第105話 王の料理ではなく店主の料理
第105話 王の料理ではなく店主の料理
――ドォォォォン!!
町の外壁が。
大きく揺れた。
黒い霧が。
壁を越えてくる。
「来る!」
ガルドが叫ぶ。
町の人々が。
避難場所へ走る。
黒い霧の中から。
一人の男が。
ゆっくり歩いてきた。
黒い外套。
黒い鎧。
そして。
右手には。
黒い剣。
「……」
熊五郎が。
男を見る。
男は。
食堂の看板を見た。
『まずは飯だ』
そして。
熊五郎を見る。
「久しいな」
熊五郎の目が。
細くなる。
「誰だ」
男は。
笑った。
「忘れたか」
一歩。
近づく。
「昔、お前のために戦った」
ガルドが。
槍を構える。
「熊五郎を知っているのか?」
男は。
ガルドを見る。
「もちろん」
「名前は?」
男は。
答えない。
「名前など」
黒い霧が。
男の足元から立ち上がる。
「もう必要ない」
レオンが。
剣を抜いた。
「敵だな」
「そうだ」
男が。
剣を構える。
「王を捨てた男の敵だ」
――ドン!
男が。
一瞬で距離を詰めた。
「速い!」
レオンが。
剣で受ける。
――ガキィン!
衝撃で。
レオンの身体が。
後ろへ滑る。
ガルドが。
横から槍を突く。
――シュッ!
男は。
身体をひねってかわした。
そのまま。
ガルドの槍を。
黒い剣で弾く。
――ガキン!
「くっ!」
熊五郎が。
左手を上げる。
――ゴォォォッ!!
強風が。
男へ叩きつけられる。
男が。
地面を滑る。
しかし。
倒れない。
「……昔と同じだ」
男が。
笑う。
「その風」
熊五郎の表情が。
変わる。
「俺の魔法を知っている?」
「忘れるものか」
男が。
黒い剣を構える。
「お前が国を守るために使った力だ」
熊五郎は。
黙る。
男が。
突っ込む。
――ズガッ!
黒い剣が。
熊五郎の右腕を狙う。
熊五郎は。
左手で受け流す。
だが。
右腕の黒い線が。
一気に疼いた。
「……っ!」
男が。
笑う。
「そこだ」
黒い剣が。
再び迫る。
実咲が。
光の壁を出す。
――パァン!
男の剣が。
光に阻まれた。
「熊五郎から離れて!」
男が。
実咲を見る。
「お前が今の守護者か」
「守護者?」
「王を守る者だ」
実咲は。
首を振る。
「違う」
男が。
眉を上げる。
「熊五郎は王じゃない」
「……」
「食堂の店主だよ」
熊五郎が。
少しだけ笑った。
「そういうことだ」
男の顔から。
笑みが消える。
「ならば」
黒い霧が。
一気に広がる。
「その食堂ごと奪う」
――ドォォォン!!
食堂の壁へ。
黒い根が突き刺さった。
「させない!」
実咲が。
両手を広げる。
光の線が。
床を走る。
――パァァァッ!
黒い根が。
光に触れる。
――バチバチバチッ!
「止まった!」
実咲が叫ぶ。
だが。
一本。
また一本。
黒い根が。
別の場所から伸びてくる。
「数が多い!」
ガルドが。
槍で根を払う。
「切るな!」
熊五郎が叫ぶ。
「分かっている!」
ガルドは。
槍の柄で押し返す。
レオンも。
剣ではなく。
椅子を持ち上げた。
「また椅子か!」
実咲が。
叫ぶ。
「使えるものは使う!」
レオンが。
椅子を黒い根へ投げる。
――ガンッ!
根が。
椅子へ絡みつく。
その隙に。
ガルドが。
別の根を押し返す。
「今だ!」
実咲が。
光の壁を重ねる。
黒い根が。
押し戻される。
その間に。
熊五郎は。
厨房へ戻った。
「熊五郎!?」
実咲が。
振り返る。
「料理を作る!」
「今!?」
「ああ!」
熊五郎は。
食材を探す。
しかし。
棚はほとんど空。
第99話から。
食材を使い切っている。
米もない。
肉もない。
魚もない。
野菜もない。
残っているのは。
ほんの少しの調味料。
そして。
水。
実咲が。
厨房へ入ってくる。
「食材……」
熊五郎は。
棚を見た。
「ないな」
「じゃあどうするの?」
熊五郎は。
少し考えた。
そして。
外を見る。
町の人々。
避難している兵士。
疲れ切ったガルド。
足を引きずるレオン。
実咲。
「食材がないなら」
熊五郎は。
鍋を取った。
「作れるものを作る」
「水だけで?」
「水だけじゃない」
熊五郎は。
調味料を並べる。
塩。
少量の香辛料。
そして。
第99話で使い切った食材の残り。
魚の骨。
肉の脂。
玉ねぎの皮。
それらを。
丁寧に集める。
「これを使う」
実咲が。
驚く。
「まだ残してたの?」
「料理人だからな」
熊五郎は。
火をつける。
――ボッ。
鍋へ水を入れる。
魚の骨。
肉の脂。
玉ねぎの皮。
そして。
香辛料。
――グツグツ。
湯気が。
立ち上がる。
男が。
厨房を見る。
「まだ料理をするか」
熊五郎は。
振り返らない。
「当然だ」
「材料もないのに?」
「だから作る」
男が。
笑う。
「昔のお前と同じだ」
熊五郎の手が。
止まる。
「違う」
「何?」
「昔の俺は」
熊五郎は。
鍋をかき混ぜる。
「国を守るために料理を作った」
そして。
今。
厨房の外を見る。
「今の俺は」
実咲。
ガルド。
レオン。
町の人々。
「ここにいる奴らのために作る」
男の顔が。
険しくなる。
「くだらない」
黒い剣を。
構える。
「ならば」
一気に。
厨房へ突っ込む。
実咲が。
光の壁を出す。
――パァン!
男の剣が。
光に阻まれる。
「ここは厨房!」
実咲が。
叫ぶ。
「入らせない!」
男が。
力を込める。
光の壁に。
亀裂が入る。
「実咲!」
熊五郎が。
鍋をかき混ぜながら叫ぶ。
「三十秒!」
「え?」
「あと三十秒!」
実咲が。
歯を食いしばる。
「分かった!」
ガルドが。
厨房の入口へ走る。
「俺も守る!」
レオンも。
隣へ立つ。
「俺も!」
三人が。
入口を守る。
男が。
黒い剣を振り下ろす。
――ガキィン!
ガルドの槍。
実咲の光。
レオンの椅子。
三つが。
同時に攻撃を止める。
「三人で一つか」
男が。
呟く。
熊五郎は。
鍋を見る。
――グツ。
――グツ。
「……よし」
火を止める。
鍋から。
湯気が立つ。
熊五郎は。
小さな器へ。
スープを注いだ。
「完成だ」
実咲が。
振り返る。
「それ……料理?」
熊五郎は。
頷く。
「料理だ」
熊五郎は。
その器を。
ガルドへ渡す。
「飲め」
「俺が?」
「ああ」
ガルドは。
一口。
――ゴクッ。
次の瞬間。
目を見開いた。
「……!」
身体に。
力が戻った。
しかし。
今回は。
第99話の料理とは違う。
力が増えるわけでも。
魔力が見えるわけでもない。
呼吸が。
ゆっくりになる。
焦りが。
消える。
そして。
周囲の音が。
はっきり聞こえる。
「……なるほど」
ガルドが。
笑う。
「これは身体を休ませる料理か」
熊五郎が。
頷く。
「戦うためじゃない」
「じゃあ何のためだ?」
熊五郎は。
入口を見る。
「判断するためだ」
ガルドが。
敵を見る。
「……確かに」
さっきまで。
焦っていた。
敵の動きを追うだけだった。
今は違う。
敵の足。
剣の角度。
黒い根の位置。
全部が。
冷静に見える。
「レオン!」
ガルドが。
叫ぶ。
「右の根を避けろ!」
レオンが。
即座に動く。
――シュッ!
黒い根が。
目の前を通過する。
「見えた!」
レオンが。
反撃する。
男の動きが。
止まる。
「……料理で」
男が。
熊五郎を見る。
「戦場そのものを変えるのか」
熊五郎は。
鍋を持ち上げる。
「料理は」
静かに言う。
「腹を満たすだけじゃない」
そして。
男を見る。
「頭を冷やすこともある」
男の黒い霧が。
大きく揺れた。
『……王』
その声に。
熊五郎が。
顔を上げる。
男は。
黒い剣を握り直す。
「ならば」
黒い霧が。
町全体を覆い始める。
「その料理が」
巨大な黒い影へ変わる。
「どこまで通用するか――」
熊五郎は。
左手を前へ出した。
「試してみろ」
――ゴォォォォォッ!!
風が。
町を駆け抜けた。
だが。
その風の中に。
黒い右腕から漏れた霧が。
混ざっていた。
熊五郎が。
それに気づく。
「……」
実咲が。
叫ぶ。
「熊五郎、その黒い霧――!」
熊五郎は。
右腕を見る。
黒い線が。
また一段。
胸へ向かって伸びていた。
そして。
黒い男が。
笑った。
「そうだ」
「……」
「お前の料理が強くなるほど」
男が。
黒い剣を構える。
「お前自身も――」
黒い霧が。
熊五郎の右腕を包む。
「料理の材料になっていく」
熊五郎の目が。
鋭くなる。
「……面白いことを言う」
鍋を。
静かに置く。
「なら」
熊五郎が。
一歩前へ出る。
「俺を食べる前に――」
風が。
再び集まり始める。
「お前を料理してやる」




