そして――。
実咲が外へ出て、看板を裏返した。
『準備中』
その裏側には、
『まずは飯だ』
の文字。
「これで開店!」
実咲が店内へ戻る。
熊五郎はすでに厨房に立っていた。
「よし」
「まだお客さん来るかな?」
「来る」
「またその自信……」
すると――。
カラン。
店の扉が開いた。
「いらっしゃいませ!」
昼間とは違い、夕方の客は仕事帰りの人が多かった。
「昼に食べられなかったんだ」
「噂を聞いて来た」
「ここが『まずは飯だ』か?」
実咲は驚いた。
「もう噂が広がってる……」
熊五郎は気にせず料理を始める。
「注文は?」
「魚料理を」
「俺は煮込みを」
「俺はおすすめを頼む」
「分かった」
熊五郎は次々と料理を作っていく。
店内に料理の香りが広がる。
最初の客が料理を口にした。
「……うまい」
二口目。
「……ああ」
男は目を閉じた。
「疲れが抜けていく……」
隣の客も料理を食べる。
「本当だ……」
「なんだ、この料理……」
「昼間聞いた話は本当だったんだな」
仕事で疲れていた客の顔から、少しずつ険しさが消えていく。
「今日は上司に怒られて最悪な一日だったんだけどな……」
男は料理を食べながら笑った。
「まあ、明日また頑張ればいいか」
別の客も呟く。
「家に帰る前に、ここに寄ってよかった」
実咲はその様子を見ていた。
「……やっぱり不思議」
熊五郎は料理を作りながら答える。
「飯を食えば元気になる」
「だから、それだけじゃないって!」
熊五郎は聞いていない。
夕方の店も、次第に客でいっぱいになっていった。
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しばらくして。
カラン。
「おう!」
魚屋の店主が入ってきた。
「お疲れさん」
「魚屋さん!」
実咲が声をかける。
「夕方の営業、始まってると思ってな」
「手伝いに来てくれたんですか?」
「いや」
店主は笑った。
「飯を食いに来た」
「そっちですか!」
熊五郎が厨房から顔を出す。
「何を食う?」
「今日のおすすめを頼む」
「分かった」
熊五郎は魚屋の店主の料理を作る。
店主は料理を一口食べた。
「……うまい」
そして、ふっと笑った。
「やっぱり、ここで食う飯は違うな」
「何が違う?」
「食べると、疲れが消えるんだよ」
店主は肩を回す。
「朝から魚を運んで、腰が重かったんだが……」
もう一度体を動かす。
「楽になった」
実咲が熊五郎を見る。
「ほら!」
熊五郎は首を傾げた。
「何だ?」
「だから不思議なんだって!」
熊五郎は料理を作りながら言った。
「うまいからだ」
「……もういい」
実咲は呆れた。
午後五時から始まった夕方の営業は、その後も続いた。
そして――。
店の外には、また人が並び始めていた。
昼だけではない。
夕方になっても、『まずは飯だ』を求める客は増え続けている。
実咲は忙しく動きながら、ふと思った。
「この店……本当にどうなっちゃうんだろう」
厨房では熊五郎が黙々と料理を作っている。
本人だけは、いつも通りだった。
「実咲!」
「何?」
「皿を頼む!」
「はいはい!」
今日も『まずは飯だ』には、たくさんの人が集まっていた。
そして誰もが、料理を食べ終えたあと――。
少しだけ、笑顔になって店を出ていった。




